大上君、赤月さんに心配される。
高校生の赤月さん──まだこの時は名前を知らなかったけれど、彼女は心配そうな表情で俺の目の前に立ち止まると、顔色を静かに窺ってきた。
マフラーを巻いていないため、彼女の赤茶色の髪がはらり、と零れ落ちる。
「具合が悪いのですか? 良ければ、保健室に連れていきましょうか?」
見知らぬ他人に声をかけることを悪いとは思わない。
でも、自分の中では他人は他人で、誰かが傷付いたり悲しんだりしていても見て見ぬふりをすることが普通だと思っていた。
俺自身が他人に対して優しくはなれない、興味を持たない、そういう人間だったからだ。だって、他人に優しくしても意味なんてないだろう?
他人に対して感情が持てないならば、尚更のことだ。
だからこそ、驚いたんだ。
損得の感情を持たないまま、「そうすることが彼女にとって普通なこと」として、俺に接してくる赤月さんに。
「えっと……。同じ、受験生の方ですよね? だ、大丈夫ですか?」
返事を返さないまま、うずくまっている俺の様子に不安を覚えたのか、彼女は少し慌てたようにもう一度、声をかけてくる。
その声さえも心地よく感じるのは何故だろう。
今まで、女子の声は耳障りに思えて嫌いだったけれど、目の前に立っている女の子の声だけは別だと思えた。
優しくて、軽やかで、穏やかで、少しだけ切なくて。
ずっと聞いていたい。そんな声だ。
「……平気。ちょっと人込みに酔っただけだから、休んでいればすぐに治るよ」
俺はマフラーの中に再び顔を埋めてから、返事をした。
この時、もっと彼女の顔を見れば良かったと後悔したが、赤月さんに具合の悪い顔を見られたくはなかった俺は視線を逸らすしかなかった。
「でも……。この場所は寒くはないですか? ずっと外にいると風邪を引きますよ」
「……分かっているよ」
こんなに情けない姿をそれ以上、見ないで欲しいと思った。
どうか、今すぐ立ち去って欲しい。
静かに、緩やかに彼女に惹かれていたというのに、そればかりを願っていた。
けれど、同時にもっと一緒に居て欲しいとも思えたのだ。本当に矛盾していると分かっている。
優しい彼女に甘えてしまいたい、もっと声をかけて欲しい、自分に心を向けて欲しいと思ったのだ。
お互いに、初対面であると言うのに。
こんなにも愛想の悪い男に付き合わなくてもいいだろうに、赤月さんはただ俺を純粋な気持ちで心配してくれる。
その心が、どうしようもなく嬉しくて、そして恥ずかしかった。
きっと、彼女の前では格好悪い姿を見せたくはないと思ったからだろう。
すると、赤月さんは大きめのコートの中に右手を突っ込んだ。何をする気なのだろうか。
「……あの、余計なお世話になるかもしれませんが、宜しければこれをどうぞ」
「……?」
そう言って、赤月さんは俺の前に何かを差し出してくる。それはペットボトルの温かいお茶だった。
「さっき、そこの自販機で買ったばかりでまだ口を付けていないので……。温かいものを飲めば、身体が温まりますよ」
「……でも」
「どうぞ。冷えないうちに飲んで下さい」
半ば無理矢理とも言える形で赤月さんは温かい新品のお茶を俺に押しつけてくる。
見た目は大人しそうだけれど、意外と意思が強い人だとこの時に気付いた。
俺は「ありがとう」とか細い声で答えてから、素直にお茶を受け取った。
ペットボトルの蓋を開ける気力はまだ持ち合わせているようで、俺は蓋を開けてから温かいお茶を喉の奥へと流し込む。
ゆっくりと、ゆっくりと飲んでいけば、身体の内側から少しずつ温かさが取り戻されていく気がした。
自分では大丈夫だと思っていたけれど、やっぱり身体は冷えていたようだ。
「……ふぅ」
思わず息を漏らすと、何故か赤月さんも安堵するような表情を浮かべる。
もしかすると、俺の顔は思っていたよりも強張っていたのかもしれない。
それならば今、彼女が浮かべてくれた安堵の表情は俺に向けられた感情が表に出てきたものなのだろうかと密かに感じた。
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