赤月さん、想い重ねる。
大上君の告白はきっと、彼がずっと胸に仕舞い続けていた淀みでもあったのでしょう。
私を抱きしめる彼の両腕は震えたまま、離そうとはしません。
「赤月さん」
「っ……」
耳元で囁くように大上君が名前を呼びます。そこには熱情が含まれていて、その声を耳に入れただけで私は動けなくなってしまいます。
「俺があの時、恋をしたのは確かに君だった。名前を知らない、君だった。それだけは間違いないんだ」
真剣な声色で、どうか信じて欲しいと言わんばかりに彼は言葉を続けます。
「俺は君に、『赤月千穂』に、間違いなく恋をしたんだ」
大上君は腕から私を離し、真っすぐ視線を向けてきました。揺らぐことのない瞳には、強い想いが宿っていると伝わってきます。
「好きだよ、赤月さん。大好きだ」
それは乞うように。
何かを願うように。
大上君は泣きそうな表情で私に告げます。
「これから先、何が起きようとも、この想いだけは絶対に変わらない。変えさせたりしない。俺の想いは君だけのものだ」
真摯にぶつけてくる気持ちは、私の中で空っぽになりかけていた部分を一瞬にして埋めていきます。
私は不安だったのでしょう。大上君が私に向ける気持ちが、本物ではなく植え付けられたものではないか、と。
それを恐れてしまうのは、私が大上君を──好きだから。
生まれて初めて、捨てきれないほどに強い恋慕を抱いたのは、大上君が初めてでした。
この先、色んな人と出会ったとして、私は果たして大上君以上に恋慕を抱く相手が現れるでしょうか。──いいえ、現れないと断言出来ます。
これが、きっと最初で最後の恋だと、私には分かるのです。この人以上に、好きになる相手なんて、一生現れないと。
好きだからこそ、偽りではないものを向けて欲しいと願ってしまったのです。
目の前の大上君はどこか縋るような表情を浮かべました。
だから、と大上君は言葉を続け、私の額に彼の額を重ねてきます。
「俺のことを無理に好きになってもらわなくてもいい。でも、これからも赤月さんを好きでいさせて欲しいんだ」
ただ、それだけでいいと大上君は言っているのでしょう。
私に、彼の想いを押し付けないために。
けれど、そんな言葉を聞いて、黙っていられるでしょうか。
「……大上君は私の気持ちを無視するのですか。私だって、大上君のことが──好きだと、言ったのに」
「っ、でもそれは……」
「私の気持ちは、自覚している以上、私のものです。……私は、大上君が好きです」
決して偽りでも、植え付けられたものでもない。他の誰でもない私が、心の中でゆっくりと育てた、大上君に対する気持ち。
「受け取って、くれますか」
「……!」
私が薄っすらと微笑めば、大上君は表情を崩しました。
「本当に……いいんだね? 俺が、受け取っても」
「……はい。きっと、こんな気持ち、大上君以外には渡しません」
「一生、離さないかもしれないよ? しつこいって思われるかも」
「今までと何か変わりますか?」
「愛が重いって思われるかもしれないし」
「ならば、受け取ってみせます。……だって全部、大上君の本物の気持ちでしょう?」
「っ……」
珍しく、大上君が顔を真っ赤にしました。中々、見られる顔ではないので、ついじっくりと見つめてしまいます。
「……ちょっと、まずい、かも」
「え?」
「……ずっと、抑えていたから……。胸の奥から、色々と込み上げてきて、我慢出来なくなりそう……」
「我慢? えっと、あの、大丈夫ですか?」
「大丈夫じゃない……。今までで一番、大丈夫じゃない……」
具合でも悪くなったのでしょうか。大上君は右手で口元を覆っています。
「ええっ……。あわわ……。どうすれば……」
もう一度、大きな石の上に座って休んだ方がいいかもしれません。私がそう促そうとしていた時でした。
視界が、影で覆われていきます。気付いた時には大上君との距離は消えていました。
目の前には大上君の顔があり、私の唇へと口付けを落としていたのです。
驚きのあまり、私は目を大きく見開いたまま、固まってしまいます。
軽く、けれど優しい口付けは時間を数える暇もないほどに一瞬でした。
大上君はやがて、私から顔を離していきます。その表情は少しだけ気まずそうでした。
「……ごめん。許可は取らなきゃと思ったんだけれど……我慢、出来なくて……」
「っ……」
私の身体は次第に、隅々まで熱くなってしまいます。
彼の、我慢出来なかった、という言葉の意味を理解したからです。
「きゅ、急に、は心臓に悪い、です……っ」
「うん、本当にごめん……」
私は大上君の顔を見ることが出来ず、思わず俯いてしまいます。
「ごめん、赤月さん。嫌、だった……?」
大上君が私の顔を覗き込むようにしながら、心配する声で言葉をかけてきます。
私は首を横にふるふると振りました。
「い、嫌というわけではないんですが……っ。こ、こういうことをする時は、ちゃんと前もって言って欲しいです……」
でなければ、心臓が破裂してしまいそうなほどに、音を立ててしまうので。
「……良かった。嫌じゃないんだね」
大上君は安堵したのか、ふわりと笑いました。
「……ねぇ、赤月さん。……名前で呼んでもいい?」
「え……?」
「二人きりの時だけでいいからさ。君を名前で呼びたいんだ」
本当はずっとそうしたかったと、彼は思っていたのでしょう。
それでも私の気持ちがちゃんと、大上君に真っ直ぐ向けられるようになるまで、待っていてくれたのかもしれません。
「……それなら、私も大上君を名前で呼びたい、です」
小さな声で返し、顔を上げれば、そこには長年求めていたものを得られたような満面の笑みがあった。
「うん、ぜひ呼んで欲しいな」
眩しくて、けれど泣いてしまいそうなほどに明るい笑み。
彼が心の奥底から喜んでいると伝わってきます。
「千穂さん」
少しぎこちなく、けれど柔らかな声で大上君は私の名前を呼びます。
実家の家族や幼馴染達から名前を呼ばれる時とは違うように感じるのは何故でしょうか。
「な、何ですか。……伊織、君」
案外、好きな人の名前を呼ぶって、難しいことなのかもしれません。つい、顔がかぁっと熱くなってしまいます。
「もう一回だけ、してもいい?」
それが何を意味しているのか、察した私は再び身体が熱くなるのを感じつつも頷き返します。
でも、恥ずかしすぎて顔を見ることが出来ない私は目をぎゅっと瞑り、その瞬間を待つことにしました。
目の前からは穏やかに笑った気配が伝わってきます。
大上君は私の両肩を優しく掴みつつ、もう一度──優しい口付けを落としてきました。
まるで、恋人のようなことをしているなぁと思いましたが、私達は紛れもなく「恋人」同士です。
気恥ずかしさだけでなく、求められて嬉しいとも感じてしまった私はつい、大上君の服の裾を握ってしまいました。
その時でした。
──ワォ──ン……。
低くも、延ばすような鳴き声が山の中に響き渡ります。
はっとした私達は鳴き声がした方へと同時に視線を向けました。
御神木が立っている場所から更に奥の獣道。
そこには苔で覆われた大きな石があり、その上に鳴き声の主が堂々とした姿で立っていました。
白く艶やかな毛並み、意志の強そうな双眸。
犬に似た生き物が石の上から私達を見下ろしていたのです。
まるで、おとぎ話に出てきそうな圧倒的な存在感に、私は唾をごくりと飲みます。
けれど、相手が野生の動物だというのに、畏怖は感じませんでした。
「……白い、狼」
大上君はぼそり、と呟きました。彼の瞳は、その動物を凝視しています。
白い生き物は私達を真っ直ぐ見据えると、もう一声、鳴きました。
その鳴き声が少しだけ、嬉しそうに聞こえたのは気のせいでしょうか。
やがて、白い生き物は私達から視線を逸らすと、山の奥に向かって走り去って行きました。
「……」
「……」
私と大上君は思わず、視線を交えます。
あの生き物は一体、何だったのか。
お互いの顔にそう書いてあるのに言葉に出さないのは、同じようなことを思っているからかもしれません。
先程の「犬に似た白い生き物」が──山の神の使いである狼で、もしかすると大上家の祖先である「織姫」だなんて、現実味が無さ過ぎて、口には出せません。
けれど、そうかもしれないとお互いに思ってしまうのは、白い生き物が遠吠えをした時、まるで私達に祝福を贈ってくれているように感じたからでしょう。
たとえ、それが現実味を帯びていないとしても、少なくとも私にはそう感じたのですから。
不思議なことを経験した私達は暫くの間、お互いに見つめ合っていましたが、同時に噴き出すように小さく笑い出します。
何だが、長いこと笑い合っていなかったような気分です。
でも、心の靄はすっかり晴れて、すっきりとした心地でした。
「……そろそろ、家に戻ろうか。朝食の時間になるだろうし」
「そうですね」
大上君が私へと手を伸ばしてきたので、自分の手をそっと重ねます。
いつまでも、ずっと繋いでいたいと口にしたら、彼はどんな顔をするでしょうか。そんなことを想像しつつ、私は大上君の隣を歩き始めます。
最後にもう一度だけ、振り返りましたが、先程の白い生き物はやはり居ませんでした。
それでも、こちらから見えないところから見守られているような気がして、温かな気持ちを抱いた私は背を向けます。
大上君の手をしっかりと握りしめたまま。
リアルが忙しく、長らく続きをお待たせしてしまい、まことに申し訳ございません。
三月の上旬か中旬くらいから、再び週一での更新に戻れそうです。
引き続き、「大赤」をよろしくお願いいたします。