無用な混乱
こちらを睨みつける少女と目が合う。
少女が「ひっ」と怯えながら身体を震わせ、目を逸らす。
視線を彷徨わせる少女。
しかし、数秒もするとまた睨みつけられる。
目が合うとまた怯えたような声を上げられ、目を逸らされる。
少女が首を動かすたびにフィナンシェの髪より落ち着いた色合いの金髪がサラリと流れる。
先程からこの繰り返し。
なんなんだろうか、これは。
軽く泣きそうになりながらもそれに耐えるような顔をして俺を睨みつける少女と、何度も呼びかけられてやっと少女の方を向いたと思ったら少女を泣かせそうになっている俺。
周りからはこんな感じに見えているだろうか。
俺は一言も発していないし、俺にしつこく話しかけてきていたのも少女だ。
そのため俺と少女に注目している者たちの頭の中では、俺が少女を泣かせようとしたのではなく、少女が俺を見て勝手に泣きそうになっているのだという判断が行われているはず。
というかそうあってほしい。
俺は少女を泣かせるような真似をした覚えはないし、これまでだって一度たりともいたずらに他人を泣かせようとしたことなどない。
幸いなことに、いまのところは俺を責めるような視線は感じられない。
少女が大きな声で騒いでいたこともあって少し前から部屋の中にいる者全員に注目されていたのだろう。
俺が少女を泣かせようとしていると勘違いしている者はいないみたいだ。
それに、この場にいるのは各国から今回の作戦に参加できるだけの実力があると認められた者たち。
俺と少女も相応の実力の持ち主だと認識されているからか少女の心配をするような者はなく、むしろ俺たちのやりとりをどこか面白そうに眺めている気配すらある。
「えーと、何か用?」
俺が話しかけるとビクッと跳ね上がる少女。
このままじゃ話が進まなそうだと思って話しかけただけなんだが、この反応はなんなんだろうか。
「わ、私はノエル! ポワール王国のノエルよ! おおお、覚えておきなさい!」
「俺はカナタリ領のトールだ。よろしく」
右手の人差し指を俺の眼前に突き出しながら精一杯といった感じで名乗りを上げるノエルという少女。
なんだかよくわからないが俺も自己紹介を返しておく。
しかし、会話は続かない。
俺に名乗ったあと、小声で「やった。言えた。言ってやったわ!」と何かをやり遂げたかのような様子で少し嬉しそうに呟いていた少女だったが、その後は再び黙してしまった。
この少女は一体何がしたいのか。
自己紹介をしっかりと言えたことがそんなに嬉しかったのか、たぶん俺が名乗り返したのも聞いていなかったし、完全に自分の世界に入ってしまっているように見える。
いや、なぜか爛々とした瞳が俺に向けられているから、完全に自分の世界に入っているわけではなさそうだ。
俺が身体を動かすと少女がビクリとする。
反応はあるし、やはり自分の世界に入ってしまってるわけではないみたいだな。
しかし、俺が少し腕を動かしただけでこの大仰な反応。
絶対に何かあるとは思うんだが、いくら記憶を遡ってみてもこの少女の姿に覚えはない。
俺が少女と会ったとするならこの町周辺だと思う。だが、最近はずっと馬の上か宿のベッドの上で寝ていたし、寝続けていた俺が気づかぬうちに少女に怯えられたり睨まれたりするような何かをしてしまったという可能性も低い。
けど、何もしてないのにこんな反応はされないよな普通。
「すまん。心当たりがないんだが、何かしてしまったか?」
何かしてしまっていたなら謝るべきであるし、そもそも何が原因でこんなことになっているのかもわからなければ頭を悩ませるだけ無駄だ。
そう思って声を出してみたが返事はない。
「初対面、だよな?」
この問いにも反応なし。
反応、というより回答か。
ノエルと名乗った少女は俺が声を出すたびに腰が引けていく。
そのうち仰け反りすぎて後ろに転倒してしまうのではないかと思うほど率直に俺への拒否反応を示している。
……誰かなんとかしてくれないだろうか。
ポワール王国とやらから来たのはこの少女ひとりだけなのか?
この少女の知り合いがいるのなら早く俺を助けに来てくれ。
そんな願いが通じたのか、はたまた通じなかったのか。
少女の知り合いは現れなかったが、かわりにフィナンシェが反応してくれた。
一口ずつゆっくり味わっていた軽食を食べ終えてしまったから退屈しのぎに話しかけてきたのだろう。
「トール、どうかしましたか?」
お前こそどうした。
咄嗟にそう言いそうになったがすぐに「ああ、外面モードか」と思い直し、開きかけた口を閉じる。
ここが冒険者ギルドではないから油断していた。
長いこと一緒にいるが、未だにフィナンシェの外面と素の使い分けの法則がわからない。
外面を張りつけるのは冒険者ギルド内でのみかと思ったら、今みたいに冒険者ギルドじゃない場所でも急に外面を使い始めたりするし、仕事中は外面モードになるのかと思ったら依頼人の前で素顔をさらしていたりもする。
こういうときには外面、そういうときには素顔といったような明確な基準はないのだろうか。
もしかしてその時々の気分によってなんとなく使い分けているだけか?
「トール?」
「ん? ああ、すまん。ちょっと考え事をしていた」
「そう。それで、何かあったのですか?」
周りを一瞥し、部屋中の視線が集まっていることに気がついたらしいフィナンシェがさらに質問を重ねてくる。
フィナンシェに話したところで解決できるかどうかはわからないが、俺と少女だけだと話が進まない。
とりあえず話すだけ話して状況の打開に協力してもらうか。
「このノエルという子は俺に話があるらしいんだが、肝心の話の内容を全然口にしてくれないんだ」
「ノエルさん?」
「そう、この女の子」
視線の動きでノエルを指し示すと、ノエルの姿を確認したフィナンシェが一度瞬きをした。
「昨日お会いした方ですね。ごきげんよう」
「あら、ごきげんよう。昨日は無理を言って悪かったわね」
澄まし顔で挨拶を交わす二人。
ノエルという少女はフィナンシェとは普通に会話できている。
人見知りかとも思っていたがそうではないみたいだ。
いや、すでに面識があるようだし、昨日のうちに挨拶を交わせるくらいまで仲を深めただけかもしれない。
まだ人見知りの可能性は捨てきれないな。
挨拶のあと、フィナンシェの顔が俺の耳元へ寄せられる。
「トール。実はこの子、私が作戦に参加するって言いに行ったときにその場にいて『トールってヤツが起きないせいで会議を始められないなら、私が起こしてきてあげるわ!』って、無理やり宿までついてきちゃったんだよね。それで仕方なく部屋に入れたんだけど……そのときテッド、出ちゃってたんだ。かばんの中から」
「はぁ、……ハァッ!?」
一瞬聞き流しそうになったが、フィナンシェから耳打ちされたのは少女がテッドを見たという事実。
「こそこそと、一体なに話してるのよ!」
少女が叫ぶ。
今回の遠征では無用な混乱を起こさないようにテッドの存在は隠すことにしていた。
しかしこれは早速、無用な混乱を引き起こしてしまったかもしれない。