大上君、独白する。
赤月さんが駆けていく姿を俺は目を細めながら見送っていた。
「……ちょっと、格好悪いところを見せちゃったかな」
周囲に誰もいないため、この独り言を聞かれる心配はない。
「赤月さんが俺のことを知りたそうな様子だったのは嬉しかったけれど、さすがにあの話は俺が情けなさすぎで惨めだし……」
苦笑しながら、俺は歩きだす。本当は赤月さんに俺達は大学に入学する前に、一度会っているんだよと伝えたかった。
その時に、俺は君に惚れたんだって。
でも、あまりにも格好悪い自分だったから、赤月さんには思い出して欲しくはなくて、惚れた理由を告げないまま、彼女を追い続けた。
好きだった。
好き過ぎて、どうにかなりそうだと思えた程に。
「本当に好きなんだけれどなぁ、食べたいくらいに」
赤月さんに会うまで自分がこれ程、執着しやすい人間だとは思っていなかった。
高校生の時は、それなりに人付き合いはしていたけれど、割と淡々と過ごしていたように思う。
興味がなかったんだ、自分にも他人にも。
それは無関心に近い程で、誰かの言葉や感情に大きく心を揺らされることなんてもちろんなかった。
それなのに──。
「君が俺の世界を変えたのに、君は気付いていないんだよね、赤月さん。そういうところも好きだけれど」
ふふっと笑みを浮かべつつ、俺にとって初めての甘い──いや、苦い思い出が頭の中に蘇ってくる。
俺が赤月さんと初めて会ったのは、数か月前だ。
受験生だった俺はこの明華大学を受験することを何となく、という理由で決めていた。
家族──とりわけ、祖母は自分がこの大学を受けることを強く望んでいたのはとりあえず、置いておく。
別に祖母に言われたから、この大学にしたわけじゃないし。あくまでも助言を貰っただけだ。
だから、これとは別の理由で受験することを決めたのだけれど、他人に理由を聞かれれば、少しだけ首を傾げられるようなものかもしれない。
俺の実家である大上家は他家と比べると少し特殊だけれど、それを表立って言うことはなかった。
見た目も特に普通の人間とは変わりないし、自分は至って普通だと思っている。
ただ、それでも──血筋には現れるものだ。
「……」
鼻先に感じ取ったのは赤月さんの匂いだ。彼女の匂いはずっと嗅いでいたいと思える程に、どこか切なくなってしまう香りを纏っている。
こんなにも距離が離れているのに、彼女の匂いを捜しては見つけてしまう。それは自分の特殊な体質の一つでもある。
大上家の血筋には獣である狼の血が混じっていると代々、言い伝えられてきている。
もちろん、それが本当の話なのか、先祖の作り話なのかは分からないけれど、その狼は神の使いだったと言われている。
神の使いととある人間の男が契りを交わしたことで、のちに「大上家」は生まれたらしい。
ある日、とある人間が神の使いだった狼に「いつか自分を食べさせる。だから、この村を豊かにして欲しい」と願ったと実家に遺されている文献には書かれていた。
人間の男を気に入った狼はその望みを叶えたが──結局、男は狼の前からいなくなってしまったらしい。
時代は戦乱末期であったため、恐らく死んだのだろう。
けれど、狼は男を捜していた。
帰って来ない、人間の匂いを捜し求めた。どこにいるのかも、生きているのかも分からない。
それでも、捜し続け、そして待ち続けた。
きっとそれは狼が、人間の男を恋しく思っていたから。
もう一度、会いたいと。
触れたい、声が聴きたい、──食べたいと。
「……その狼の性質を受け継いでいるって、赤月さんに話しても理解してもらうのは難しいだろうからなぁ」
赤月さんを視線で追いかけるたびに、自分は獲物を狙う狼のようだなと自嘲の笑みを浮かべてしまっていた。
神の使いと言われていた狼と同じように、好きになった相手を食べたいと思うほどに求めてしまう。
俺は一族の中で一番血が濃いと言われている。つまり、大上家に伝わる「狼」としての性質が最も現れているのが俺だった。
大上家の人間はその狼の血筋の影響もあってか、一度好きになった人間と一生を添い遂げることを望む性質の者が多い。
初恋を成就するために力を尽くすと言った方がいいのだろうか。
ただひたすらに、愛する者を望み、手に入れる。
一途と言えば聞こえは良いかもしれないけれど、それは執着にも似ている感情かもしれない。
それ故に惚れた相手が見つかるまで、あまり物事や人に執着しないのは大上家の人間として、よく見られることらしい。
俺も高校生の頃まではそうだったから。
あの頃は誰かを好きになるなんて感情は分からなかった。
だって、好きになったことなんて、なかったから。
自分と他人に無関心のまま、俺は生きて行く。今までも、これからも。
そう、思っていたのだ──。