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赤月さん、狼信仰を知る。

 

 おばあさんの話に、私はぽつりと言葉を漏らしました。


「白い、狼……」


「ええ。それは、それは、とても神々しい姿をしていたと言い伝えでは残っているの。……その姿を見た青年は、目の前に現れた狼が普通の獣ではないとすぐに察したらしいわ」


 私は本物の狼を見たことはないので、その姿は犬と似ている生き物としてのあやふやな想像しか出来ません。

 恐らく、おばあさんが話してくれる言い伝えが始まった時代には「狼」の目撃件数は多かったのでしょう。


「元々、この地には山の神がいるのだけれど、その神の使いに『狼』がいることは、地域の伝承として細々と残っているのよ。まぁ、直接的に人間に干渉してくることは少なかったらしいから、当時の村人達の間でも、わずかな口伝しか残っていなかったのだけれど」


「おばあちゃん……。こういう口伝とかを収集するの、本当得意だよね……。一番、フィールドワークに合っている性格じゃん……」


 大上君の言葉に、おばあさんは小さく笑い返していました。


「……そして、山の神の使いとして現れた狼に向かって、青年は告げたの。自分を食べて構わないから、どうか村を豊かにして欲しい──と」


「それ、は……」


 ざわり、と熱くなった血が身体中を巡るような感覚がしました。


「青年は自身を生贄として捧げることでしか、村や村人達が豊かさを得られないと思ったのでしょうね。……すると、狼は自身を恐れることなく物申した青年の気概と彼が大事にしているものに対する献身的な心を気に入ったのか、願いを叶えることを約束してくれたの。狼が青年を食べるという()()のもと、村を庇護し、豊穣をもたらしてくれる約束を」


 大上君が言っていたように「おとぎ話」という言葉が頭を過ぎっていきます。


 おばあさんが話してくれる伝承は、昔話として子どもに聞かせるものと同じように思えるのに──それなのに、どうしてこんなにも身体の奥底から湧き上がってくるものがあるのでしょうか。


 その感情を何と言葉にすればいいのか、分からないのです。奇妙な心地を抱きつつも、私は再びおばあさんの話に耳を傾けました。


「その後、狼は約束通りに、凶作が続いていた村に豊穣をもたらしてくれたそうよ。飢えで苦しみ、死ぬ人は減って、村人達は少しずつ生活に余裕が持てるようになって……文字通り、村は()()()の。それが由来となり、村人達は神の使いである狼を篤く信仰するようになったらしいわ。これこそがこの辺りの地域での『狼信仰』の始まりなの」


 すると、おばあさんは私の方に視線を向けて、穏やかな声で問いかけてきました。


「千穂ちゃんは、『狼信仰』というものが、どういった信仰なのか、知っているかしら」


 その問いに対して、特に深い知識を知っているわけではないと私が素直に答えれば、おばあさんはそうなのね、と優しく笑みを返してくれました。


「狼は獣として恐れられていたけれど、農業が盛んな場所では田畑を荒らす害獣を追い払ってくれることから益獣の側面も持っていたのよ。だからこそ、畏敬や感謝の念を込めて『信仰』されるようになったのだけれど、これが日本各地で狼が信仰される主な理由の一つね」


「大上神社の入り口に狛犬じゃなくて、石製の狼像があるけれど、他にも絵馬に描かれている絵も狼だし、それとお祭り当日には『お犬替え』もあるんだよ。まぁ、他の地域の狼信仰と多少の違いはあるかもしれないけれど。……あ、この場合の『犬』は『狼』を指す言葉なんだけれどね。他の信仰地域では『お犬様』とか『御眷属様』って呼ばれているらしいよ」


 おばあさんの話に続くように、大上君は説明してくれました。さすが、狼信仰について調べていると言っていただけあって、とても詳しいですね、大上君。


「……そういえば詩織さんが今日の午後に『お犬替え』について教えると言っていましたが、もしかして……」


「うん、それだよ、それ。……毎年、大上神社では白い狼の絵が描かれたお札を作っているんだけれど、お祭りの際に初穂料を納めた人に渡しているんだ。そして、渡すついでにその人が去年、貰っていったお札を持ってきてもらって、交換するんだけれど、そのことを『お犬替え』って呼ぶんだよ」


 なるほど、「犬」と「犬」を替えるから、「お犬替え」というんですね。初めて知りました。


「貰ったお札はどうするんですか?」


「家ごとで違うと思うけれど、玄関や神棚に飾ったり、あとは……畑とかにお札を張った枝を立てたりしているかな。主に害獣除けや火災除けのご利益があるんだ」


「そうなのですね……」


 大上君の話を聞きながら、私は頷き返します。


 狼信仰が今もこの地域で続いているのは、きっと狼から豊穣をもたらされた村の人達が、深い「感謝」をしていたからでしょう。

 その気持ちは長い年月が経った今でも忘れられることなく、ずっと続いているのだと気付いた私の胸の奥には、何故か温かいものが広がっていく気がしました。


 ですが、ふと疑問に思ったのは伝承の続きについてです。


「あの……。それで、狼さんと約束をした青年の方は一体、どうなったのでしょうか……?」


 私が恐る恐る訊ねてみれば、おばあさんは柔和な表情を浮かべ、続きを話してくれました。


「白い狼は村に豊穣をもたらすことを約束した上で、害獣の被害から守るためにしばらく留まることにしたの。それが今、大上神社がある場所なのよ。……青年はその後、村に益を与えた存在として称えられ、更に白い狼との仲介者として選ばれて、この辺りの土地を山ごと貰ったそうよ」


「そういうわけで大上家は割と土地持ちなんだよねぇ。まぁ、管理は大変なんだけれど」


 大上君はうん、うんと深く頷いています。


「青年と白い狼は共に暮らすようになったのだけれど……。この時、白い狼は青年に合わせて人の姿を取るようになったらしいわ。人とは思えない程に美しい容姿の女性だったと伝承に残っているのよ」


 さすがに絵姿は残っていないけれど、と言っておばあさんは苦笑しました。


「まぁ、つまりは雌の狼だったってことだけれど……。この後の話が本当に『おとぎ話』過ぎるんだよねぇ。だって、狼が人間に変化したと言っても、人体的な部分では普通の人間と同じというわけではないし……。一体、どういう仕組みをしているのかって、話なんだけれど」


「もう、伊織ったら……。そんな野暮なことを言わないの。こういうことは深く考えずに『そういうものか』と受け取る広い心が大事なのよ。……それに白い狼が人の姿に変化していなかったら私達も生まれていないのだから」


 そういえば、おばあさんは大上家の長子で、婿を取って家を継いだと、大上君が言っていましたね。

 昔の言い方をするならば、「当主」のようなものでしょうか。


「だって、現実的に考えて疑いたくもなるよ……。……でもまぁ、狼の血筋を継いでいるのは自覚があるから、全否定は出来ないんだけれど」


 大上君が最後に呟いた言葉は小声で聞こえづらかったので、視線で何と言ったのかと問いかけてみましたが、大上君はただの独り言だよと言って、苦笑を返すだけでした。


 

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