意思確認
過去最大規模の魔物のスタンピード。
この街の結界がいかに優秀であろうと意味をなさないほどの数の暴力を前に、シフォンは街を守るため戦うと宣言した。
どこか必死な様子で、しかし確固たる意志を持って発せられたその宣言を聞いて、俺は唖然としてしまった。
店番の女性はシフォンの正体を知らない。
だから、「頑張ってください!」とでも言うような真剣な顔つきでシフォンを見ている。
しかし、シフォンが王女であることを知っているフィナンシェは、俺と同様にまだ頭が追い付いていないのか、シフォンの宣言を聞いてぽかんとした顔をしている。
シフォンの志は立派だ。
だが、無謀だ。
シフォンが宣言した内容は無謀であると言わざるを得ない。
この街は大きい。
当然、街の中にいる人間の数も多い。
戦えるだけの力を持っている者なら、優に一万人は超えるだろう。
しかし、その中で魔物との戦闘経験がある者はおそらく数千人。
さらに、魔物の大群を目にして、それでも戦意を保てる者はその数千人の内のほんの一握り。
そう考えると、今回のスタンピードに立ち向かうことのできる人間はかなり少ない。
しかも、戦ったとしても街を守り切れない可能性が高いことは皆わかっている。
今回、防衛戦力として期待できる者の中でも、この街を命懸けで守るだけの理由を持っていない者は早々に街を立ち去ってしまうだろう。
よって、街のために戦おうとする者は、街を守る理由のある者のほかには余程のバカかお人好しくらいしかいないと思われる。
この街にどれだけの数の兵士がいるのかはわからないが、結局のところ、この街の常備兵に少しの義勇兵を加えただけの戦力で街を防衛することになるはずだ。
はっきり言って勝ち目は薄い。
街側の勝利条件は結界を守り切ることだ。
仮に一万の半分の数の人間が戦うことを選択したとして、その全員が最低でも一体は魔物を倒すとすれば街の結界が破壊されるという事態を防げるかもしれない。
しかし、それはありえない。
魔物の大半は人間よりもずっと強い。
一般的に弱いとされている魔物であっても、それはあくまで魔物の中では弱い部類という意味であって、決して人間よりも弱いという意味ではない。
まさか、スタンピードを引き起こしている魔物のほとんどが人間よりも弱いということはないだろう。
さすがにドラゴンや、ましてやスライムのようなレベルの魔物はいないだろうが、それでも数百人がかりでやっと倒せるような魔物が混ざっている可能性はある。
つまり、街の死守に成功する確率は限りなくゼロに近い。
俺にだってそのくらいのことはわかるのだから、シフォンがそのことに気付かないわけがない。
街に残ることは死ぬこととほぼ同義。
それを十分に理解したうえでシフォンは宣言を行った。
シフォンの決心は固い。
何がシフォンをそこまで突き動かすのかはわからない。
だが、シフォンはすでに戦う覚悟を決めている。
その覚悟が揺らがないことは今のシフォンの姿を見れば一目瞭然だ。
フィナンシェも街に残って戦うだろう。
お人好しであるフィナンシェは、街を守りたいという想いが強いはずだ。
それでも、シフォンの身の安全を考え、守りたいという意思を曲げてまで街から逃げることを選択しようとしてくれていたが、当のシフォン本人が戦う覚悟を決めたいま、街を離れる必要もなくなった。
フィナンシェにはもう迷いはないはずだ。
こうなったからには、俺も覚悟を決めるしかない。
俺も街に残ろう。
『男なら一度決めたことは最後まで貫き通せ』
院長が俺に向けて一度だけ言ってくれた言葉。
この言葉は、強く心に残っている。
だから、決めたことは最後まで貫き通さなくてはならない。
俺はすでに、シフォンを守ると覚悟を決めている。
それならば、ここで俺だけ逃げるなんてかっこ悪い真似はできない。
そんなのは男のとる行動じゃない。
テッドを巻き込むことになってしまうが、まぁそれは今更というものだな。
俺とテッドは一心同体。
どちらかの都合でもう一方が危険な目に遭うなんてことはいつものことだ。
テッドのことだから『構わん。好きにしろ』とか言って力を貸してくれるだろう。
さて、俺も戦うことに決めたわけだが、念のため、二人の意思をしっかりと確認しておくか。
そう思い、なぜか俺のことを無言でずっと見続けてきている女性陣三人と目を合わせる。
無言の視線が突き刺さり続けていることが不気味でしょうがない。
いい加減、三人から見られ続けているこの状況を何とかしたい。
それにしても、本当に一体なんなのだろうか。
俺の次の行動を待っているように見えるが……。
いや、行動というよりは、発言を待っているように思えるな。
フィナンシェ、シフォン、店番の女性の三人は、まるで俺がすべての決定権を握っているとでもいうように俺のことを見続けている。
シフォンとフィナンシェの二人は戦う覚悟を決めているのに、俺の発言一つでそれが覆ったりするのだろうか。
俺が「逃げるぞ」と言ったら二人もそれに従う……なんてことはありえないな。
二人からは、何があっても街に残るという意思が感じられる。
……もしかしたら、男が発破をかけると良い結果に導かれる、というようなジンクスでもあるのかもしれないな。
今回のようなピンチのときには男が何かを言う。
そういった決まりがこの世界にはあるのかもしれない。
イエロースライムが接近してきたときにはそんなことした覚えはないが、あのときは怯えているフィナンシェを励まそうと色々と言ったからな。
それらの言葉が偶然、ジンクス的な役割を果たしたのかもしれない。
ただ単に、フィナンシェがジンクスとか考えていられないほど怯えていたり、俺があまりにも常識知らずだからどうせジンクスのことも知らないだろうと思われていたりしただけかもしれないが。
……こんなことを考えている場合じゃなかったな。
早く、二人の意思を確認して防衛の準備を始めなくては。
「この工房を出る前に、二人の意思をしっかりと確認しておきたい」
そう言って、シフォンとフィナンシェを見る。
二人は頷きながら、しっかりと俺を見返してきてくれた。
まずはシフォンからだな。
「シフォンは、この街を守るために戦うんだな?」
「はい。私の力は、こういう時のために磨いてきたものですから」
力とは、おそらく回復魔法のことだろうな。
シフォンの棒術程度じゃ一万の魔物を前に成す術なく無駄死にするだけだ。
しかし、回復魔法なら後方支援としてとてつもない力を発揮する。
たしかに、こういうときのための力かもしれない。
「フィナンシェも、街を見捨てる気はないよな?」
「うん、もちろん!」
いつも通りの元気な声だ。
ポーズも両手をぐっと握りながら気合十分といった感じ。
魔物の群れを相手にすることへの不安はないようだ。
……この世界でも、握りこぶしは気合を表すボディランゲージなのだろうか?
いや、今はそんなことはどうでもいいな。
あとはテッドにも訊いておかないといけないな。
《これから一万匹の魔物と戦うことになった。力を貸してくれ》
一応の状況確認と協力の要請。
かなり無茶なことをしようとしている自覚はある。
しかし、テッドはいつも通り即答してきた。
『一万程度、大した数ではない。さっさと終わらせるぞ』
相変わらず、どこから湧いてくるのかわからない謎の自信に満ち満ちた頼もしい返事だ。
心強すぎる。
さすが俺の相棒だな。
もし生き残れたら、思う存分コマで遊んでやろう。
「二人の意思はよくわかった。俺も――この街を救いたいと思う」
ここにきて、初めて俺の意思を二人に伝えた。
俺の言葉を聞いても、二人に驚いた様子はない。
この発言に対し、二人はただ無言で頷いただけだ。
どうやら、俺が街を救おうとすることを予想していたらしい。
その信頼は嬉しくもあるが、こそばゆくもある。
さて、これで全員の意思は確認した。
次は今後の行動についての相談だな。
「これから冒険者ギルドに行こうと思う。たしか、こういうときはギルドに行けばいいんだったよな?」
「うん。ギルドで防衛準備をしているはずだから、それを手伝わないと!」
「そうですね。まずは冒険者ギルドに行きましょう。ギルドに行けば、より詳しい情報を聞けるはずです」
行こうと言ってからは早かった。
一瞬で、満場一致でギルドに行くことが決定した。
シフォンを襲ったやつらが潜伏している可能性もあるが、そんなことを気にしていられる状況でもない。
いち早く正確な情報を入手し、魔物の群れに備えなくてはいけない。
そのためにはギルドに行くのが一番手っ取り早い。
だから、ギルドへ行き防衛準備を手伝う。
ただ、戦闘力の乏しい俺はこのままでは何の役にも立つことができない。
魔物との戦闘が始まるまでのあいだに、自分に何ができるかをしっかり考えなけてはいけない。