表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
60/375

悲恋の物語

 今回、(最後の二文以外は)主人公視点ではありません。

 国境付近の砦の最上階。


 近くの川のせせらぎが聞こえてくるほど静かな夜。

 窓から差す月明かりに照らされた部屋の中、麗しい少女がいかにも騎士といった風体の男に話しかける。


『……相手は、一万の軍勢なのよ』

『わかっている』


 窓辺に寄り添い、窓の外の景色を見ながら、少女は静かな口調で話しかけた。


 薄っすらと青白い月明かりに照らされたドレス姿の少女と、明かりの届かない暗闇にいる武骨な男。

 正反対ともいえる二人だけが存在する小さな部屋の中に、少女の声が反響する。


 少女の背後、辛うじて床の木目が見えるような闇の中。

 騎士風の男は床に置いた鎧の横に胡坐をかき、剣を磨きながら少女に答えた。

 男の声は淡々としていて、その身体は少女の方を向いていない。


『死にに行くようなものよ』

『わかっている』


 少女が諭すように言うも、男は先ほどと同じ声を返す。

 男の声からは何の感情も読み取れない。


『死ぬつもり、なの?』

『……』


 少女が少し震えた声で訊く。

 男は答えない。


『私の、ため?』

『……』


 少女が震えた声で問う。

 男は何も言わない。


『私は、貴方に死んでほしくない』

『……』


 少女は己を抱きしめるように自身の両肩を抱く。

 男は黙々と剣を磨き続けている。


『もし私のためだって言うなら、行かないでよ……』

『……』


 自身の肩を抱く少女の両手に、ぎゅっと力がこめられる。

 男は眉一つ動かさない。


『そばに……お願いだから、最後まで、そばにいて』

『……』


 喉の奥から絞り出したような、そんな弱々しい声が、静かな夜の闇に溶けて消えていく。

 少女の瞳は大きく揺れ、目から零れ落ちた一粒の涙が、頬に一本の軌跡を残す。


 男は少女の声が聞こえなかったかのように無言を貫いている。

 その表情は真剣そのもの。

 真剣な表情で、剣を手入れし続けている。


『何か、言ってよ……』

『……』


 少女は目を伏せ、縋るような声を出す。

 力の入りすぎた両手の指先からは血の気が引き、ただでさえ白い少女の指がさらに白くなった。

 月明かり以外の光が存在しない暗い部屋の中でもしっかりとわかるほどに指を白くさせた少女は、身体を震えさせながら男の言葉を待つ。


『何も言わないのね。……そう。わかったわ』

『……すまない』


 何も言わない男に対し、少女は諦めたような声を出す。


 少女が諦念と哀しみを含んだ声を出すのと同時に、男の剣の手入れが終わった。

 剣を置いた男は少女へ向き直り、一言、少女にそう告げた。


 その言葉は、少女への心からの謝罪だった。

 そして、迷いのない決意がこめられていた。


 男は戦いに赴く。

 その決心が揺らぐことはない。


 そう感じ取った少女は、言葉を、感情を、己の胸の内に仕舞い込んだ。

 少女は両手を肩からゆっくりと離し、涙の跡を拭いて、男のいる方を向いた。


 薄っすらとした月明かりの中にいる少女からは、暗闇の中にいる男の姿は見えない。

 反対に、男からは少女の姿がよく見えた。


 男からは、少女の気丈な姿がよく見えていた。

 悲しみをこらえ、言いたいこともあるはずなのに何も言ってこないその姿が。

 寂しそうに笑う少女の姿が、はっきりと目に映っていた。


 少女からは、男の姿は見えない。

 男がどんな体勢でいるのか、どんな顔でいるのかもわからない。

 少女の目には、ただただ黒い闇だけが映っていた。


 しばらくの間、男は少女の顔を、少女は男のいる場所を見つめ続けた。


「そろそろ時間ですね。今まで、ありがとうございました。……ごきげんよう、私の騎士様」


 そう言い残し、少女が動き出す。

 少女の身体はわずかに震えながらも、少しずつ部屋の出口へと向かって動いていく。

 男との別れを告げる扉に、少女の手がかかる。


 この扉の向こうに行ってしまえば、もう男と会うことはない。

 ……もう二度と、会えない。


 しかし、少女は迷いなく扉を開き、扉の向こうへ堂々と足を踏み出す。

 結局、部屋に来てから今までの間、男の姿は一切見なかった。

 そう思いながらも、男に不安を与えないように、自身の想いと決別するために、少女は勢いよく一歩を踏み出し、男と決別した。


 まるで生と死の境界のような扉。

 生者の世界へと足を踏み出した少女は、そのまま境界を越え、扉を閉めようとする。


「今までお世話になりました。……我が愛しき姫よ」


 少女が扉を閉め切る寸前、男の優しい声が聞こえた。


 男の姿は扉の向こう。

 たとえ扉がなかったとしても、暗闇の中にいる男の姿を見ることはかなわない。

 しかし、少女には男がどんな顔をしているのかわかった。


 ほとんど無表情と言っても差し支えない顔で、不器用に小さく笑みを浮かべた男が自分に向けて頭を下げている姿が扉の向こうに透けて見えた。


 扉を閉め、長い廊下を少し歩いて。

 男に声が届かないと思われる場所まで移動して。

 そこで、少女の足は止まった。


 死地へと赴く想い人に別れを告げ、想い人から別れを告げられ、それでもなんとか堪えた少女の涙は、少女が自身に与えられた部屋に戻る前に次々と零れだした。

 少女は泣いた。

 その場に泣き崩れ、小さな声を上げながら、静かに深く泣いた。

 静かな夜、少女の泣き声は誰もいない廊下に小さく重く響き渡った。


 泣き崩れた翌日、少女は砦から王城へと帰還していった。

 一ヶ月後、少女のもとに届いたのは作戦成功の報告と、男の遺品だった。


 男の遺品を引き取った少女は、自身の部屋に遺品を飾り、後生大事にしたという。


 少女の名はロール・ブルークロップ。

 第十四代ブルークロップ王のひとり娘。


 平民上がりの騎士と恋に落ちた、悲恋の王女。






 シフォンがこの街を去る前日。

 俺たちがシアターで観た物語は、そんな哀しいラブストーリーだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ