赤月さん、大上君の練習を見る。
次の日からさっそく、お祭りに向けた準備と練習が始まりました。
大上君は神楽舞の練習をするために、花織さんと一緒に神楽殿に行っています。
白ちゃんは神社内の掃除に駆り出され、巫女装束に着替えた私とことちゃんは詩織さんの指導のもと、社務所の中で参拝者の応対の仕方やお守りの授与の仕方を教わっていました。
もちろん、詩織さんも私達と同じように巫女装束を纏っています。
「お祭り当日は言葉遣いにも気を付けてね。参拝者への応対の仕方について、参考になるように例文をまとめたものを作ったから渡しておくわ。あとで休憩の時に真白君にも渡しておいてね」
「あっ、ありがとうございます……!」
「凄く分かりやすいですね」
パソコンで打ち込まれた文章を印刷し、冊子になったものを三部、貰いました。
わざわざ作って下さったようです。ありがたく使わせて頂きたいと思います。
「ふふ、いいのよ。初めて巫女のアルバイトをする子達にはいつも同じものを渡しているの。口で言って教わるよりも、参考になるものが手元にあって、確認しながら覚える方が分かりやすくていいでしょう? それじゃあ、その冊子を見ながらでいいから、私を参拝者だと思って練習してみましょうか」
「はいっ、宜しくお願い致します!」
詩織さんの指導はとても丁寧で分かりやすく、間違えた時には決して否定せずに優しく教えてくれました。
私もことちゃんも、初めてだったので身体が固まっていたのですが、親身になって教えて下さったので、いつの間にか自然に動けるようになっていました。
「──それじゃあ、ここまでにしようか。もうすぐお昼の時間だし」
「え?」
突然、詩織さんにそう言われて、驚いた私は近くの壁にかけられている時計に視線を向けます。
時計の針はいつの間にか十二時を指していました。
「えっ、十二時!?」
ことちゃんも私と同じように驚いています。
そして、お昼だと認識したからでしょうか。お腹の虫が小さく音を立てていました。随分と長いこと集中していたのでその分、お腹が空いたのでしょう。
私も十二時だと知った瞬間に、急に空腹に襲われ始めました。
「ふふっ、時間を忘れるほど集中して覚えようとしてくれて、とても嬉しいわ。さて、お昼ご飯を食べに行きましょうか」
お昼ご飯は大上君のお母さんとお祖母さんが冷やし中華を作ってくれているそうです。
その話を聞いたことちゃんは、一瞬で頭の中がお昼ご飯のことでいっぱいになったようで、にやりと笑っていました。
三人で社務所から出て、家の方に向かおうとしていた時でした。
ふと、神楽殿の方から笛の音が聞こえて、私達は立ち止まります。
「ああ、練習中ならお昼のサイレンは聞こえてなさそうね」
詩織さんは神楽殿の方を見ながら苦笑しました。
神楽殿では大上君と花織さん、そして神主である大上君達のお父さんが神楽舞の練習をしているはずです。
お昼のサイレンとは、決まった時間に市役所が鳴らしてくれるものです。
地域によって、鳴らしてくれる時間が変わってくるようですが、大上君の地元では七時と十二時、それと十七時と二十一時に鳴るようです。
神楽殿の方からは笛の音が一定の音量で吹かれており、時折、鈴の「しゃん、しゃん」と鳴る音も響いてきています。
確かに音が重なっていたら、お昼のサイレンの音は届いていないかもしれません。
「千穂ちゃん。悪いんだけれど、伊織達にお昼ご飯の時間だって伝えてきてくれる? 小虎ちゃんには、お昼ご飯の準備を手伝ってもらってもいいかしら?」
「分かりました」
「了解です」
私とことちゃんはすぐに頷き返して、頼まれたことを実行するためにその場で別れることにしました。
社務所から少しだけ歩いた場所に神楽殿は建っています。
まだ、大上君達は神楽舞の練習をしているようで、笛と鈴の音が途切れることはありませんでした。
頃合いを見て、声をかけようと思ったのですが、視界に映った光景に目を奪われた私はいつの間にか動けなくなっていました。
神楽舞の練習として白の小袖と袴を纏った大上君が真剣な表情で、舞台の上に立っていました。
共に並んで立っている花織さんと合わせるように、しゃん、と鈴を鳴らしてはまるで水の流れを描くように舞を舞っています。
本当に同じ世界にいるのかと疑ってしまいそうなほどに、美しい舞でした。
大上君は練習が億劫だと言っていましたが、彼がここまで美しい舞を踊るまでにどれほど練習してきたのか、素人の私でも分かります。
いつものふにゃりとした笑顔も好ましいですが、真剣な表情でただ一心に舞を踊り続ける大上君の姿は目が逸らせないほどに格好良くて、私はぽかんと小さく口を開けて見入っていました。
やがて、鳴り響いていた笛の音が終わりを告げ、大上君達が持っている鈴が最後に締めるように「しゃん」と鳴った後は静けさが戻ってきました。
まるでこの世界ではない場所にいたような心地がしていた私でしたが舞が終わった後には、はっと我に返りました。
すると、舞台上で舞を舞っていた大上君がすぐ近くで様子を見ていた私の存在に気付き、ぱぁっと表情を明るくさせます。
「あれっ、赤月さん!? こんなところまで来て、どうしたの?」
先程までの真剣な様子とは打って変わって、大上君は飼い主を見つけた子犬のような笑顔をこちらに向けてきます。
「ええっと、お昼ご飯の時間なので、呼んできてほしいと頼まれまして」
「えっ? うわっ、もう、十二時か! ──父さん、お昼ご飯だってよ」
大上君は後ろを振り返り、舞台の端の方に座っている彼のお父さんへと告げます。
どうやら、先程の笛を演奏していたのは大上君のお父さんだったようです。
「おや、もうそんな時間か。……それじゃあ、片付けをしてからお昼ご飯を食べにいこうか」
「伊織。鈴、片付けておくから、貸して。千穂ちゃんと先に戻っていていいよ」
「ありがとう、姉ちゃん」
大上君は持っていた鈴を花織さんへと渡します。
近くにあった階段から降りてきた大上君は、階下に並べられていた草履を履いてから私のところへと少し速足で向かってきました。
「呼びに来てくれてありがとう、赤月さん。……うっ……改めて赤月さんの巫女装束姿を真正面から見ると、その清廉さと可憐さに目がやられてしまう……!」
「その台詞……今朝、私が着替え終わった時にも言っていましたよ……」
「心に抱いたことは同じ想いであろうとも、何度も言葉にすると決めているからね」
きりっとした表情で言っていますが、その顔の下が少しだけにやついているのが丸分かりですよ。
「……大上君も、神楽舞を舞っている姿、普段とは違って見えました」
「あ、見ていたんだ。えへへ、恥ずかしいなぁ~」
「鈴を振るたびに空気が一掃されていく心地がして、とても不思議な光景に見えたんです」
もっと見たい、ずっと見たい。
そう思ってしまうほどに、目を逸らすことは出来ませんでした。
「凄く……素敵でした。思わず、ずっと見入ってしまうほどに」
私がそう呟けば、大上君は両手で顔を隠していました。耳が赤いです。
「お、大上君っ?」
「うぅぅっ……赤月さんに褒められたぁ……。嬉しいよぉ……」
嬉し泣きしているようです。心の中で本当に思っていることとは言え、少し褒めただけなのに……。
「よし、本番では赤月さんの心を魅了出来るくらいに素晴らしい神楽舞が舞えるように、これからは練習も真面目にやることにしよう」
「今まで真面目じゃなかったんです!?」
「ははっ、冗談だよ。……でも」
大上君は穏やかな視線をこちらに向けつつ、右手で私の左耳にそっと触れてきました。
「君が息をするのを忘れるほどに、目を逸らすことが出来ない……そんな神楽舞を舞ってみせるって約束するよ」
「……」
その瞳は優しげで、でもどこか切なさが含まれているものにも見えました。
「……まぁ、さっきの神楽舞は巫女装束を着て、舞うんだけれどね……」
急に遠い目をする大上君でしたが、かなり本格的な巫女さんになってから舞うと聞いています。
「き、きっと大上君ならば、何でも似合いますよっ……」
「うん……。慰めてくれてありがとう、赤月さん……。俺、頑張るよ……」
しょんぼりとしている大上君ですが、本当は巫女装束を着た彼を見てみたいなぁと思ったことは口には出しませんでした。