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赤月さん、はじまりの名を知る。

  

「……では、ご先祖の青年が約束したことはどうなったのでしょうか」


 やはり、夫婦となったと言っても、自分を差し出すことで、白い狼に豊穣をもたらしてもらう約束をしていた以上は、全ての約束が叶った後に食べられてしまったのでしょうか。


 しかし、おばあさんは何故か目を細め、一瞬だけ悲しみが込められた表情を浮かべていました。


「もちろん、青年は約束を忘れてはいなかったわ。いつか、自分を狼が食べると分かっていても、それでも彼女()に惹かれてしまった。……そして、夫婦として契ったことでやがて、二人の子どもを授かることになった……」


「え……それじゃあ……」


 それならば、青年は食べられなかったのでしょうか。

 私が続きの言葉を待っていると、おばあさんは少し遠くに視線を向けて、小さく呟きました。


「……でもね、いなくなってしまったのよ」


「え?」


 おばあさんの口から零れた言葉に、私はつい聞き返してしまいます。


「白い狼が──子どもをその身体に宿し、あと数か月後には生まれるという月日まで来ていた頃、青年はいなくなってしまったの。狼から逃げたわけではないのよ。彼は……自分の妻となった狼を気遣い、身体に良い薬草を求めて出掛けたの。……けれど、それっきり、ここに帰ってくることはなかったらしいわ」


 一瞬、息を吸えず、私はおばあさんを凝視したまま、動けなくなっていました。


「ずっと待っていても、青年は帰ってこなかった。捜しに行きたくても、身重だった狼は動くことが出来ず、この場所で待ち続けるしかなかったの」


「っ……」


「でも、狼は決して、青年に裏切られた、なんて思ってはいなかった。恨むこともなかった。きっと、予想していなかった何かが青年の身に起きたのだと、ずっと彼を案じていたわ。何故なら、青年はどうしようもない程に素直で、自分以外のためにしか勇気が出せない──そんな臆病で、お人好しで、優しい人柄だったから」


 おばあさんはまるで全てを見てきたような表情で、続きを話してくれました。


「そして、とうとう子どもが生まれたの。それでも……青年は帰ってこなかった。もう、その頃にはこの場所は『大上神社』と呼ばれるようになっていたわ。恩恵を受けていた村人達はいつの間にか、山の神とその使いである狼を祀るようになったの。やがて、生まれた子どもが大上神社の最初の神主となり、そして『大上家』の当主となったわ。それから、ずっと大上神社は続いているの。……いつでも、青年がこの場所に帰ってきてもいいように……。そう、まるで目印のようにね」


 おばあさんは目の前の巨木に視線を向けます。きっと、この御神木も大上神社と共に、長い月日を越えてきたのでしょう。


「我が子の成長を見届けた狼はその後、姿を消したらしいわ。もしかすると、青年を捜しに行ったのかもしれないし、山の神の御許へ戻ったのかもしれない……。時折、山の中で白い狼の姿を見かけることはあったらしいけれど、それが本人かどうかは分からないままで……。結局、狼が人と接することはそれ以降、なくなったようなの。けれど……それでも、残された『大上()』の血筋だけはずっと、青年の痕跡を捜している──。数百年が経った今でも、この身体と血は無意識に『彼』を捜し、求め続けているの」


「……」


「それは、かつての祖先である二人が交わした約束を果たすためなのか、もしくはもう一度、ただ会いたいと(こいねが)っているからなのか──分からないけれど」


「……でもさ、おばあちゃん」


 おばあさんの話をそれまで黙って聞いていた大上君が、首を傾げながら訊ねます。


「我が家の『伝承』と赤月さんとの関係性が見えてこないんだけれど」


「あら」


 おばあさんはほんの少し驚いた表情を浮かべ、それから困ったように眉を下げつつ、右手で頬を支えました。


「伊織なら、とっくに気付いていると思っていたのだけれど……。……だって、無意識に千穂ちゃんに()()しているでしょう、あなた」


「──おばあちゃんっ」


 大上君はどこか窘めるように声を上げたので、私は驚いてしまいました。


「それ以上、赤月さんに言わないで」


「……まだ言っていないの? 我が家特有の『性質(たち)』のこと」


 何の話をしているのか分からない私は、小さく首を傾げます。ですが、大上君の表情は何かに怯えるように強張っていました。


「これからもお付き合いしていく以上は、早めに千穂ちゃんに伝えた方がいいと思うわ」


「でもっ……」


「あなたのその感情は確かに本物でしょう。……好きになった相手に深く執着するこの性質は大上家の血筋の者ならば、誰にだって表れているもの。けれど、伊織。あなたは……この血筋の中では特に段違いで、先祖返りと言っていい程に『血筋』が濃いわ」


 大上君は私の反応を気にしているのか、互いの目が合った瞬間、彼は表情を歪めていました。


「歴代の大上家の中で、最も『白い狼』の血筋が濃く表れているあなたが、何故──『()()()()』ちゃんを求めたのか……」


「っ……。違うっ! 俺は……。俺が赤月さんを求めたのは血筋のせいなんかじゃない……!」


 大上君は小さく叫びつつ、立ち上がりました。その表情は確かに怯えが浮かんでいて、瞳は大きく揺れています。


「あの……。ええっと、その……どういう、こと……ですか?」


 執着とか血筋とか──あまり、日常的に聞く言葉ではありません。それに「血筋」が、私に執着している──これは一体、どういう意味なのでしょうか。


「違う、違うんだ、赤月さん。俺は……ちゃんと、君を……」


 上手く言葉に出来ないのか、大上君は顔を俯かせながら、気が抜けたように再び座りました。

 そんな大上君にどのような言葉をかければいいのか分からず、視線を迷わせている私におばあさんは穏やかな声色で声をかけてきました。


「私はね、千穂ちゃんに初めて会った時に確信したわ。……たとえ、自分の占いに『兆し』があったとしても、直接この目で確認するまでは信じられない──なんて思っていたけれど……。……でも、千穂ちゃんに会った瞬間に、ひどく懐かしい気配を感じて、やっと確証を得られたの」


「えっと、あの……」


 戸惑う私に、おばあさんは眩しいものを見るような表情をこちらに向けてきます。


「……けれどね、確証を得られた理由はもう一つあるの。……『大上』家の名前の由来は『狼』からきているものだけれど、もし『青年』がそのまま初代当主になっていたら、別の苗字だった可能性もあったのよ」


「えっ!? 俺、そんな話、一度も聞いたことがないんだけれど」


「ええ、だって初めて伊織には伝えるもの。……もしかするとあり得たかもしれない仮定の話だから、頻繁に聞かせるわけにはいかないでしょう」


 おばあさんは困ったような口調で大上君に告げ、そして話の続きを始めました。


「……青年は常日頃から赤い頭巾を被っていたから、もし──もし、苗字を名乗る日が来るならば……。赤い頭巾、という言葉から取って、『あかつき』という苗字にしようかと言っていたらしいわ」


 ひゅっと、息を吸ったのは私と大上君、一体どっちだったのでしょう。もしかすると、同時だったのかもしれません。

 途端に心臓がばくばくと音を立て始め、身体からは汗が噴き出そうな感覚が巡っていきます。


 「あかつき」という、苗字を持っている人は全国を見ても、多くはない苗字であることは知っています。

 私の苗字である「赤月」も、家族以外に同じ苗字を名乗っている人と出会ったことはありません。それくらいに珍しい名前です。


 だからこそ、上手く言葉に出来ない焦燥感にも似た何かが、身体中を巡っていく気がしてなりませんでした。


「ねえ、千穂ちゃん」


 名前を呼ばれた私はぎこちなく、おばあさんの方に顔を向けることしか出来ませんでした。

 何故か息が詰まって、返事が上手く出来なかったからです。


「あなたの先祖に、赤い頭巾を被っている人はいなかったかしら?」


「赤い、頭巾の……」


 本当は、そのような人物が過去の赤月家にいたことは知っています。

 だって、この前、実家で──おじいちゃんから聞いた話と似ていたので。


 何かが繋がろうとしているのに、私の頭の中ではそれを拒否していて、上手く整理が出来ず、混乱だけが自意識を留めていました。


「あのっ……。なまえ……。その、青年の……お名前は、何だったのですか」


 やっと絞り出た言葉は散り散りで、隣に座っている大上君が、大丈夫かと背中に手を添えてくれました。

 その手に宿る熱は本物なのに、どこか現実味を帯びていないように感じるのは何故でしょうか。



「私達の先祖の『青年』の名はね……。──『千吉(せんきち)』と言うの」


「え」


「いつも赤頭巾を被っていたから、『赤頭巾の千吉』と呼ばれていたそうよ」




 まるで、頭を後ろから殴られたような衝撃が襲ってきて、思考は白く染められていきます。

 浮かんでくる感情は、何と呼べばいいのか分からず、ただ茫然とするしか出来ませんでした。


 

    

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― 新着の感想 ―
[一言]  ここで千吉さんの名前が出て来るとは驚きましたー。一言ですみません。
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