ワンダーガール
久々の投稿です。自分の趣味を詰め込みに詰め込みました。
──キミ、大丈夫?立てる?
自転車に乗っていたその人は、しゃがみこんだ私に向かってそう言った。やっとの思いで頷くと、その人は私を自転車の後ろに乗せて最寄りの駅まで送ってくれた。
──この学校の近く、ああいう性質の悪いカツアゲ多いから気を付けなよ。あ、あと学校祭来てくれてありがとね。
あの人は名乗りもせずに去っていった。でも私はあの人のことを知っている。さっきの劇で帽子屋の役を演じていた人だ。
「……帽子屋サマ」
長い黒髪を一つに束ねた、背の高い女の人。本名も知らないあの人に出会ったあの日から、私はずっとあの高校の演劇部に入ると決めていた。
……なのに。
「……廃部?」
「ええ、そうなのよ。うちの学校の演劇部ね、田辺さん達の入学とほぼ同時になくなっちゃって……ごめんね。部員も1人しかいなかったし顧問の先生もいないから……」
担任の先生からそう言われ、私は絶望した。冗談じゃない。あの学校祭の時も去年の学校説明会の時もたくさんの部員がいたのに「1人しかいなかった」と言うのか。帽子屋サマと同じ舞台に立ちたい、それだけであんなに必死に勉強してこの高校まで来たのに。
「私も入ります。1人じゃないです」
「あの、そういうことじゃなくてね?あなたが入部しても顧問がいないなら部活が出来ないでしょ。演劇の指導なんて出来る先生いないし」
先生はまるで厄介払いするように私にそう言った。面倒臭いと思っているのだろう。気持ちは分からないでもないが、あまりの対応の酷さに私は腹が立った。
「……分かりました、失礼しました」
そう言って私は職員室を出た。この人に何を話しても無駄だ。
頭の中で何か黒いものがぐるぐる回る。中学の時にクラスメイトから「変な奴」と言われた時も同じ感覚がしたのをよく覚えている。ぐるぐる、ぐるぐる、ぐるぐる。脳みそにこびりついたこの黒い塊をどうにかしたくて私は死に物狂いで廊下を走った。このままじゃおかしくなりそうだ。
階段を下り、「講堂」と書いてある扉を見つけた。去年まで演劇部の練習場所だった場所らしい。反射的に立ち止まると、周りは驚くほど静かだった。扉の向こうにはどうやら誰もいないらしい。
考えるより先に、私の手は扉を開けていた。重い扉は開けるには苦労したが、ようやく出来た小さな隙間に身体をねじ込ませて中に入った。ばたん、と扉が閉まった。
「わあーーーーーーーーーーーーーーっ!!!」
叫ぶつもりなんて無かったのに、私は気付いたら自分でも驚くほどの大声で叫んでいた。目の前には大きなステージ。あの日帽子屋サマが立っていた場所だ。私はステージに駆け寄り、上った。
あの日見た劇は「不思議の国のアリス」をモチーフにしたものだった。高校生になったアリスは家族との不仲が原因で家出をして非行に走る。そんなある日、彼女は不思議の国に再び迷いこみ、そこでかつて娘を亡くした帽子屋に諭されてアリスは改心、無事に家に帰るという話だ。一度しか観ていないが、あまりにも好きな話だったのでその気になれば台詞も暗唱出来るだろう。
「……帽子屋さん、私はここで暮らしたいの。帰ったって誰も私のことなんか待ってない。パパもママもお姉ちゃんのことばっかり。そりゃお姉ちゃんは病気で来年まで持つかどうかってくらいだから仕方ないのかもしれないけど……。でも、許せないの。どうして私のことを見てくれないの?私だってパパとママの娘なのに……ちゃんと生きて、ここにいるのに!!」
辺りがしん、と静まり返る。客席を見ても、そこには誰もいなかった。どうせ私は一人ぼっちだ。なら、帽子屋も自分でやらないといけない。
「……アリス、君はバカだな。本当に大バカだ」
あまりの空しさに涙が出てきた。台詞の続きは分かっているのに、言葉を紡げない。
しかし、その時だった。背後から声がした。
「大事な人から逃げて、それでどうなる?非行に走って、それでご両親はアリスの望むような愛をくれるのか?本当に家族に自分を見てほしいなら、離れていじけていてはいけないよ。……私と娘のように、いつお別れが来るのかも分からないんだから」
振り向かなくても分かった。姿の見えないその声の主は、間違いなくあの時の帽子屋サマだ。
「ねえ、それ去年の私らの劇だよね。何で知ってるの?」
「……帽子屋サマ」
「え?」
「帽子屋サマーーーーーっ!!!」
私は思わず彼女に抱きついていた。今思えば、なんて迷惑なことをしていたのだろう。
「いや、あの……誰?」
「あの時カツアゲから助けていただいた者です!自転車で駅まで送っていただいた……」
帽子屋サマはしばらく考えて、「あー……」と呟いた。
「あの時のあの子か……へえ、うちの学校に来たのね」
「はい!あなたを追いかけて来ました!あの時助けてくださらなければ私は全財産を奪われていました!まさかあの日助けてくださった帽子屋サマとこんな形で一緒に演劇が出来るなんて……光栄です!」
そこまで言ってようやく我に返り、帽子屋サマがポカンとした表情でこちらを見ているのに気付いた。
「あっ、すみません!私ったらつい……!!」
「いや、良いよ。私もちょっとビックリしちゃった」
それじゃあね。帽子屋サマはそう言ってあの日のように去ろうとした。
「あのっ」
私は一生分の勇気を使って彼女を引き留めた。
「……どうしたの?」
「……もしよろしければ、またここで一緒に演劇しませんか?」
我ながらとんでもない提案をしてしまった。恥ずかしさで顔を上げられない私に降りかかったのは、帽子屋サマの笑い声だった。
「変な子だねぇ、あんた」
「へ、変でも構いません!あなたと演劇したいんです!」
「それが変だって言ってるの。何で私と?」
「……何でも何もありません。あなたは私の憧れなんです」
顔が火照っていくのが自分でも分かった。妙な沈黙が私と帽子屋サマの間に流れる。
「……『あなた』でも『帽子屋サマ』でもないよ。私の名前、蒼生って言うの。あとあんたと私、同学年だから」
「え!?それ、どういうことですか!?」
「去年の舞台、あれお姉ちゃんに頼まれて助っ人として出たの。後でお姉ちゃんしこたま怒られたらしいけどね」
じゃあ、また明日。そう言って、蒼生さんは今度こそ講堂を出ていった。
「蒼生さん!おはようございます!」
あれから一週間。同学年だと言ったにも関わらず、田辺さんは私にずっと敬語を使ってくる。
「おはよう。……あのさ、敬語使わなくて良いから」
「でも……なんか、畏れ多いなって……」
「畏れ多いってアンタ」
田辺さんは本当に変な子だ。カツアゲから助けたとは言えよりによってあの日主人公を演じていた姉ではなくどうして私に憧れてしまったのか。こんなに憧れられては、対等な友達になるのにどれだけ時間がかかるか分かったもんじゃない。
一週間前、田辺さんの演技を初めて見たあの日、私は彼女と友達になりたいと思った。一度しか観ていない舞台の台詞をあんなに正確に言って再現出来るなんて常人の技ではない。本当に演劇が好きじゃないと出来っこない。そんな彼女と友達になりたかったのに。
「そういえば蒼生さん、台本貰っちゃって本当に良かったんですか?」
無邪気にこちらを見つめる少女は私を友達としてではなく舞台女優として見ているのだろう。それがたまらなく悔しくて、でも少しだけ嬉しかった。
「良いんだよ、友達なんだし」
せめてもの抵抗として、わざと私は「友達」を強調した。
実はこの二人の話は元々長編で書こうとしていたのですが、あまりにも展開が思いつかなかったのでやむなく短編にしました。