赤月さん、真実を知る。
頭が真っ白になる、とはまさにこのことでしょう。おばあさんから、「青年」の名を聞いた時、何も考えられなくなりました。
赤い頭巾を被り、お人好しで、そして──「千吉」という名前。
もしかすると、偶然にも特徴が似ているだけの別人かもしれません。私達は直接、その人に会ったことはないからです。
それなのに──確証はないというのに、おばあさんが教えてくれた話と赤月家の先祖である「千吉」さんの話が合致している気がしてならないのです。
何故なら今もずっと、抱いてしまっている感情を知っているから──。
「……ああ、だから……だったんですね……」
私は思わず、独り言のように呟いてしまいます。
「初めてここに来たはずなのに……何も知らないはずなのに、何故か懐かしい気配がしたのは……そういうことだったんですね」
私自身、夢物語のような出来事が現実で起きるとは思っていない性格です。
もちろん、本などで読む分には楽しみますが、それと現実は別物ですから。
でも、今は違います。これまで抱いていた違和感がぴったりと合わさった心地がしてなりませんでした。
「赤月さん……?」
心配する表情で、大上君が私の顔を覗き込んできます。それがいつもならば、彼の本心だと分かるはずなのに、今だけは揺らいでしまうのです。
彼が私に向けるものは果たして──本物の感情なのか、と。
やっと、おばあさんが話してくれた内容に対して「理解」した時、じわじわと認めたくはないものが私を浸食していきます。
だから、あの時、おばあさんは私に覚悟を問いてきたのですね。知らなければ、純粋でいられたかもしれない、この感情を試すように。
「どうしたの、赤月さん? 具合でも悪いの?」
「……いいえ。いいえ、違うんです……」
私はふるふると首を横に振ります。彼の優しい声色に、何だか泣きそうになってしまいました。
「いるんです。私の先祖に……『千吉』という方が」
「えっ?」
「いつも赤い頭巾を被っていて、それが由来で『赤月』という苗字にしたと聞いています」
「そんな偶然が……」
「……いえ、きっと偶然などではありません。……その方は元々、私の故郷の人間ではありませんでした。遠くからやって来たそうですが、その時すでに何らかの出来事に巻き込まれたのか、記憶喪失になっていたそうなのです」
「記憶喪失に?」
聞き返してきたのは、おばあさんの方でした。先程までとは違い、ほんの少しだけ戸惑いの色が瞳に映っていました。
「ですが、彼が被っていた赤い頭巾に『千吉』という名が刺繍してあったことで、その人の名前だけ知ることが出来たそうです」
「……そう、だったのね」
おばあさんは目を細め、か細い声で呟きました。
まるで納得するように発せられた声には、どこか長年求めていたものをようやく見つけて安堵したような──そんな寂しさと肯定が込められている気がしました。
「……ねぇ、千穂ちゃんの故郷の名前を教えてもらってもいいかしら」
おばあさんは最後の確信を得るための問いかけのように、私へと訊ねました。私は頷き、故郷の地名を伝えます。
すると、おばあさんの瞳は一瞬だけ揺れ動き、そしてもう一つ、問いかけてきました。
「その近くに……とても大きな山はあるかしら? 確か山の名前は──」
おばあさんの口から零れた山の名前に、私は目を瞬かせます。
「その名前の山は地元で一番、有名な山なので知っています。私も小学生の頃、登ったことがあるので……。四季折々の花が咲いていて……それと昔から薬草がよく育つ土地で、『薬草の宝庫』と呼ばれていたと聞いたことがあります」
「ああ、そうなのね……」
私が地元で最も有名な山について答えれば、おばあさんはどこかはっとしたような表情をして、両手で顔を覆いました。
「お、おばあちゃん……?」
「あっ、私……何か、変なことを言ってしまいましたか?」
「違うのよ。ただ……やっぱり、千穂ちゃんのお家こそが、『千吉』の血筋だったと知ることが出来て……本当に、嬉しいのよ」
「それは……」
「『千吉』はね、妻となった『白い狼』にその山の名を教えていたの。まさしく、千穂ちゃんが住んでいた場所の近くにある山へ薬草を採りに……」
全てが分かってしまったと言わんばかりにおばあさんの声には歓喜のようなものが滲んでいました。
「良かった……良かったわ……。『千吉』は決して『白い狼』を──『織姫』との約束を破ったわけでも、逃げたわけでもなかった……。ただ、自身ではどうしようもない出来事が起きて、この地へと帰ることが出来なくなってしまっただけ……。それだけ、だったのね」
両手で顔を覆っているおばあさんの表情は、よく見えませんでした。
声は歓喜で震えているのに、何故か泣いているようにも聞こえて、分からなかったのです。
「やっと真実を知ることが出来たわ……。これでもう、心残りになることはない……。『千吉』の子孫を捜すという、大上家の長年の悲願はついに叶ったのね……」
両手を顔から離すとおばあさんはすっと立ち上がりました。そして、私の方へと顔を向けると穏やかに表情を緩めます。
その瞳が薄っすらと潤っているように見えたのは気のせいではないでしょう。
「千穂ちゃん、あなたにとっては複雑かもしれないわ」
「……」
「あなたのご先祖と私達のご先祖は元を辿れば一緒だということも、大上家の人間の血筋からくる『執着』のことも」
けれど、とおばあさんは言葉を続けました。
「どうか、伊織の気持ちを疑わないであげて欲しいの。……ちゃんと、言葉と想いを聞いてあげて」
「おばあちゃん!?」
大上君の制止を無視して、おばあさんは言葉を続けます。
「この子は笑って本心を隠すのが上手いの。だから、きっと、あなたに話していないことがたくさんあるはずよ。それを聞いた上で、あなた自身の想いと言う名の答えを出す前にもう一度、見つめ直して欲しいの。……そうすれば、後悔のない選択をすることが出来るはずよ」
「私、は……」
何も言葉が返すことが出来ない私に、おばあさんは優しげに微笑みかけました。
「私はもう、行くわ。……後は、二人で話さなければならないことだから。……伊織」
おばあさんは大上君の前で立ち止まると、座っている彼の肩を軽く叩きました。
「逃げては駄目よ。……あなたが、本当に千穂ちゃんとの未来を求めているならば、ここでしっかりと自分のことを話しなさい」
「っ……」
それだけ伝えて、おばあさんは私達をこの場に残して、家の方へと歩いて行きました。
「……」
二人の間に漂うのは無言だけで、夏の暑さを忘れてしまう程の、冷たく寂しい空気がその場を満たしていました。