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My dear  作者: 塩ウサギ
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左右確認、進め

「この先、まだ通行禁止」の蛍視点です。気が向きました。この二人結構お気に入りかもしれないです。

キーンコーンカーンコーン。いつも通りの時刻にチャイムが鳴る。今日の授業がよほど退屈だったのか、それとも明日が土曜日だからか、あたしを取り囲む空気はどことなく浮わついていた。ざわざわとはしゃぐ周囲の声は、まるで意味のないノイズのようだった。

「ね、(すい)。今日駅前でパフェ食べて帰ろーよ」

ノイズの一つが、彼女の名前を呼ぶ。あたしの脳みそは、彼女に関する情報には非常に敏感だった。

朝比奈(あさひな)翠。友人に名前を呼ばれた彼女は、楽しそうな顔をしていた。今日も可愛い。あたしの天使。そう、彼女はあたしの好きな人なのである。

あたしは幾度となく彼女へのアプローチをし続けているが、そのどれもが失敗に終わっている。元来あまり人と関わることがなかったあたしにとって恋なんてものは彼女へのこの気持ちが初めてのものであり、若干不器用ということもあるのかもしれない。でも、仕方ないのだ。朝比奈翠は可愛い。しかも可愛いだけではなく時にはかっこよくてどことなくミステリアスで、少しツンケンしているところもあるが本当はとても優しい。そんな彼女を好きな人が、あたしだけなわけがないのだから。駆け引きなんてしていたら、きっと他の誰かに取られてしまう。

「翠、どうしたの?」

彼女の友人の声に意識を戻される。見ると、朝比奈翠はどこか焦っている様子だった。いや、違う。焦ってはいるのだが、どこか惚けているような。とにかく、意識がここに無いような。

嫌な予感がした。あたしはこの顔を知っている。彼女に会いたくてその背中を追いかけていたのに、見失ってしまった時。あの時、窓ガラスに映っていた自分の顔と、同じ顔をしている。

まさか、そんな。もしかして、彼女には既に。

「ごめん!今日ちょっと用事あるんだ」

キャパオーバー寸前のあたしの脳みそに追い討ちをかけたのは、他でもない彼女の声だった。


昔から体力だけは自信のある子供だった。あれから十五分。大丈夫、きっと追い付く。このペースで走れば……きっと、『配信』の前に彼女から事情を聞くことくらいは。

突然だが、あたしには学生としての石井(いしい)(ほたる)の顔の他に、別の姿がある。と言っても、別に実は宇宙人でした、とか、魔法少女として街の平和を守ってます、とか、そういった話ではない。あたしにはただ、『社会人気まぐれ配信者のフローラ』という名前があるだけのことである。

「フローラ」というのは、歌い手兼配信者としてのあたしのハンドルネームだ。勿論、このことは誰にもバレたくない。そこであたしは、「フローラ」に色々な設定を付けた。

まず、「フローラ」は普段は社会人として働いている。プライバシー保護の為に顔出しはNG、SNSに写真を載せることも一切無し。毎月の第四金曜日にはほぼ必ず休みを取っていて、その日は歌枠の配信。お酒は苦手で、一滴でも飲んだら酔い潰れるほど。他は気まぐれに歌動画を投稿したり、SNSの更新をしたりするのみ。配信はあくまで趣味であって、プライベートは充実させたい派(と言っても現実のあたしには友達はいないので、結局テスト期間以外は「フローラ」として活動することが多くなるのだが)。

このような設定を遵守しているお陰か、はたまたあたしに友達がいないからか、「フローラ」はまあまあ人気配信者であるにも関わらずあたしの正体に気付く人はいない。

そして、今日は第四金曜日。つまり、月に一度の歌枠配信の日である。あたしを待っているリスナーさん達の為にも急がなければならない。しかし、あたしはどうしても彼女のことを諦められなかった。

徐々に近付く彼女の背中。朝比奈翠もかなり急いでいるようで、かなりのスピードで通学路を駆け抜けていった。

そんなにデートが楽しみなのだろうか。どこの馬の骨とも知れない奴とのデートが。いや、デートと決まったわけではないが、でもあの流れや今の急ぎ具合から考えてやはり彼女は誰かを待たせているのだろう。いや、でも……

「うおおおおお!!待っててください!!」

……デート確定。

目の前が真っ暗になりそうだった。やっぱり、彼女にはもういたのだ。あたし以外の、運命の人が。

絶望に足を止めそうになった、その時だった。

真っ暗になりかけた視界に入ってきた、鮮烈な赤。その中に浮かぶ、人の形を模したシグナル。

──横断歩道を渡る時は、信号が青になったことを確認してから進みましょう。

小学校時代の先生の声が脳内でリフレインしたその瞬間、あたしは手を伸ばして彼女のリュックを掴んだ。

「待った!」

勢い余って、彼女は尻餅をついてしまった。ぐぇ、と何とも間抜けな呻き声を出して彼女はあたしのことを見上げる。良かった、間に合った!

「……げっ」

「『げっ』は無いでしょ。まあたしかに手段はちょっと荒かったかもしれないけど」

慌てて追いかけていたことを悟られないよう、平静を装う。バレていないだろうか。どうしたって、彼女を見ると口角が上がってしまう。これだけは隠せないのだ。

「離してよ!!私今急いでるんだけど!!」

「まーまー落ち着きなって。今離したらあんた死ぬよ?」

ほれ、と言ってあたしは赤信号を指差した。

「あたしが止めてなかったら、あんたはさっきここで死んでたわけだ」

そう、彼女は死んでいたかもしれなかったのだ。私は手の震えを必死に止めようとしながら、彼女にそう言った

「……それは、ありがと」

「素直でよろしい」

彼女からの初めての「ありがとう」。本当なら録音しておきたかったけれど、生憎そんな時間はなかった。あたしには、彼女にどうしても聞かないといけないことがある。

信号が青に変わる。先に進もうとする彼女のリュックから手を離さずにいられないのは、仕方の無いことだった。

「ねえ!!本当にやめてくれない!?」

「へぇ~、あんた命の恩人にそんなこと言っちゃうんだ」

そう、少なくとも今だけはあたしは彼女の救世主。仮にも命の恩人。これくらいの我が儘、許されたって良いじゃないか。

「それはそれ、これはこれ!!」

「そんなに急ぐ用事って何?」

どうせ実らない恋なのだ。おそらく恋人のいる彼女に恋をするあたしは、ここで少しくらい報われたって良いじゃないか。

だけど、神様はあたしを許さなかった。

「良いから!!もうマジであんた嫌い!!」

信号が点滅する。刹那、リュックを掴んでいたあたしの手は開き、彼女は横断歩道を駆け抜けた。

今度こそ、目の前が真っ暗になった。


『ごめんなさい、今日は個人的な都合で歌枠配信出来ません。来週楽しみにしていてください!』

「フローラ」のツイートは、三日前のそれを最後に一切更新されていない。あの後、どうしても配信をする気になれなかったあたしは、その報告だけをして夕飯も食べずに眠りについた。せっかくの土日も何もする気になれず、病人のように寝て過ごした。流石にこのまま休んでしまったらいけないと思い、学校に向かったものの、やはり足は重い。

『金曜のこと、ごめん。今度パンケーキ奢るから許して』

こんな文章で、許してもらえるだろうか。あたしは最低なことをした。好きな人の弱味につけこんで、彼女の嫌がることをした。嫌われて当然だ。でも、どうしても謝りたかった。彼女に嫌われたまま終わるなんて、他に好きな人を作られるよりも最悪な恋の終わり方である。

はあ、とため息をついて、教室のドアを開ける。すると、そこには意外すぎる人物がいた。あたしが昨日必死で追いかけた、あの背中。

「……何してんの?」

彼女は何かゴニョゴニョと言っていたが、あたしは構わずに近付いた。その手があたしの机の中に入れていた紙切れが、どうも気になったから。

『ごめん』

彼女があたしに渡そうとしていたメモには不器用なその三文字が連ねられていた。少しツンケンしているところもあるが本当はとても優しい、彼女らしい文字。

ああ、やっぱりあたしはこの人が好きだ。

「……あたしこそ、ごめん」

あたしはそう言って、くしゃくしゃのメモを渡した。

すると、彼女は見たことのない笑顔であたしに言った。

「……へぇ、店で一番高いの奢ってもらおうかな」


一週間後、土曜日。すっかり調子が戻ったあたしは、絶好調で雑談配信をしていた。

「でねー。あたし、この間友達とスイーツ食べに行ったんですよ。この間の木曜日。そこがめちゃくちゃ美味しかったんですけど、みんな知ってます?『ジェダイト』ってお店」

「フローラ」は身バレを何より恐れる。そのため滅多にプライベートの話はしない。そんな設定だったが、どうしても話さずにはいられなかった。パンケーキを頬張った彼女が、あまりにも可愛かったから。

「パンケーキも美味しかったんですけどね、一緒に行った友達がめちゃくちゃ可愛くて!同じク……部署の子なんだけど、私服初めて見たの。もう本当に可愛くて。みんな、自分の目の前に天使が現れたことなんて無いでしょ?でも現れるんだなぁこれが。……まあ、相手には恋人いるっぽいんだけど、まだ確かめたわけじゃないしね」

コメント欄にはあたしを応援する声が沢山並んでいる。少し惚気すぎたかと思ったが、どうやら「フローラ」のリスナーさんにはいわゆる「ガチ恋勢」はいないようだ。

「また行きたいなぁ、デート!」

木曜日に二人で撮った写真を見つめ、そう呟いた。

『頑張ってください!』コメント欄に、古参のファンからの言葉が現れたのは、その直後のことだった。

「……うん、頑張る!」

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