10月21日、夕方
「なぁ、あんたはいつまでその中にいるつもりなんだ?」
家に帰ってくるなり湯人は二階に上がり、自分の兄である修の部屋の扉に寄りかかりながらそう聞いた。彼は自分の兄がなぜ、こんなに長い間ハーフニート生活を送っているのかを知らない。大学でトラブルを起こした、とも聞いているが、自分の兄に限ってそれはないだろう、と確信していた。
修のことは腹の底、それこそ爪の垢から髪の毛の一本に至るまで嫌いだが、それと同時に兄の才能を評価してもいた。その評価がなんで自分じゃないんだ、と葛藤するのがこれまでの彼の日常であり、またこれからも時々葛藤することになるのかもしれない。
その葛藤を押さえ込んで、湯人は自分の兄に話しかけに来ていた。
気まぐれなどではなく、確固たる理由があって自分の兄に話しかけていた。
そもそも、UnUniteというゲームを勧めてきたのは自分の兄だ。その兄が自分にわたした『八咫烏』という軍団のデッキ。これまで会ってきたプレイヤーはみんなこんな軍団のこと知らない、と言うし、自分の兄がどうやってこのデッキを手に入れたのか知りたかった。
「今日、俺のスマホに一人名前が登録されたよ」
その一言に部屋の中で何かが崩れ落ちる音が聞こえた。気にせず、湯人は話を続ける。
「まぁ、思ったよりも嬉しかったよ。誰かと社会的につながっているんだ、と実感できるのは普通に嬉しいものなんだな」
でも、
「あんたが俺に代役押し付けなければ俺はもっと早くその喜びを知れたかもしれない。両親の期待に答える必要もなく、一人の弟としてあんたを尊敬していたかもしれない。あんたは顔も見せないで、一人でそんなところに篭っている。でもそれは当然俺に対する負い目じゃない。あるいはあんたがした何かに対する謝罪でもない。ただ、あんたは目をそらしたいんだろ?
自分は何も見ずにいればいい。ただ誰かに迷惑をかけなければいい。そう思っているだけ。自分が害悪だとかってに決めつけて、あんたはその部屋に閉じこもっている。目をそらしたくて、そらしたくて仕方ないんだろうな。
なのに、あんたは俺にUnUniteなんてゲームを勧めた。なんでだ?」
湯人は責めるような目で扉の向こうの修を睨む。彼が今言っているのは完全なあてつけだ。誰も彼に修の代役をしてくれ、とは言わなかった。誰もかつて彼の兄が通っていた高校に入れ、とは言わなかった。
あるいは、あんな人間になるんじゃないぞ、とも言われなかった。両親は自分についても、兄についても何も言わなかった。
この時点で湯人の心の中にはかなり醜く、形が歪なものが生まれたのかもしれない。
「俺に友達を作れ、とか言ったよな?ああ、最初はフザンケンな、と思ったよ。でも、実際に知り合いが、仲良く話せる人間ができるっていうのはいいことさ。この上なく、な。
だからわからない。
あんたは俺にただ友達を作って欲しかった、それだけなのか?
俺が知っているあんたなら本来はそんなこと望まない。俺に何も言わず、俺から距離を取ったあんたなんだからな。俺なんて本来は気遣うに値しないんだろうな。自分が害悪だと決めつけているあんたがなんで俺にカードゲームなんて勧めたんだ?害悪だという自覚があるなら、出て来る意味なんてものは存在しないんだからな」
息が切れて湯人はまた空気を飲み込む。そして続けた。
「だんまりを決め込んでも構わないさ。俺は一方的に話させてもらうからな。――ひょっとしてあんんたUnUniteのカードの秘密を知っているんじゃないか?」
突拍子もないような言葉が湯人の口から漏れる。部屋の中からは何の物音もしない。なんのことだ、の一言もなかった。
「本来はあんたがプレイヤーとして選ばれた、違うか?」
沈黙しか返ってこない。気にせず湯人は話を続ける。
「理由について考えてみた。あんたは多分、ヤギョウガラスからゲームの内容を聞いた。どうやって『八咫烏』のデッキを手に入れたのかは知らないさ。カードが実際に喋ったりするんだ。ひょっとしたら寝ている間にいつの間にかありました、とかもあるかもな」
我ながら想像力豊かだな、と湯人は鼻で笑う。
「そして、あんたは怖くなったんだ。バトルに五回負けたときに払うペナルティーが。だからあんたは俺にその権利であるヤギョウガラスを押し付けた。俺はあんたにとって別に死のうが生きまいがどうでもいい存在だからなぁ!」
ここまで強く、自分を否定されたのに相変わらず修は部屋から出てこなかった。湯人はその態度に激しく腸を煮えくり返らせるが、ここで暴力的手段を取っても意味はない、と理解していた。
ここで暴力的手段を取ればそれこそ兄の思うツボだ。兄が自分を許す絶好の機会を作ってしまう。それはすなわち湯人の敗北だ。
「だんまりを決め込むならもういいさ。俺は俺の願いを叶える。そして、あんたが絶対に許されないようにしてやる。あんたはその時、後悔するんだろうな。いや?後悔なんて初めからあんたの心の辞書には存在しないか。あんたはただのマゾヒストなんだからな」
言いたいことの半分ほどを言って、湯人はまだ感情の抑えが効かないまま、自分の部屋に引っ込んだ。
*
湯人が苛立ちを表現したかのような音で自分の部屋の扉を締めた時、部屋の中にいた修は一人大きくため息をついていた。
彼は目を細め、自分の目の前にあるパソコン一式を見つめる。その瞳はどこか悲しげで、感情を激しく発露させる弟を憐れんでいるようにも見えた。
「結局、俺は変わらないな」
昔から、修はあまり誰かのことを真剣に見ようと思うタイプの人間ではなかった。自分が大学を止めるまで五歳年下の弟を見てきて、まずうざいと思って、その後接してみようと思って弟からは拒絶された。
「俺を拒絶したあいつは、自分の道を自分で切り開こうとする、ということなのか?」
だとしたら、
「だとしたら、俺があいつを思いやろうと思うのは間違いなのか?俺は俺自身を責め、あいつは俺をただ一方的に責める。それは権利であり、義務だ。あいつには俺のことを軽蔑し、責める権利があるからな。そのあいつを俺が足すてやる道理はない。あいつが自分で俺を破滅させるなら甘んじてそれを受けてやってもいいさ。ただし、自分の力で、な」
『つまり、あなたはどうしたいの?』
「愚問だな。俺はただ、待つだけだよ」
『破滅の時を?マゾヒストなのかしら?あなたの弟が言っていたように」
「俺は自分で自分のことを打ってくれ、とは言わない。言え、とあいつに言われたら俺の罪の一端として受けるかもしれないがな」
唐突に脳裏に響いた甘美な声に修は真面目に応える。彼にとって、湯人が彼を殴ることは罪の清算の一つに過ぎない。だから受ける。弟の気が晴れるまで、自分を殴らせてやるつもりだ。例えその過程で自分が死んだとしても。
『ふーん。あたしのプレイヤーは自虐癖があるのね』
「失望でもしたか?あるいは落胆か?別に俺は気にしない。お前が勝手に出ていくならそれでもいいさ」
『まさか。むしろ、クールだと思う。自分の弟の気遣う兄、味になる絵じゃない。あたしは好きよ?あなたみたいなマゾヒスト。なんなら、あなた。あたしたちの世界に来る?あたしたちの星にさ』
「それは惑星アクセスのことか?生憎と、俺には転生願望なんてものはない。ああいうのはリアルが死んでるクソの代名詞みたいなものだからな。つか、転生したいなら自分で心臓にナイフを刺して転生させてもらえばいいだろ。俺はゴメンだね」
『もぉ、そんなこと言って。気が変わったらいつでも言って。あたしなら人間の一人や二人、いつでも転生させることができる。転生させたら、すぐにあなたを迎えに行ってあげる。そして、二人で永遠に死ぬまで絶倫しようじゃない』
言葉遣いがいちいち狙っているな、と修は感じながら部屋の壁に掛けられているフックの前へと歩いた。そこには一枚のカードがカードプロテクターに入ってぶら下がっている。
「いつか、あいつが俺に挑みに来たら、そん時は一緒に戦ってくれよな、エリシュ」
そのカードの名前は、起源なき女神 エリシュ。ピュアホワイト色のなめらかな肌を保ち、瞳は大きい。あまり露出のない紺色と紅蓮の袖付きドレスを着ていて、手には一振りの剣を持っている。およそ剣など持てそうにもない細腕には左右に金色のリングが付けられている。
顔の美しさは言うまでもなく、穢れなど知らない、と言いたげなほんわかとした顔つくりをしている。ポージングは野花が咲く庭園を歩いている彼女の姿。どこか儚げで、庭園の上の空の色はダークレッドだった。
レベル5。所属している軍団は、『聖灰霊歌』。種族はノー・ワン。すでに消えた種族、という意味で与えられる、いわば忌み名だ。
『聖灰霊歌』、それはかつてアクセスに存在したある軍団を廃滅するために作られた各軍団の勇士の集合体。その存在意義は未だ続いている。アクセスという星を守護するための存在として。
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