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赤月さん、撫でる。

  

 神楽が終わった後、すぐに巫女装束からいつもの装束に着替えた大上君が授与所の奥にいた私のもとへとやってきました。


「あ、か、つ、き、さぁぁんんっっ!! 終わった! 終わったよ、神楽! 褒めて! ねぇ、褒めて! 俺、頑張ったんだよ!」


 今、大上君に犬の耳と尻尾が生えているように見えました。


 しかし、私に抱き着こうと手を伸ばしている大上君の前にさっと現れたのは詩織さんでした。


 詩織さんはにっこりと深い笑みを浮かべながら右手で大上君の頭をがしっと掴みます。白くて美しい手の甲には青筋が浮かんでいます。

 まるで、ハンドボールの選手のようです。


 みしっという音も響きましたが、これはもしや大上君の頭が軋んだ音でしょうか。


「はーい、千穂ちゃんへのお触りは禁止でーす。というか、巫女装束を着ている相手に抱き着かないの! お祭りに来ている人に見られたらどうするの!」


「痛いっ! 痛いよ、姉ちゃん! 腕が細いのに、何でそんなに握力あるの!? 俺より握力あるよ!?」


 確かに詩織さんは細身なので、どこにそんな力が宿っているのか気になります。実は筋肉を鍛えている方なのでしょうか。


「ごめんねぇ、千穂ちゃん。うちの弟が発情期の犬みたいになっていて」


「い、いえ……。いつものことなので……」


 私がそう答えると詩織さんの笑みが更に深くなりました。もしや、これは言ってはいけないことを告げてしまった感じですか。


「ほほーん、ふーん……。『いつもの』こと、ねぇ……? ……ねぇ、伊織。時間と場所を考えず、相手のことを考えず、むやみやたらに抱き着くのは──お姉ちゃん的に、どうかと思うけれど……?」


「ひぃっ……。般若……般若が見える……!」


「だ、れ、が、般若ですってぇ……?」


「いってぇぇ! 頭が割れそぉおぅっ! ねぇっ、ひびが入る! 俺の頭蓋骨にひびが入るからぁっ!」


 大上君の頭を片手で掴んでいる詩織さんですが、一切容赦がありません。


「あ、あの、ええっと、大上君も神楽を頑張っていましたし、それにお疲れだと思うので、そろそろ……」


 人目が付かない授与所の奥とは言え、声は外へと通りますし、何より──頑張っていた大上君を労わなければと思っていたので、助け船を出すことにしました。


「……うっ、上目遣いの千穂ちゃん、可愛いわ……。……仕方ないわね、千穂ちゃんがそういうなら、伊織への調教──ごほんっ、指導はここまでにしておくわ」


「今、調教って言ったよね!? 間違いなく調教って言ったよね!? 妙齢の女性が口にする言葉じゃないと思うよ、姉ちゃん!」


「伊織には言われたくないわ」


「何でぇ!?」


 詩織さんは大上君の頭から手を放し、冷やした麦茶でも持ってくると言って授与所から出ていきました。

 恐らく、大上君に水分補給をさせるためでしょう。何だかんだ言いつつも、やはり弟思いのお姉さんのようです。


 詩織さんが去った後、大上君は唇を尖らせつつ拗ねた顔をしていました。両手で頭をさすっているので、まだ頭が痛むのでしょう。


「全く、姉ちゃんは俺のことを何だと思っているんだ……」


 お姉さんに振り回される大上君が弟らしくて可愛いなと思ってしまった私は小さく苦笑します。


「大上君、大上君。ちょっとだけ、屈んでくれますか」


「ん? 何かな、赤月さん」


 大上君は首を傾げながらも、私の言葉の通りに少しだけ屈み、目線を合わせてきます。


 私は左手で揺れる袖を押さえながら、右手を伸ばし、大上君の頭を優しく撫でました。

 いつもよりも、丁寧に梳かれている髪はさらさらしていて、撫で心地が良いです。


「神楽、お疲れさまでした。大上君の舞がとても素敵で、見入ってしまいました。確か、夕方からも神楽があるんですよね? 暑いと思うので、どうか体調には気を付けて、臨んで下さいね。私もまた、見に行きますので」


 目を合わせながら、私は大上君の頭をよしよしと撫でます。

 毎日、神楽を練習して大変でしたでしょうに、本番ではその苦労を微塵も感じさせない程に完璧な舞を見せて下さいました。


 なので、頑張っていた大上君を労おうと思ったのですが、今はアルバイトの巫女としてお仕事中なので、これ以外に労う方法が思いつきませんでした。

 夏祭りが全部終わったら、もう一度、労いたいと思います。


 すると目の前の大上君は石のように固まっていました。


「お、大上君……? ……はっ! もしや、よしよしするのは嫌でしたかっ?」


 改めて考えると自分よりも背が高くて、しかも大学生の男の子に対して、よしよしと頭を撫でるのは相手にとって恥ずかしいことなのでは──。


 大上君の頭から手を放そうとした時でした。彼の両手が私の右手をがしっと掴んできました。


「っ~~~! それ以上はっ! 無理ぃっ!」


「や、やっぱり撫で撫では駄目でした……?」


 大上君を労うつもりが、彼にとって嫌なことをしてしまったでしょうか。

 私が謝ろうとしていると、大上君は首を横にぶんぶんと振って、頬を紅潮させながら言葉を続けます。


「赤月さんの手は気持ちよくなりすぎるから駄目! それ以上、撫でられたら、俺……! 俺、昇天しちゃう……!」


「しょ、昇天……?」


「ただでさえ、こう……色々と昂っちゃうのに……! 赤月さん、何でそんなに撫でるの上手いのっ!? 俺、駄目になっちゃう……! 赤月さんの手がないと、駄目になっちゃう……!」


 何故か大上君の鼻息が荒くなっていますが、大丈夫でしょうか。夏の暑さに負けているのでしょうか。


「んん……? あの、よく分かりませんが、とりあえず今後は大上君を撫でないようにしますね」


「それはやだぁっ!」


 あれは駄目、それは嫌とは何とも我儘ですね……。そして、そろそろ私の右手を放してほしいです。


「……うぅっ……。また撫でて欲しい……。くまなく、全身を……」


「引きます」


 私は掴まれていた腕をさっと抜き取りました。

 全身をくまなく撫でるって、どういうことですか。大上君は犬の気分を味わいたいんですか。


 私は困ったように小さく笑いながら、溜息を一つ吐きます。


「この後、もう一度、神楽を舞うんですよね?」


「え? うん、そうだけれど」


「それじゃあ、その神楽が終わったら、たくさん撫で撫でします。頭だけ、ですが」


 つまるところ、大上君はご褒美が欲しいのでしょう。

 今の私には大上君に渡せるご褒美がこれしか思いつかないのですが、果たしていかがでしょうか。


 すると、大上君の顔がぱぁっと輝きます。


「絶対だよ! 約束だからね!」


 再び、大上君に耳と尻尾が生えている光景が見えました。顔が良い人の顔面が目の前に来ると眩しいですね。


「ええ、約束です」


 私がこくりと頷き返せば、大上君は「言質は取った」と言わんばかりにガッツポーズをしていました。


「よし、張り切って禊してくる!」


「禊って、張り切るものでしたっけ……?」


 この後も神楽がある大上君はもう一度、禊をしてから夕方に行われる神楽への準備に入るそうです。


「そういえば、次の神楽について聞いてもいいですか?」


 私が訊ねると大上君は少しだけ、思案する表情を浮かべました。


「うーん……。ふふっ、本番まで秘密。楽しみにしていてね」


「えー……」


 人差し指を自身の唇へと添えつつ、大上君は軽くウィンクをします。本当、様になりますね、こういう仕草。


「でも、さっきの神楽とは少し違って、お面を被るものなんだ」


「お面を……」


 ふと、大学で民俗学の講義を受けていた際のことを思い出しました。


 お面を被ることで、自分ではない者になる──というものです。たとえば、それは「神」だったり、「役」だったり。


 芸能だけでなく、神事にも用いられるお面には不思議な力が宿る、ということを学びました。そのため、様々な形に彫られたお面がたくさんあるそうです。


 なので、大上君が次の神楽でどのようなお面を被るのか、とても気になりますね。


「お面を被るとなると……更に暑いと思うので、しっかりと水分は摂って下さいね。気を付けないと、熱中症になってしまいますよ」


「うん、気を付けるよ。赤月さんを心配させたくはないからね」


 そう言って、大上君ははにかんだので、私も笑みを返しました。


 夕方に行われる次の神楽まで、あと数時間。

 まだ、夏の日差しは弱まることはないようです。

  

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