作戦 遭遇 接近する影
「おい、やべぇぞ!」
「隊長!」
鬼気迫るトンファと護衛騎士の声。
それにつられて振り返ったテトラが見たのは、進軍速度を上げ、じりじりと接近してくるヒュドラたちの姿。
魔物たちの接近を確認したテトラは即座にシフォンの様子を確認する。
確認できたのは、呼吸をするのも苦しそうに走っているシフォン。
それと、やはり、これ以上速度を上げることはできないという事実。
そして、テトラたちの近くにはまだ十体以上の魔物がいる。
時間が経つにつれ徐々に強い魔物を送り込んできていたスタンピードの別動隊。
この十体以上の魔物は、一体一体の強さが先ほどまで襲ってきていた雑魚とは比べ物にならない。
テトラたちの実力であれば、その魔物たちからシフォンを守ることは難しくない。
だが、瞬殺できるほど弱い相手でもない。
テトラ自身も、他の護衛騎士たちも、加勢に来た冒険者二人も、魔物たちとの戦闘で手一杯。
これでは、シフォンを抱えて逃げることもできない。
「全員、そのまま戦闘を継続! シフォン様には絶対に近づかせるな! そこの冒険者たちも引き続き協力を頼む!」
命令され、魔物との戦闘に集中する護衛騎士たち。
助力を乞われ、迫るヒュドラに肝を冷やしながらも魔物と向き合い続けるトンファとクライヴ。
ヒュドラの接近を受けてのテトラからの指示は現状維持。
要約すると、魔物をシフォンに近づかせるな。
この一点のみの伝達だった。
指示を出しながらもテトラは必死に頭を働かせる。
しかし、妙案は浮かばない。
浮かんでくるのはヒュドラから逃げ切るための方法ではなく、不安をあおるような考えや何の役にも立たない案ばかり。
特に、絶望的な現状が色濃く網膜に焼き付いていた。
ワイルドエイプという猿型の魔物が振り下ろしてきた鋭く尖った爪を避けながら、ちらりと後方に目をやるテトラ。
その目に映ったのは、数秒前よりも明らかに自分たちとの距離を縮めているヒュドラの姿。
このままでは一分もしないうちにヒュドラに追いつかれる。
そんな現状確認が一瞬でなされる。
もっと言ってしまえば、まだ追いつかれてはいないものの、もうとっくにヒュドラの射程圏内に入ってしまっている。
そんな考えも二分ほど前からずっと頭の隅にちらついている。
ヒュドラは後方支援部隊を壊滅させて以降、なぜかブレス攻撃を使用してこない。
幼体だからまだ短時間に連続して放てないだけなのか、それとも温存しているだけなのかはわからない。
だが、ヒュドラがその気になればブレス一発で自分たちはやられてしまう。
それゆえ、後方を守る部下二人にはヒュドラの動向を見張らせている。
今のところはブレスが放たれる気配はないが、いつ放たれるともしれないため安心はできない。
頭に浮かぶ案も、成功の可能性が低いため没にしたものばかり。
一番ありえないと思っている案である、囮作戦すら再び脳裏をよぎる始末。
囮作戦は、各自散開してヒュドラから逃げ切ろうという作戦。
構想では、シフォンに護衛騎士二名以上をつけ、それ以外の者はバラバラに逃げる。
その際、シフォンの護衛につかなかった護衛騎士がヒュドラたちに攻撃を行い、ヒュドラたちの気を引いてからシフォンの向かう先とは別の方向へと逃走するという内容だった。
これはヒュドラに追われ始めてから五番目に考えた作戦だが、ヒュドラの狙いがシフォンであるという可能性を捨てきれない以上、散開は愚策であると判断し却下した作戦だった。
もしヒュドラたち魔物の狙いがシフォンなのだとしたらシフォンの護衛を減らすことは最も避けるべき行為。
ヒュドラたちが護衛騎士たちの攻撃を意に介さずシフォンを追い続ける可能性を考えるとどうしてもGOサインを出すわけにはいかなかった。
仮に、ヒュドラたちが周囲からの攻撃を気にも留めず一直線にシフォンを目指すのだとして、自分たちの攻撃がヒュドラに通じるのであれば、何よりも優先して守るべきシフォンを囮にしてでも、散開後シフォンの護衛につかなかった者たちでヒュドラたち別動隊が全滅するまで攻撃し続けるという逆囮作戦もやむなく視野に入れたかもしれない。
だが、ヒュドラは上位のドラゴン。
そのカラダはただでさえ硬い鱗に守られ、さらにその表面はすべてを溶かす毒に薄く覆われているという話は有名だ。
いくら護衛騎士といえども、自分たちの攻撃が通じるかどうかは不明。
最悪の場合、すべての攻撃がヒュドラの毒に防がれ、鱗にさえ届かない。
そもそも、襲ってくる魔物たちの隙を突いて散開できたとして、その後シフォンに魔物たちが集中するのだとしたら護衛騎士二人では凌ぎ切れない。
分の悪い賭けをするわけにはいかなかった。
しかし、もうそんなことは言ってられない。
囮作戦は成功率の低い作戦。
他の作戦と比較して、シフォンの身を危険に晒す可能性が高いために一番ありえないと思っていた作戦。
けれども、この状況において一番可能性のある作戦でもあった。
何もしなければ数十秒後にはヒュドラに追いつかれるこの現状。
すでにシフォンの身は危険に晒されている。
シフォンを抱えて全力で走れば逃げ切れるという考えはもう捨てた。
ゆっくりとしか近づいてこないヒュドラを見て、あのヒュドラはあまり素早く動けない個体なのかもしれないと思っていた。
だがそれは、ヒュドラが速度を上げたことで否定された。
あのヒュドラはもっと速く動くことができる。
それも、私の全力に追いつけるくらい速く動ける。
今まで数々の魔物と戦ってきたテトラは、これまでの経験とヒュドラの動きを照らし合わせ、そう確信した。
それに、状況的に、囮作戦は数分前よりも現実的なものとなっていた。
別働隊はテトラたちが現在進行形で相手にしている魔物を合わせてもヒュドラと他に八体。
この数は、今すぐ散開したとしてもなんとか凌ぎ切れる数だった。
囮作戦を実行するには絶好のタイミング。
魔物の数が減った今ならば先ほどよりもシフォンの身の危険は少ない。
作戦を実行するならシフォンの護衛につくのは自分とリオンの二人。
それ以外の者にはヒュドラへの攻撃を担当してもらう。
不確定要素が多すぎるが、これしかない。
ついに、テトラが囮作戦の実行を決断した。
このとき、ヒュドラに近づく四人の男の姿があったのだが、シフォンたちはまだ誰も、そのことには気がついていなかった。
テトラが囮作戦の実行を決断する少し前。
トールたちはローザとジョルドの二人と合流していた。
「……ということで、ウチのリーダーたちが助けに行ったのは、おそらく以前トールさんたちと一緒にいた方ではないかと」
いまはジョルドから魔物の群れに襲われている一団がいたことを聞き終えたところ。
街へと向かって走っていたトールとフィナンシェは、同じく街に向かって走っていたローザとジョルドと遭遇し、シフォンらしき人物を見かけたという情報を得ていた。
それを聞き、頷き合うトールとフィナンシェ。
ローザとジョルドにヒュドラを含む別動隊の存在を伝えた後、二人は一目散にジョルドから聞いたばかりの方向へと走り去っていった。