手に入れるべき力
『――蟹を食べた日から二日後。
馬の上でほとんど死にながら、やっとの思いでサルラナの町に着くことができた。
「わあ、ここがサルラナの町!」
「……」
『着いたか。早速、飯を買いに行くぞ』
「……」
「すごいよ、トール! 兵士さんがたくさんいる! あれ? トールまた寝ちゃってる?」
「……」
サルラナ到着一日目。
馬上で気絶していた俺はサルラナの町を一目見ることすらできなかった。』
ここ数日の出来事を紙面にまとめてみたが、気絶してばかりだな。
一に気絶で二も気絶、三四も気絶で五に気絶。六七八九も全部気絶だ。
気を失っていない日が見つからない。
リカルドの街を発つ前は、七日の旅のあいだに乗馬する感覚にも慣れるだろうと思っていたが、とんでもない。
前日の気分の悪さが快復しないうちにまた馬に乗せられ、日に日に蓄積されていく疲労。
馬のための休憩時間中や宿泊予定の町に着いたときに目が覚めるならいいが、まだ馬に乗っている最中に目が覚めたときは本当に最悪だった。
気絶してしまうくらいに悪い気分の中、揺さぶられる不快感と吐き気、頭痛。
そして数分後にはまた気絶。
乗ってるうちに慣れるとか、耐性がつくとか、そんなことは一切なかった。
最悪に次ぐ最悪。
終始、生死の境をさまよっているかのような気分。
予想外の橋の崩落のせいで当初の予定より二日も多く馬に乗ることになったことが特に最悪だった。
サルラナ到着までの日数が増えたことと谷底への落下、谷底での軍隊蟹との戦いで動くことも出きなかったという苦い思いのせいで心がズタボロになりかけたが、なんとか心が擦り切れる前にサルラナに着くことができてよかった。
たぶん、あと一日でも到着が遅れていたら十日くらい俺は動けなかった。作戦に参加する気力は絶対に湧かなかったな。
もっとも、乗ってるうちに慣れないなんてことはわかりきっていることだった。
以前に五日ほど連続で馬に乗って移動し続けた際も最後まで馬に慣れることはなかったのだから、あの時点で俺は馬と相性が悪いということに気がついておくべきであった。
気がついていたら今回馬に乗らずに済んだかというと、そんなことはないのだが、それでも気がついていればもっと悲壮な覚悟を持ってリカルドの街を出発することができ、もう少しくらいは我慢することができたはずだ。
谷底を抜けた後に思ったことと同じだな。
最悪をイメージする力が足りていなかったことが敗因。
想定外が起こることも想定していなければいけなかった。
すべては想像力の欠如が原因だ。
俺とテッドはこの世界でも弱い。
なのに、この世界では厄介な連中に狙われたり、面倒ごとに巻き込まれたりすることが多い。
これからも生き残っていくためには、日々の訓練と思考力の強化が必要だ。
俺たちには力がないのだから知恵をつかって生き抜くしかない。
そう、知恵を磨くのだ。
考える力、想像する力を磨く。
逆境を前にしたとき、知恵こそが俺たちの一番の味方となってくれる。
そのためにも、書く。
その日の出来事を詳細に記録し、反省し、次に活かす。
最近になって気づいたが、日々の記録というものはその日何があったか、そのとき何を思ったか、何を考えたかを思い出すのにとても役立つ。
読み返すだけで反省点が次々と浮き彫りになる。
つまり、知識の蓄積だ。知恵の蓄積と言いかえてもいい。
こういうときはこうした方が良い、そういうときはそうした方が良いという知識の積み重ねはやがて血となり肉となり、知恵となる。
過去の経験という名の知識の数々は未来を予測するための道具としても利用できる……かどうかはわからないが、この二日間、起きていられたあいだに考え続けた結果、考えること、反省することが今の俺には最も重要なことなのではないかと思ったのは確かだ。
フィナンシェや筋肉ダルマたちにどうやって強くなったかと訊いたときの回答も参考にしながら考えたから間違いないだろう。
フィナンシェ、筋肉ダルマは実戦を重ねていくうちに強くなったと言っていた。
クライヴ、ジョルド、ローザさんは実戦経験と試行錯誤によって今の実力を身に付けたと言っていた。
大事なのは、経験。
経験とは、記憶。
そして記憶は、知識となる。
三猿討伐作戦まではあと三日。
さすがに実戦経験を積みに行く暇はない。
ならば、これまでの経験をすべて紙に書き出し、反省していくしかない。
そう思って直近の出来事から書き出してみたのだが、気絶ばかりでうんざりしてしまった。
念のため、俺が寝ているあいだにフィナンシェやテッドが思ったこと、口にしたことを訊いてそれも補完してみたが、はたして、気絶ばかりしているここ数日の記録からも何かを知り得ることはできるのだろうか。
いや、もしこの数日から何も学び取れなかったとしても、これまでに書いてきた記録から、これまでに書けていなかったが記憶には残っている過去の経験から、絶対に何かを学び取ってやる。
そのくらいの覚悟で臨まないと俺たちは本当に死んでしまう。
うんざりなんてしてる場合じゃない。
やれることはすべてやる。
ひとまず三日後を生き残るためにはいま多少の無茶をすることも必要だ。
そう意気込んだせいで、まだ抜けきっていなかった疲れによって身体がふらつき、一日中寝込むハメになったことをここに書き記す。
このことから、気負いすぎ、頑張りすぎはよくない、休むときはしっかり休むべしという知識を得ることができた。