赤月さん、もやっとする。
後学期に受講する講義を決めれば、一週間もしないうちに始まりました。
どうやら、まだ夏休み気分が抜け切れていない学生もいるようですね。大学生の夏休みは一番、長いですから。
私は図書館司書と学芸員の資格を取るつもりなので、こちらの講義を優先的に受講し、残りの時間には自分が興味ある講義や卒業に必要な講義を取りました。
ですが、問題は大上君です。
「……大上君、私と同じ講義ばかり選択していますよね?」
カフェテリアで購入した、アイスカフェラテを飲みながら、私は目の前の席に座っている大上君をじぃっと見つめます。
「かぶっていない講義、ほとんど資格関係ばかりでそれ以外は全部かぶってますよ!?」
大上君は飲んでいたアイスコーヒーをテーブルに置いてから、にこりと笑いました。
「そんなことないよ。(赤月さんと一緒にいられる)必要な講義ばかりだよ?」
「今、副音声で別の声が聞こえたんですが?」
「気のせいだよ」
「けど、必要単位を超える講義を受講しすぎると学期末のテストとか、レポートが大変だと聞きましたが……。抱えきれなくなって、単位を落としちゃったら、どうするんですか」
「やだなぁ、俺が単位を落とすなんてこと、するわけないよ」
「……まぁ、確かに大上君が単位を落とすなんて、あまり想像は出来ませんが……」
イメージを押し付けるわけではありませんが、大上君は何でもそつなくこなしそうなので。
「赤月さんに心配してもらえるのは嬉しいけれど、本当に大丈夫だよ? どれも俺が受講したいと思って選択した講義ばかりだから。それにこの講義を選択するのが今なのか、それとも来年以降になるかの違いだけだし」
「むむ……。それなら、まぁ……。でも、本当に無理しないで下さいね?」
「うん」
そう答える大上君の表情は何だか、嬉しそうです。
すると、「あっ」と高めの声が聞こえました。
「──大上君、だよね?」
私達が座っている席へと近付いてきたのは、全く知らない学生でした。表現するならば、「華やか」という言葉が似合う二人の女性です。
大上君をちらりと見ましたが、彼の反応を見る限り、彼女達の顔を知らないようですね。
恐らく、この方々は同じ歴史学部の学生ではないのでしょう。歴史学部の学生は卒業するために必要な講義が決まっていて、学年が違っても受けている講義がかぶることがよくあるのです。
なので、名前までは知らなくても顔は知っている先輩や同級生はいます。
それゆえに、どこかで見た覚えがないこのお二人は同じ学部の学生ではない、と判断しました。
「そうですけれど、何か」
あ、出ました。大上君の必殺技、対人スマイルです。
笑っているようにも、笑っていないようにも見えるこの笑みが外面で、なおかつ興味のない相手に向けられるものだということは、最近になって分かるようになりました。
私だけでなく親しい友人達や先輩に向けられたものは自然と浮かべた笑みだったので、こちらと比べるとかなり違いが分かりやすいです。
そう考えると、私も少しだけ大上君のことが分かってきたのかもしれませんね。
「私達、大学祭の実行委員なんだけれど、ちょっとだけ時間をもらえるかな?」
女性二人はちらりと一瞬だけ私の方を見ましたが、特に言葉をかけてくることなく、そのまま大上君へと話しかけます。
彼女達の話しかけ方に対して私は特に気にならないですし、気にするようなことではなかったのですが、大上君の眉はぴくりと動いていました。
これはちょっと、まずいですね。
「今、大事な時間なので手短にお願いしてもいいですか?」
少し圧を含めた声色で大上君は返します。
お茶をしているだけの休憩時間ですが、大上君にとっては私と一緒に居られる時間は何よりも大事とのことで、親しくしている人以外に邪魔をされるのが嫌らしいです。
大上君の対応があまりにもそっけないのが意外だったようで、実行委員のお二人は一瞬、たじろいでいました。
美形に圧をかけられると、気後れしてしまう気持ち、分かります。
「え、ええっとね、大学祭で毎年開催されている『ミスター明華コンテスト』に興味ないかなぁと思って、誘いにきたの」
その催し物について、二年生の桜木先輩から聞いたことがあります。
この明華大学の大学祭では毎年、「ミスコン」なる「ミス明華コンテスト」と「ミスターコン」なる「ミスター明華コンテスト」と呼ばれる、男女の学生の中で一番を決める催し物が行われているそうです。
そこでは容姿や教養、もしくは特技などを競い合い、学生の投票によって一位を決めるのだとか。
そして、このコンテストで優勝した男女がカップルになると、永遠に幸せでいられる言い伝えがある──と、桜木先輩がきゃっきゃしながら教えてくれました。
桜木先輩はこの手のお話が大好きなのです。
「参加するだけでも景品がもらえるし、優勝すると豪華賞品がプレゼントされる催しなの」
「きっと、大上君が参加してくれれば、すっごく盛り上がると思うんだ」
実行委員のお二人が楽しげに誘ってきます。確かに大上君がコンテストに参加すれば、色んな人から応援されるでしょう。
変態的な部分から目をそらせば、外見だけに限らず中身も魅力的な人ですし。
でも、どうしてでしょうか。他の女性達からたくさんの甘い声を向けられる大上君を想像したら、何故か胸の奥が重くなり、もやっとしました。変な心地です。
簡単な言葉で表現するならば、「嫌だな」と感じたのです。
ですが、会話に割って入るわけにもいかず、私は無言のまま、アイスカフェラテのカップを両手できゅっと握りしめました。
すると、目の前に座っている大上君と視線が重なります。大上君はいつもとは少し違う、柔らかな笑みを私に向けた後、実行委員のお二人へと言葉を返します。
その際に彼が浮かべていたのは、どんな感情を抱いているのか分からない──「色」がない表情でした。
「興味が一切ないので、お断りさせていただきます」
「えっ」
「そもそも、人前に立って看板商品みたいな扱いを受けるのは嫌いですし」
大上君は椅子から立ち上がりました。
「話は終わりですね? ……赤月さん、行こう。次の講義が始まるよ」
「へ? あ、はい」
促された私はアイスカフェラテのカップを持ったまま、すぐに立ち上がり、鞄を手に取ります。
「それじゃあ、失礼しますね」
「あっ、ちょっと……!」
相手に一切の反応を求めることなく、大上君はその場を去ります。私も少し急ぎ足で大上君へと付いて行きました。
後ろを振り返る勇気はなかったのですが、それ以上引き留められることはなかったので、実行委員の人達は追いかけてこなかったのでしょう。
そのことに安堵しつつも、私は声量を抑えながら大上君へと声をかけます。
「……良かったのですか。お誘いを断って」
「うん。だって、本当に興味がないからね。他人が喜ぶための見世物になる気はないよ」
でも、と大上君は言葉を続けます。そして、茶目っ気たっぷりに言いました。
「赤月さんになら、たくさん見られたいけれど」
そう言って、軽くウィンクしてきます。本当、そういう仕草が驚くくらいに似合いますね、この人は。
「……お付き合いをしている以上、誰よりも見ていると思いますが」
「そうだね。けど、いつだって赤月さんの視線を独り占めしたいから。それが恋人特権ってものだろう?」
「……」
よくもまぁ、少女漫画に出てくるような恥ずかしい台詞をすらすらと言えますね。おかげで私は大上君の顔を直視できなくなってしまいました。
抱いたものを隠すように私は大上君を追い越し、先に歩き始めます。
「あ、待ってよ、赤月さん」
大上君が私に追いつくまで、緩んでしまったこの表情をどうにか戻さないといけません。そんなことを思いつつ、私は歩く速度を上げました。