赤月さん、夏が明ける。
夏休みが終わり、大学の後期が始まりました。
始まったと言っても、数日くらいはオリエンテーションだけです。この間に後期に受ける講義を決めて、登録します。
ことちゃんと白ちゃんは所属する学部が違うので、一時的にお別れです。お昼ご飯を一緒に食べる約束をしているので、食堂で集合する予定です。
二人はどんな講義を取るのか、あとで訊ねようと思います。学部は違っても、同じ講義を取れる時がありますからね。
そして今日は、歴史学部に属する全学年の学生が一つの講堂に集まっているという少し珍しい日です。
集合予定の時間よりも三十分くらい早めに到着したので、学生はまばらですね。
座る席も自由とのことなので、どこに座ろうかと探していると、来栖さんと奥村君の姿を見つけました。
夏休み中は一度も会う機会がなかったので、私はさっそく二人のもとへと向かいます。
「来栖さん、奥村君。お久しぶりです」
来栖さんと奥村君とは古文書の講義で同じ班になってからの付き合いです。
奥村君は最初、女子が苦手なので知らずのうちに不快に思う態度を取っていたらすまないと言っていましたが、今では目を見て言葉を交わしてくれるようになりました。
私は二人が座っている席の一列前へと座ります。
「久しぶりだな」
「やぁ、赤月。暑中見舞いは無事に届いたかな?」
奥村君は目元が隠れるくらいに伸ばしていた髪を少し切ったようですね。
来栖さんもいつもは流したままの髪を今日はゆったりと横結びにまとめていました。
「届きました! 暑中見舞い、ありがとうございました。写真立てに飾っておきたいくらいにとても素敵な絵葉書でしたね」
この夏休み中、フランスの祖父母に会いに行っていた来栖さんから暑中見舞いが届いたのですが、その絵葉書がもう、本当に素敵で素敵で。
私は絵葉書に描かれたものを思い出し、ついうっとりしてしまいます。
「ああ、赤月も来栖から絵葉書をもらったのか。確かに素晴らしかったよな。……しかも、切手もフランスの名所が描かれたものだったし」
奥村君もうんうんと頷いています。
「喜んでもらえて何よりだ。……時間をかけて一枚一枚を選んだ甲斐がある」
いつも凛としていて格好いい来栖さんが珍しく口元と目元を緩め、柔らかな表情を浮かべました。
「あっ、忘れるところでした。……こちら、お土産です。バームクーヘンなのですが、甘いものが得意じゃなかったらすみません」
私は紙袋に入れていたお土産を二つ取り出し、来栖さんと奥村君に渡します。
「えっ! これって、確か隣県ですごく有名な店のバームクーヘンか?」
どうやら奥村君は知っていたようです。ふわふわでしっとりとしたバームクーヘンはお土産だけでなく、自宅用にも人気なのです。
「はい、そうです。出来るだけ、お早めに食べて頂ければ……」
「ありがとう。……以前、テレビで紹介された時にこのバームクーヘンのことを知ってな。あまりにも美味しそうだったから一度、食べてみたかったんだ」
奥村君は眼鏡の奥を輝かせながらお礼を告げます。そんなに喜んでもらえて、嬉しい限りです。
「ふむ、どんな紅茶が合うかな……。あとで食べるのが楽しみだ。……赤月、素敵なお土産をありがとう。大事に味わって食べるよ」
「いえ、私も選んでいて楽しかったですから。……あ、おすすめは食べる分だけ切り分けたものを少し温め直して、生クリームを添える食べ方です。きっと紅茶だけでなく、コーヒーも合うと思いますよ」
「ほう、なるほど。良いことを聞いた。試してみるよ」
来栖さんにも喜んでいただけたようです。私はつい、ほわっとした笑みを浮かべてしまいました。
三人でほがらかに会話をしていると、大上君がやってきました。走ったのか、額には薄っすらと汗が浮かんでいるように見えます。
「おはよう、そして久しぶり、二人とも。……赤月さんは今日も可愛いね! おはよう!」
「久しぶりだな、大上」
「おはよう。……相変わらずだな」
「おはようございます、大上君。声量を抑えて下さい」
今朝は大上君とは別々での通学でした。
お付き合いしているからと言って、一日中、一緒にいるわけではありません。……いえ、気付いたら隣に大上君がいることはよくあるので、絶対とは言えませんが。
大上君は当たり前のように私の隣へと着席しました。
「いやぁ、家を出る前に財布を別の鞄に入れていたことを思い出して、今朝は慌てちゃった」
「分かる。大学じゃない場所へ出掛ける時に通学用ではない鞄に財布を入れておくと、いざ通学する際に忘れるよな」
大上君の言葉に同意するように奥村君は頷きます。
財布あるあるですよね。私もたまにやらかします。
四人で夏休みをどのように過ごしたのか話していると、少し離れた場所で会話をしていた上級生の女性から驚きの声が上がりました。
顔を見合わせた私達は窺うように、声がした方へと視線を向けます。
「──えぇっ!? 久藤先輩、退学したの!?」
「そうみたい。何か、夏休み中にやらかしちゃったらしくて。教授達がその対応に追われたって、こっそり愚痴をこぼしていたもの」
「顔だけは良かったから、目の保養だったのに……」
「まぁ、私はいつかやらかすだろうなって思っていたけれど。この学部だけじゃなくて、他の学部の子にも色々と……ほら、迷惑かけていたらしいじゃん」
上級生達は少しだけ声量を抑えましたが、私達にはばっちり聞こえていました。
「……久藤先輩って、三年生の人だったか? ちょっと、見た目が派手というか華やかな感じの」
記憶を引っ張り出してきたのか、奥村君は少しだけ自信なさげに言います。分かります、あまり交流がない先輩の名前と顔ってすぐには思い出せませんよね。
「そうだな。確か、素行に問題がある先輩だったと覚えているが……」
そう言って、来栖さんは何故か大上君の方へと視線を向けます。
細められた目は何かを探るようでしたが、大上君はそんな視線を受けてもにこやかに笑っているだけでした。
来栖さんは呆れたように、ふぅっと息を吐きます。
「……君も中々、面倒な男だな、大上。赤月は苦労しそうだ。……赤月、この男に何か嫌なことをされそうになったら、君の幼馴染達か我々に相談するんだぞ」
「何で俺、いきなり罵倒されてるの!? 何も言ってないし、やってないよね!?」
「そして、俺も『我々』の中に入っているんだな。……大上を相手にするってなると、無理の一言しか出てこないんだが」
引いた表情で奥村君は肩を竦めています。
「赤月さんは俺のこと、嫌じゃないもんね!? 夏休み中、一緒にあんなことやこんなことしたもんね、合意の上で!」
「大上君!? 語弊がある言い方をするの、やめてくれませんか!? 夏休み中はただ、大上君の実家でアルバイトをしただけじゃないですか! 白ちゃんとことちゃんと一緒に!」
私はすぐさま反論します。
確かに少しくらいはお互いの距離は縮まったとは思いますけれど、変なことはしていませんし。
本当、来栖さん達が誤解するような表現は止めて欲しいです。でないと、お二人ならばきっと生温かい目で私達を見てくるに決まっています。
「……赤月は本当に苦労しそうだ……」
奥村君、再確認したと言わんばかりにぼそりと呟いて、静かに頷かないで下さい。
何でしょう、朝からとても疲れました。
いつものことと言えば、いつものことなんですけれど。
結局、私は久藤先輩がどのような理由で退学したのか知ることは出来ませんでした。
何か知っていそうな大上君や来栖さんに訊ねても「君は知らなくていいんだよ」と穏やかに諭されるだけで、教えてもらえませんでした。
うーん、少しだけ気になりますがこれ以上、他の人のことを深掘りするのはやめておこうと思います。詮索される側からすれば、いい気分ではないでしょうし、とりあえず忘れることにしましょう。
新章、始まりました。