やっぱり嫌な予感がする
その日は、朝からやけに騒がしかった。
まだ外も暗いうちから飛び交う人々の怒声や不安そうな声、大量の足音。
目に入るのは、街の出口へと向かって歩く大勢の人々の姿。
大きな荷物を背負っている者もいれば、身軽な者もいる。
眠っている子供をおんぶしながら歩く女性に、足腰が弱っていそうな老人の姿もある。
異様な雰囲気によって眠りから意識を覚醒させられ、喧噪に導かれるようにして窓の外を見下ろした俺の目に入ってきたのはそんな光景だった。
「何があったんだ?」
俺よりも早く目を覚ましていたフィナンシェやシフォンに尋ねるも、フィナンシェたちも事情を把握していないようで返事はない。
状況はわからないが、とにかく動いた方がよさそうだ。
そう思い、何があったのかわからぬままに荷物をまとめ、宿を出る。
「とりあえず工房に行ってみようよ!」
まずは今日の午前中に品物を受け取りに行く予定だった工房に行くべき、というフィナンシェの提案でカラク工房へ行くこととなった。
おっちゃんや工房の者たちも街の出口に向かっているかもしれないが、もしかしたら工房で俺たちを待っている可能性もある。
一応、工房に顔を出しておくべきだ。
それに、どうして人々が移動しているのかわからない以上は迂闊な行動はできない。
これだけの数の人々が移動しているということはなにか大きな事件でもあったのだろう。
歩いている人々の顔からは何か恐ろしいモノから逃げようとしているかのような必死さが感じられる。
それならば、まずは何があったのかを把握しなくてはいけない。
それには情報の集まりやすい冒険者ギルドに行くのが一番だ。
そんな理由から冒険者ギルドと隣接しているカラク工房へと向かうことになった。
ただ、シフォンの件もある。
ないとは思うが、もしかしたらシフォンを狙っているやつらが何かをした結果これだけ大規模な移動が行われることとなった可能性もある。
この移動がシフォンが襲われた一件と関係があるのなら、街の出口付近と、俺たちが情報収集に利用するだろう冒険者ギルドにはシフォンを襲ったやつらがいる可能性もある。
そもそも、ギルドがシフォンを襲ったやつらの仲間でないという確信はまだ得られていない。
ギルドが俺たちを捕まえるために住民を避難させている可能性もある。
信頼のあるギルドから避難勧告が出されれば住民もそれに従うだろうからな。
住民を避難させたうえで徹底的に俺たちとやり合うつもりなのかもしれない。
適当な罪でもでっちあげればギルド員全員を俺たちにぶつけることもできるだろう。
もしかしたらギルドには俺たちを捕まえるために集められた大量の冒険者がいるかもしれない。
……ギルド長が俺やテッドと敵対するか、という疑問はある。
しかし、それは俺たちの本当の実力がバレていなければの話だ。
実は俺たちが弱いことに気付かれているとしたら敵対もありえない話ではない。
さらに、ギルドとシフォンを襲ったやつらが関係しているのだとしたら、俺たちがブルークロップ王国へと旅立とうとした今日この日に人々が街から避難するかのように移動し始めたことにも納得がいく。
ギルドなら、シフォンが今日ブルークロップ王国に帰還するためこの街を出る予定だったと知っていてもおかしくない。
さらに、シフォンが真面目な性格であることも知っているはず。
ならば、シフォンが予定通り今日この街を発とうとすることも推測できる。
だからこそ、シフォンが街から出られないように大量の人々で街の出口を塞ごうとしたのかもしれない。
もしそうだとしたら今の状況は少しマズいかもな。
住民のほとんどが街の出口に殺到していると考えると、出口はもうすでに相当混雑しているはず。
俺たちは相手の策略通り街に閉じ込められてしまっている。
とりあえず、何があってもいいように身構えておくか。
シフォンを捕まえることでギルドが得られるメリットがあるのかどうかはわからないが、その可能性がないとは言えない以上は警戒してしかるべきだ。
そんなことを考えながら工房へと向かった俺たちだったが、当然のように、この人々の移動はシフォンを狙っているやつらによって引き起こされたものではなかった。
「あ、よかった! 来てくれたんですね!」
カラク工房に足を踏み入れた瞬間、俺たちに向けてそう言ってきたのは前回来たときにも居た店番の女性だ。
「待っていてくれたんですか?」
「はい。どんな状況でも約束を守るのがカラク工房ですので」
「そうなんですか。それならここに来て正解でしたね」
どうやら俺たちを待つためだけにここにいてくれたらしい。
立ち寄ったかいが合ったというものだ。
「皆さんこそこんな状況なのによくおいでくださいました」
「こんな状況だからこそ真っ先にここに来たんです!」
女性からの言葉にフィナンシェが真剣な顔で返事をする。
この工房に来るまでのあいだに大体の状況は把握している。
すれ違う人たちから聞いた話によるとスタンピードが起きたらしい。
つまり、魔物の大群がこの街に向かってきている。
しかも、今回はスタンピードの発見が遅れたらしく、今日の午後には魔物の大群がこの街に到着してしまうらしい。
そんな状況だというのに、この店番の女性はよく冷静でいられるものだ。
俺は女性とは違って、この街から早く逃げ出したい。
「皆さんは今回のスタンピードについてどの程度知っていますか?」
「俺たちが知っているのは、今日中には魔物が街に辿り着くということくらいです」
フィナンシェとシフォンに品物を渡しながらそんなことを訊いてくる女性。
どういう意図で訊いてきたのかわからないが、とりあえず知っていることを答える。
「そうですか。……皆さんも知っている通り、この工房のすぐ裏には冒険者ギルドがあります。だから、スタンピードの詳細な情報も入ってきているのですが」
女性がそこまで言ったところで、どうして女性が冷静でいられるのか理解することができた。
この工房は冒険者ギルドが近くにあるため、スタンピードの情報を俺たちよりも詳しく把握している。
だから冷静でいられるのだろう。
おそらく、今回のスタンピードは大したことがないのだ。
そんな甘い考えはその後に続いた女性の言葉で消え去った。
「今回のスタンピードの規模はとても大きいそうです。推定ですが、一万近い数の魔物が接近してきているとのことです」
一万近い数の魔物。
最近どこかで聞いたような話だ。
たしか、昨日シアターで観た物語でも一万の魔物の軍勢を相手にしていた。
そしてその結果、騎士トーラは死亡することとなった。
これは偶然だろうか。
それとも宿命だろうか。
一万近い数の魔物。
その言葉を聞いた瞬間。
昨夜、文字の練習をしているときに頭をよぎった嫌な予感が再び脳裏に浮上してきた。