赤月さん、神楽を観る。
詩織さんが休憩から戻ってきた後、私とことちゃんも休憩に入るように勧められたので、お言葉に甘えて休憩を取らせてもらうことにしました。
境内にはたくさんの人が行き交っていますが、先程とは違って社務所と授与所は落ち着いてきています。
この後、神楽の準備のために織助さんは一時的に離れるそうなので、社務所は大上君のおばあさんが一人で受け持つそうです。
今から大上君達の神楽を観に行くと知ったおばあさんは、嬉しそうに表情を和らげ、ぜひゆっくりと観て欲しいと快く送り出してくれました。
そんなわけで、昼食を摂った後は午後から始まる神楽を観るために、私とことちゃんはいそいそと神楽殿へと向かいます。
「うぅ……。食べ過ぎた……」
「ことちゃんから、食べ過ぎたって言葉を聞くのは珍しいね……。でも、食べる前に言ったでしょう? 巫女装束を着ている時はほどほどにしないと、いつもと同じ量を食べると大変なことになるよって……」
「お昼ご飯が素麺だったから、これならいくら食べてもいける……! ……と思ったんだ」
「まぁ、確かに素麺はつるつる入って食べやすいけれど……。ことちゃん一人で三人前は食べていたよ? ……うーん、少しだけ横になる? それとも、食べ過ぎた時のために白ちゃんがお薬を常備していたはずだから、貰いにいく?」
「ううん、平気だっ。暫くすれば、落ち着くだろうし。……それより、大上の神楽を観に行こう!」
楽しみにしていただろう、と言わんばかりの笑顔を浮かべることちゃんに、私は小さく頷き返しました。
辿り着いた神楽殿の周囲には、神楽を観に来た人で溢れていました。どちらかと言えば、子どもよりも大人が多いですね。
私達は他の人達の邪魔にならないように出来るだけ端の方で、神楽の始まりを待つことにします。
ふと、空気が張り詰め、辺りはしんと静まります。その場にいる人達の視線は前方の神楽殿へと向けられていました。
現れたのは、巫女装束と千早を纏った二人の巫女。
一人は花織さんで、もう一人は大上君です。
二人は並んで、俯きがちに座っています。その手には五色の鈴緒が付いた、神楽鈴が握られていました。
大上君は髢と呼ばれる付け毛をつけていて、傍から見れば女性にしか見えないです。
美人姉妹だと言われても頷けるくらいで、私は口をぽっかりと開けたまま、大上君を凝視してしまいました。
静寂によって支配された空気の中、澄んだ笛の音がその場に響き渡ります。
それは、始まりの合図でもありました。
軽やかで美しい笛の音に合わせるように、二人の巫女がゆっくりと立ち上がり、神楽を舞い始めます。
しゃん、しゃんと鈴を振るたびに響く音。
腕を振る際に揺らめく白い袖と一つに結われた長い黒髪。
水が流れるように動く、五色の鈴緒。
全ての動作が洗練されていて、そして思わず息が止まってしまう程の優美さに、私は目が釘付けになっていました。
「凄い……」
隣に立って、同じように神楽を眺めていることちゃんがぽつりと呟きました。彼女の視線も、真っすぐ神楽へと注がれています。
独特な空気に引き込まれていた私ははっと我に返り、先日、詩織さんがこの神楽について教えてくれたことを頭の中で思い出しました。
鈴を鳴らすことでその場を清めるだけでなく、鈴の音には神様をお呼びする力が宿っているそうです。
つまり、この神楽は大上神社で祀っている神様をお迎えするための儀式の一つでもあると教えてくれました。
神楽を舞っている大上君はいつもとは違って、凛としているのに儚さを含んでいる様子に見えて、私はつい目を細めてしまいます。
直前まで、「嫌だ、嫌だ」と駄々をこねていた時が遠い昔のように感じますね。
周囲には大上君と花織さんの神楽に魅了され、うっとりとした表情を向けている方もいました。
神楽を最後まで舞い終わった二人は礼をしてから、壁代の向こう側へと下がっていきます。
さすがに「巫女」としての役目を果たしている間は、邪念を一切振り落としているようで、大上君は私の方に視線を向けることは一度もありませんでした。
そのことに密かに胸を撫で下ろしてから、私はことちゃんに声をかけます。
「神楽も終わったし、授与所へ戻ろうか」
「そうだな。……いやぁ、大上の奴、めっちゃ美人だったな。あれは女だけじゃなくて、男にももてるな。きっと後で、先程の神楽を舞っていたのは誰ですかって、問い合わせがくると思うぞ」
「……分かる……」
ことちゃんの感想に、私は全力で同意を込めた一言を返します。
「大上、性格には多少問題はあるけど、顔だけは良いもんな、顔だけは」
「ことちゃん……。何もそこまで、顔だけって連呼しなくても……。大上君は顔以外にも良いところはたくさんあるよ……?」
「たとえば?」
「うっ……。……き、気遣いが、出来るところ……? あとは……や、優しいところ、とか……。あっ、一途! そう、一途なところとか!」
必死に考えながら答えると、ことちゃんは鼻を鳴らしました。
「まぁ、その優しさは千穂限定だけれどな」
「そ、そうかなぁ?」
「あいつ、基本的にどうでもいい人間に対しては八方美人だろ。私や真白……あとは奥村達が相手だと素でいるけれど、それ以外の人間にはわざとらしい笑顔を張り付けて対応しているし」
「よく見ているね、ことちゃん」
「ふっふっふ。相手の弱点を見極めるためには、よぉーく観察し、情報を得ることが大事なんだぞ! ……って真白が言ってた」
どうやら、白ちゃんによる教えだったようです。
「……でもまぁ、千穂を何より大事にしてくれる奴だから、そこだけは……うん、良いところって言えるな」
ぼそり、とことちゃんが何かを呟きましたが私の耳では聞き取れませんでした。
「ことちゃん?」
「いや、何でもない! それより、社務所に戻って、詩織さんに巫女装束姿の大上の写真を見せないとな!」
「いつの間に写真を撮っていたの……」
「ちなみにこの写真は千穂のスマホだけじゃなくて、真白と大上のスマホにも送信済みだ!」
「……そうなんだ……」
後でスマホを確認した時の大上君の表情が目に浮かんできますね。
そんな話をしつつ、私達は授与所へと戻りました。