特訓
昼食を食べ終え、店を出る。
ほんのちょっとだけ感傷的になってしまったがそんな感情はすぐに消えた。
美味しい料理にフィナンシェたちとの会話。
後に残ったのは満足感だけ。
魔物への同情なんてものはどこかへ消え去ってしまった。
とても良い気分で昼食を終えることができ、幸せな気分だ。
フィナンシェやシフォンも満足そうな顔をしている。
昼食中に決めたこの後の予定は宿に戻って鍛錬だ。
シフォンからの提案により、シフォンの実力を確認したあとそのまま三人で特訓することとなった。
俺やフィナンシェに頼りっきりというのは嫌らしい。
本当はもっと街を見て回りたかったみたいだが我慢したようだ。
特訓を行うということなので宿に向かう。
俺たちの宿泊している宿の一階には修練場がある。
修練場と言っても物が何も置かれていない少し広いだけの部屋だ。
宿の主人である筋肉質なおっちゃんが自分の身体を鍛えるためだけに造ったらしく、暴れても大丈夫なように頑丈にできている。
有料で貸し出しもされているのでその部屋を借りるつもりだ。
本当は街の外に出た方が場所を広く使えるのだが、シフォンが狙われてる上に隣国の第三王女という肩書を持っているため目立つのはよくないだろうということで人目につかない宿で特訓しようということになった。
あの料理が美味しかったね、私はあちらの料理が好きでした、と昼食の内容について話し合っているうちにすぐに宿に辿り着いた。
結構な距離を移動したはずだが、まさか昼食の話題だけで終わってしまうとは思わなかった。
もっと話すべきことや話せる話題が他にもあったのではないかと思ってしまう。
昼食のことばかり口にするフィナンシェにシフォンが調子を合わせていたように見えたが、シフォンも満更でもないように笑っている。
王女という立場上、同年代の子と気軽に話すことができなかったと言っていたから、フィナンシェと気軽に話せることが嬉しいのだろう。
話している内容はくだらないことなのに、むしろそれがいいとでも言わんばかりに楽しそうな声で会話している。
フィナンシェたちがくだらないことを話しているあいだに宿の受付にいたおっちゃんと話をして修練場を貸してもらう手続きを済ませる。
おっちゃんが受付横の扉を開くとそこはもう修練場だ。
フィナンシェとシフォンも会話を止め、気合十分といった様子で扉の向こうを見つめている。
「じゃあ、頑張れよ」
そう声をかけてくるおっちゃんに各々返事をし、修練場へと足を踏み入れた。
三時間後。
俺とシフォンは大きく肩で息をしながら修練場の端に座り込んでいた。
壁に背を預け息を整えながら部屋の中心に目を向ける。
そこでは、フィナンシェが一人で素振りをしている。
まだ動けるとは、さすが凄腕の冒険者と言われるだけのことはある。
普段の訓練は二時間程度。
三時間も動き続けることはなかったから気付かなかったが、フィナンシェは俺よりもずっと体力があるようだ。
隣にいるシフォンは起き上がることもできないのか、仰向けに倒れたまま胸と肩を大きく上下させている。
瞼も開いているのか閉じているのかわからない状態だ。
薄っすらと開いているようにも見えるが、もしかしたら開いていないかもしれない。
気絶はしてないと思う。
ただ、どう見ても声を出したり動いたりできる状態にはない。
今日の訓練はいつもよりもハードだった。
最初にシフォンの実力を確認した後はひたすら模擬戦。
フィナンシェとシフォンを相手に代わる代わる戦闘を重ね、何度か俺とシフォン対フィナンシェという組み合わせもあったのだが、俺とシフォンは二対一でもフィナンシェに勝つことはできなかった。
まさに特訓と言っていい内容の三時間だった。
この世界の剣は人魔界の剣よりも重い。
ひょろ長の一件が済み、とりあえず狙われることがなくなってから購入した剣も人魔界のものより重かった。
最近ようやく扱いに慣れてきたが、三時間近くものあいだ振り回すのはまだきつかったようだ。
腕が全く動かない。
最後の方なんかは剣に身体が振り回されてしまった。
腕に力が入らなくなってからは腰の動きだけで剣を振り回していたのだが、腰をひねり剣を振る度に身体が剣に引っ張られ、ちぎれてしまうのではないかと思うほどの痛みに腕が襲われた。
シフォンもよく頑張っていた。
俺が倒れる少し前に動けなくなってしまったが、体力的には俺とそう変わらないだろう。
実力は低くない。
低くないが高くもない。
シフォンが幼い頃より学んできたという棒術。
その腕前は俺の剣術よりも少し劣っていた。
一見隙のないような体捌きはできていたが、その攻撃はあまり実力の高くない俺でもギリギリかわし続けられるようなものであったし、防御に関しても簡単に切り崩すことができた。
俺は回避能力の高さだけは自信がある。
その俺がギリギリかわせるレベルの攻撃だったのだからシフォンの実力はそこら辺の冒険者よりも高いのだろう。
それでも、突出して高いというわけではない。
攻撃はしっかりとしているが防御が拙い。
ただ、悪くはない。
シフォンの使用する魔法のことを考えると攻撃に偏重してしまっているのも理解できる。
そう、特筆すべきはシフォンの使用する魔法だ。
ブルークロップ王家の者は生まれつき、ある魔法を使用できるらしい。
その魔法は回復魔法。
ブルークロップ王国を建国した初代ブルークロップ王が神との盟約を結んだ際に授かったとされる力。
王の直系にだけ遺伝するというその力は、王になれなかった王子や王女の子どもには遺伝しないそうだ。
なぜか王の直系以外には発現しないという不思議な現象と優れた効果を持つ魔法。
そのおかげで、神との盟約によって授かった力という話も信憑性が高いと考えられているらしい。
この世界には治癒魔法というものがある。
ある程度までの傷を治癒することができる魔法だ。
治癒魔法を使える者も多くはないという話だが、ブルークロップ王家の者しか使用できないという回復魔法の使い手はもっと希少だ。
その希少さゆえにか、それとも神から授けられた力ゆえか、回復魔法の力は治癒魔法の力をはるかに凌駕する。
例えば、治癒魔法では失った腕を治すことはできないが、回復魔法ならその腕を生やし直すことができるらしい。
また、治癒魔法では体力は回復しないが、回復魔法なら身体的疲労のみならず精神的疲労も回復してくれるらしい。
そんな規格外な回復手段を持っているため、ダメージを負うことも厭わないような戦法が生み出されたのだろう。
あるいは、防御重視の戦法もあったのかもしれないが、何らかのタイミングで失伝してしまったのかもしれない。
数百年前のスライム大移動の際に失伝したとか、十分ありえそうな話である。
今日の訓練が厳しかった理由はシフォンのその回復魔法のせいでもある。
どんな怪我をしてもシフォンが治してくれるという安心感からフィナンシェの俺に対する遠慮がなくなった。
俺の実力を勘違いしているシフォンはもともと俺に対して遠慮なんてなく全力でかかってきていたし、俺やシフォンが疲労の色を見せるたびにシフォンの魔法によって体力を回復させられた。
疲労を気にする必要がないせいかいつもよりハイペースで進む訓練に俺とシフォンは悲鳴を上げたい気持ちを堪えながら食らいついていき、シフォンの魔力が切れ、俺とシフォンが倒れる頃には俺たち二人の精魂は尽き果てていた。
テッドはそんな俺たちを修練場の隅から眺めているだけだ。
三時間動くことなく、かばんの横でじっとしていた。
たまに、あの動きは良かった、あそこはもっとこうすべきだ、と指摘してくれたが、それ以外は何の反応も見せることがなかった。
いまも修練場の隅から動こうとしない。
といっても、いま近づかれるとテッドに慣れていないシフォンがどうなってしまうのかわからない。
動けず、逃げることもできない状態でテッドに近づかれたらそれだけでカード化してしまう可能性だってある。
テッドなりに配慮してくれているのだろう。
俺とシフォンは食欲すら湧かない状態だったが、鍛錬を終えたフィナンシェが買ってきた夕飯をなんとかして食べ、最期の力を振り絞ってベッドの上まで辿り着くと泥のように眠った。
翌朝起きたときは体中が痛く、頭も重かったが、シフォンに回復魔法をかけてもらったらあっさりと治った。
俺は知らなかったが、ブルークロップ王家が回復魔法を扱えることは周知の事実なんだそうだ。
シフォンが狙われている理由はこの回復魔法のせいなんじゃないかという気がしてならない。