赤月さん、大上君と朝の散歩をする。
大上君と共に外へと出て、地面を踏みしめるようにゆっくりと歩きます。
山に近いからか、朝の空気はお昼と比べるとかなり涼しいものでした。
空も少しずつですが白んできていて、私はその光景を眺めつつ、思わず目を細めてしまいます。
「赤月さん、大丈夫? 寒くはない?」
大上君が心配するように顔を覗きこんできたので、私は首を横に振りました。
「大丈夫です。涼しくて、ちょうど良いくらいですよ。大上君は寒くはありませんか?」
「俺は慣れているからね。それにこのくらい涼しい方が、気持ち良いよ。……まぁ、時間とともに暑くなっていくと思うけれど」
「それじゃあ、朝だけの特別な涼しさってことですね」
「ふふ、そうだね」
大上君とゆっくりと歩きながら会話する内容は、本当に何気ないことばかりです。それでも、楽しさと嬉しさが混じったような感覚が胸の奥いっぱいに広がっていきます。
「……静か、ですねぇ」
「そうだねぇ。今の時期は特に神社関係者の出入りが多いから、人がいない時間帯は珍しいかもね」
ぴんと張っている糸のように、私達の周りには静けさが漂っています。その静寂を二人だけで独占出来るのは、まさに早起きの特権というやつですね。
「……あ、大上君」
「何かな?」
「あの……。御神木がある場所って、今の時間帯、行っても大丈夫ですかね?」
私がそう告げると大上君は少しだけ意外そうな表情を浮かべていましたが、すぐに笑顔になり、頷き返してくれました。
「うん、問題ないよ。それに元々、あの場所は……まぁ、簡単に言えば祈りを捧げるような場所だから、誰でも出入りが自由になっているんだ。もちろん、御神木本体を傷付けたり、周囲を汚したりすることは禁じられているけれどね」
大上君は御神木がある方向に視線を向け、ほんの少しだけ目を細めていました。
「御神木がある場所、気に入ったの?」
「初めて行った時、とても懐かしい心地がして……。ずっと、あの場所にいたいなぁって、思ったんです」
「そっかぁ……」
大上君と共に、御神木がある方向へと歩き始めます。その足取りは思っていたよりもゆっくりでした。
「俺もね、あの場所が好きなんだ」
ふわり、と朝の風が前髪を揺らしていきます。涼しい風はとても柔らかで、気持ち良いものです。
「小さい頃、悩んだ時や嫌なことがあった時はよくあの場所に行っていたなぁ」
懐かしむように、大上君は呟きます。それはまるで、他の誰にも話していない秘密の話のようにも聞こえました。
「樹の根本に腰かけているとね、いつも柔らかい風が頭を撫でてくれるんだ。……まぁ、子どもだったから、そういう風に勘違いしていただけだと思うけれど、何だか──慰めて貰っている気がして」
「……」
「俺にとっては大事な場所でもあるんだ。だから、赤月さんも気に入ってくれて、凄く嬉しい」
大上君は柔らかな笑みを浮かべ、私に微笑んできます。あまりの眩しさに目を瞑ってしまいそうでしたが、ぎりぎり耐えました。
御神木に続く道には木々が真っ直ぐ立っていて、その隙間を縫うように爽やかな風が通っていきます。
先日、訪れた以降はお祭りに備えて学ぶことが多くて、中々こちらに来ることが出来ませんでしたが、やはり何度来ても心が落ち着く素敵な場所です。
すると、大上君が何かに気付いたのか、一瞬だけ立ち止まりました。
「あれ? ……もしかして、おばあちゃん?」
「えっ?」
大上君の言葉に私も驚いてしまいます。
まさかこんな早い時間に、と思いましたがお年を召した方の中には早寝早起きの方がいるので、あまり不思議なことではありませんね。
私は伸び上がるようにしながら前方に視線を向ければ、先日と同じ大きな石の上に座っている大上君のおばあさん、真織さんがいました。
おばあさんは私達に気付いたのか、閉じていた瞳をぱちりと開き、頬を緩めました。
「あらあら、まぁまぁ……。二人とも、おはようさん」
眠ってはいなかったようなので、もしかすると瞑想のようなものをしていたのかもしれません。もし、お邪魔してしまったならば、申し訳ないです。
「おはようございますっ……」
「おはよう、おばあちゃん。本当、相変わらず早起きだね」
大上君はおばあさんがいつも早起きだと知っているのか、特に驚くことはありませんでした。
「いつもはもう少し遅いのだけれど、今日は二人がここに来る日だって、占いに出たから待っていたのよ」
「おばあちゃんの占いは本当、よく当たるなぁ」
大上君は肩を竦めていますが、私はつい首を傾げそうになってしまいます。
すると、そんな私に気付いたのか、大上君が小さく苦笑しながら教えてくれました。
「おばあちゃんはね、占いが得意なんだ」
「占い、ですか」
朝のニュース番組などでたまに、その日の運勢などが流れてきますが、それと似たような感じですかね。
「おばあちゃんが得意なのは『岐路』に関する占いかな。俺自身、占いはあまり信じない性質なんだけれどね。でも、おばあちゃんの占いは……ちょっと引くくらいに当たるんだよね」
「……」
大上君の顔が少し引いています。確かに大上君が日常の占いで一喜一憂している姿を見たことはありませんが、彼が言っていることは嘘ではないと何となく思いました。
私が不思議そうにおばあさんを見ていると、こちらが安堵するような優しい笑みを浮かべて、ぽんぽんと自身が座っている石に腰かけるようにと促してきました。
「大丈夫、取って喰おうなんて、考えていませんよ。私は視えたことを好き勝手に話すだけ。お金も取っていませんし、怪しい宗教の勧誘なんかじゃないから、安心しなさいな」
「は、ひっ……」
思わず緊張で声が裏返ってしまいましたが、大上君もおばあさんも私を笑うことはありませんでした。
おばあさんが座っている石の隣にちょこんと腰掛けると、大上君は私の隣に座ってきました。
「それで、おばあちゃん。赤月さんに何か言いたいことがあるんでしょ?」
大上君はまるで世間話をするような気軽な口調で問いかけました。
「そうねぇ……。でも、これはあなたに関することでもあるのよ、伊織」
「えっ、俺も?」
「今日はね、大きな『岐路』が視えたの。あなた達二人の……。いいえ、『大上家』と『赤月家』の、大事な、大事な縁の岐路……」
おばあさんはどこか遠くを見るような瞳をしていましたが、その語り口調は昔話をしているようでした。
どうして、そこで私の家、「赤月家」が出てくるのでしょうか。
不思議に思った私は小さく首を傾げるしかありませんでした。