10月18日昼休み②
食堂を離れた湯人は一人、人気のない通路へと入っていた。そしてポケットからヤギョウガラスのカードを取り出すと、そのイラストをじっと、見つめた。
さっきの声、あの声の正体は、もしかしたら。
湯人はある仮説を立てると、試しに痛々しいことを承知で、ヤギョウガラスに話しかけた。
「なぁ、あんたは、さっき俺に話しかけてきた奴か」
数秒の沈黙。カードからの返答はない。自分でもバカバカしいことをしたな、と湯人はすぐにヤギョウガラスをポケットに戻そうとした。
その時だ。
『然り』
短い返答が湯人の脳内に響いた。その声は紛れも無く、食堂で湯人に話しかけてきた声のそれだった。あまりに非科学的過ぎて、湯人は自分の耳を疑う。そして、二、三度自分の頬をつねってみて、もう一度ヤギョウガラスに話しかけた。
「あんたは、ヤギョウガラス、なのか?」
『その通りだ。我はヤギョウガラス、神の袂へと為政者を誘う案内人の一族が一人。そして今は汝の率いる軍団の一兵卒に過ぎない』
今度は食堂の時よりも、またこの廊下に来て初めて反応した時よりもはっきりとした声でヤギョウガラスは答えた。その声はどこか紳士的であり、言葉遣いも普通に丁寧、と言って差し支えないだろう。自分を尊敬し、敬い、また崇めている様なその喋り方に湯人は愉悦を覚える以上に、どこか違和感や不信感を感じた。なぜ、このカードはこんな自分に対して、へりくだるのだろうか、と。
何より、もう一つ気になっていることがあった。
「なぁ、軍団ってのは何だ?」
『そうか、まだ戦場の掟を知らないか。無理もない。汝はつい先程まで、現世の人間であったのだからな』
初めて小馬鹿にしたような言い方に湯人は片眉を釣り上げてみせる。しかし、気にせずヤギョウガラスは続ける。
『軍団について説明する前に、まず汝に問うておくことがある。重要なことだ。汝の望みはあるか?汝に、其の望みを叶える覚悟はあるか?』
望み、覚悟。
それを問われれば湯人にはこうとしか答えられない。
「ある。どちらもだ」
『素晴らしい。……ゆくゆくは汝の望みが我らを救済すること望む』
「は?」
『いや、なんでもない。さて、ではまず軍団についてだが……』
「なぁ、お前」
しかして、その声は唐突に遮られた。遮ったのは冷たく、鋭利な刃の様な声の持ち主だ。とっさにヤギョウガラスのカードを隠し、その声のした方角に目をやる。ヤギョウガラスの声はポケットの中に隠した時点で掻き消えた。
「お前、今カードに向かって話しかけていたよな?」
その問いかけに湯人は顔をしかめる。別に元からぼっちだし、悪い噂が立つのはどうでもいい、と考えているがそれでも恥ずかしいと思えば恥ずかしい。
話しかけてきたのは長身の男で、黒い長髪で耳を隠している。目は細く、また顔の線も細い。顔の彫りは日本人らしく浅く、傍目から見ればそれなりの顔立ちだった。
制服を着崩していて、どこかやさぐれている感がある。この学園の中でも稀に見る不良っぽい生徒だ。
「それが、なんだって言うんだ?」
相手が上級生であるかも、などという可能性も忘れて、湯人はつっけんどんな言い方で返した。相手の生徒はそのことに何の反応も示さず、ただ淡々と返されてきた質問に答えた。
「つまり、お前は持ってるってことだよな?俺と同じ、カードをさ」
そう言って男は内ポケットから黒革のデッキケースを取り出す。その重厚な雰囲気はそのデッキが並々ならないものである、と素人である湯人にもわかった。そして目の前の人物が何を言っているのか、これから何をするのかも瞬時に理解できた。
「お互いに陣営を背負ってるんだ。なら、受けて立つよな?これは俺とお前、双方の望みを掛けた、真剣勝負なんだからさ!」
「ちょ、ちょっと待ってくれないか?」
「ん?なんだよ、今いい感じだったじゃんかよ」
突然待ったをかける湯人に男は今度こそ顔をしかめる。しかし、湯人からしても、男に待ったをかけるに十分な理由があった。
「少しだけ待ってくれ。俺は今、デッキを持っていないんだ。すぐにカバンから取ってくるからそれまで待ってくれ!」
「はぁ?……そうか。お前、初心者だな?」
その言葉に湯人は無言で頷く。その様子を見て、男は大きくため息をついてみせた。
「うわー、マジか。そんなの倒しただけなんて、何の自慢にもなんねーじゃん。ただの弱い者いじめとかすっげーかっこ悪いじゃん」
さっきまでの緊迫した空気はどこへやら、男は知らず知らずのうちに砕けた口調になっていた。顔を覆いたくなるほど恥ずかしいのか、デッキケースをポケットに閉まって、うわーうわーと呻いている。
「おい、お前。名前は?」
「石川……湯人です」
「ふーん、俺は司馬柊真。湯人って呼んでいいか?俺のことも柊真でいい」
コクリ、と湯人は頷く。
「湯人、授業が終わったら、すぐに校門前に来い。――ネクタイの色からして一年か、まぁいいさ。俺待っておいてやるから必ずだ。いいな?」
湯人はただ頷くことしかできない。確認した柊真はその場を意気揚々と去っていった。まるで十年来の恋人に出会ったかのような、そんな様子だった。
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