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大上君、赤月さんに元気を貰う。

 

 赤月さんは俺が座っている場所から一メートル程、離れた場所に腰かけた。


 まさか、俺の具合が良くなるまで見守る気なのだろうかと思ったけれど、どうやら予想通りのようだ。本当に奇特な人だ。


 すると、赤月さんは穏やかな声色で、ぽつりと俺に話しかけて来る。


「試験の時って、緊張して具合が悪くなってしまうの、分かります」


 別に緊張していたわけではないが、そういうことにしておこう。それはそれで気弱なイメージを持たれて気恥ずかしいけれど。


 俺は話しかけられた内容から意識を逸らすために、別の話題を振ることにした。


「……君は……」


「はい?」


「君は、どうしてこの大学を受験しようと思ったの?」


 特に気の利いた話題が見つからなかったが喋っている方が、気が楽になるため、何となく心に浮かんだことを問いかけることにした。


 赤月さんはぱちり、と瞳を瞬かせてから、照れたように苦笑した。


「この大学で学びたいことがありまして。……えっと、くずし字って分かりますか?」


「……ああ、古文書とかに書かれている、水みたいな文字のことだろう? どうして、くずし字を学びたいの?」


 俺が話題に食いついてくるとは思っていなかったようで、赤月さんは少しだけ驚いた表情をしたけれど、すぐに嬉しそうに笑い返してくれた。


 俺の家にも代々、保管されている古文書があるから、少し知っていただけなのに、彼女は仲間を見つけたと言わんばかりに笑顔を向けてくる。

 きっと、光属性の人間とは彼女のような人のことを言うのだろう。少しだけ笑顔が眩しい。


「読み解きたい古文書があるんです。……私の家に代々伝わるもので、五百年くらい前の人が書いた日記なんです。でも、周りには読める人がいなかったので」


 そう言って、赤月さんはどこか困ったように苦笑した。

 笑うと可愛いと思ったのは、恐らくここからだろう。もっとじっくりと見ておけば良かった。


「この大学には古文書を読み解くことを専門にしている教授がいるので、その教授に教えを乞いたいんです。だから、私の第一志望の大学なんですよ。……って、私の話ばかりしてしまって、すみません。具合が悪いのに……」


 赤月さんははっと気づいたような表情で恥ずかしげに顔を赤らめ始めていく。

 ああ、可愛いなぁ。


 自分でもそんな風に他人のことを思うなんて初めてだったから、その時は気付かなかったけれど、今にして思えば心の底から「可愛い」と初めて思えた人間は赤月さんが初めてだった。

 むしろ、赤月さんが唯一である。


「ううん、君の話を聞いていたら、少しだけ気分が落ち着いたよ。……ありがとう」


 俺が素直にお礼を述べると彼女はふわっと花が咲いたような笑みを浮かべ返してくれた。大変可愛らしい。


 むしろ、赤月さんの笑顔で具合の悪さがどこかへ飛んで行ってしまった程だ。赤月さんの笑顔はどうやら万能薬らしい。


「……でも、そうだよね。少なからず学びたい、知りたいと思ったから……俺もここに居るんだもんね」


 赤月さんの言葉は空っぽになりかけていた俺の心にじんわりと響いて来ていた。


 明確な目標を持って突き進みたいと思っている彼女の意思を眩しいと思ったことで、感化されたのかもしれない。


 自分も、彼女のように自身が求めるものを確実に手に入れるために進みたい、と。

 それと同時に、何かを強く望んでいる彼女を真っすぐな人だと思えた。


 だからこそ、可愛らしいと思えただけでなく、清廉で美しいと思えたのかもしれない。それこそ、彼女の傍でずっと表情を眺めていたいと密かに望んでしまった程に。


「どこの学部を受けるおつもりなんですか?」


 話題の続きを繋ぐように赤月さんが話しかけてくる。


「歴史学部だよ」


「あ、それならば私と同じですね。……ふふっ。もし、お互いに合格したら、この大学のどこかでまた会えるかもしれませんね」


 その言葉に、陰はない。お世辞にも聞こえない。

 ただ前だけを見据えて、進もうとする明るさが含まれていた。


 優しいだけじゃない。温かいし、眩しいし、そして──透き通る程に真っすぐだ。

 大人しそうな見た目によらず、彼女は強い意思を持っているらしい。


 その意思の強さに自分はどこか憧れにも近い感情を抱いている気がした。


「……そうだね、いつかこの大学で会えるかもしれないね」


 そう答えた時、俺の腹部には強く力が入った気がした。今までは呼吸することさえ、億劫に思える程、気分が悪かったのに、今ではもっと酸素を肺へと取り込みたいと思っているから不思議だ。


 俺はいつの間にか、赤月さんに励まされ、元気を貰っていたらしい。


 だって、それまではこの大学に受かったらいいな、くらいにしか思っていなかったのに、赤月さんに「お互いに合格したら、この大学のどこかで会えるかもしれない」と言われただけで、気鬱だった気分は一瞬にして拭い去ってしまったからだ。


 絶対にこの大学に受かって、赤月さんと巡り合ってみせる──。


 この場で、それを強く望んだ自分のことを単純だと思うけれど、結局、人の原動力となるものは案外、簡単なものだったりするのかもしれない。


 それだけで具合の悪さも気鬱な気分も、自分自身に無関心だったことさえ全て忘れ去って、今はもう一つのことだけしか目に映っていないのだから。

 

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