初めての冒険者ギルド
シフォンと知り合って三日目。
今日は普通に街を見てまわることになっている。
シフォンは科学魔法都市を楽しむためにこの街に来ている。
俺の想像では、王侯貴族はやりたいと思ったことをなんでもやれるような自由な生活を送っていると思っていたのだがそうではないらしい。
国のために尽力したり、身の危険が多かったりでかなり不自由な生活を送っているそうだ。
シフォンは国の運営には関わっていないため自由な時間も多いらしいのだが、シフォンの父・ブルークロップ王が心配性なために王城の外に出る許可はなかなか下りないらしい。
そんな中、科学魔法都市を観に行きたいと交渉し続け数年。
つい先日やっと許可が下り、この街に来ることができたらしい。
それなのに外は危険だからという理由で残り七日を宿の中で過ごさせるのは可愛そうだということで、シフォンがこの街を発つ予定の六日後の昼まではこの街を目一杯楽しんでもらおうということになっている。
フィナンシェがシフォンの着替えを手伝うのを部屋の外で待ちながら懐中時計を眺める。
俺が部屋を出てからもう十分は経っている。
王族特有の思考なのだろうか。
一緒の部屋で寝泊まりするのはよくても、俺が同じ部屋にいる状態で着替えるのは恥ずかしいらしい。
恥ずかしいので部屋の外で待っていてください、でも部屋からはあまり離れないでくださいとお願いされテッドの入ったかばんを持って部屋から出たが暇だ。
背を預けた扉の向こうからは何の音も聞こえてこない。
本当にそこにいるのかと不安になるくらい静かだ。
逆に衣擦れの音なんかが聞こえてきてもそれはそれで不安だが。
部屋の中の音が漏れるようなら、シフォンが王女だとかテッドがスライムだとかそういう会話がすべて筒抜けだったということになってしまうからな。
そんなことはないようでよかった。
さらに数分。
さっきは一緒の部屋で着替えるのが恥ずかしいなんて不思議だなと思ったが、あるいは、俺の感覚がおかしいのかもしれないと思い直した。
孤児院で育ったためか、周りの者たちと価値観が違うなんてことはこれまでにも何度かあった。
同じ部屋で寝るのが恥ずかしくないなら同じ部屋で着替えをするのも恥ずかしくないだろうという俺の考えが間違っている可能性は大いにありえる。
着替えに関しては、孤児院でも何人かは同じ部屋で着替えることを恥ずかしそうにしていたが、ほとんどのやつは気にしていなかった。
俺も気にしていなかったうちの一人だ。
孤児院のやつらは家族同然。
恥ずかしがることなんて何もなかった。
だから俺は異性と一緒に生活したり同じ部屋で着替えることになんの躊躇いもない。
しかし、世の中にはそういったことを恥ずかしがる者がいることも理解している。
どういった違いがあるのかはわからないが、異性と同じ部屋に泊まるのは大丈夫だけど同じ部屋で着替えるのはダメという価値観をシフォンは持っているのだろう。
なら、その意思は尊重するべきだ。
問題は何を基準にそういった線引きがなされているのかを俺が理解していないところか。
気付かないうちにシフォンが嫌がるラインを越えてしまうかもしれない。
とはいっても気にしたところでどうにかなるもんでもないしな。
もし超えてしまったらそのときにまた考えればいいだろう。
『終わったようだぞ』
テッドからの念話を聞いて扉の前から離れる。
少しして、キィという音をたてながら扉が開いた。
「おまたせ!」
「お、お待たせいたしました」
扉の向こうから現れたのはいつも通りの格好のフィナンシェと昨日購入したばかりの服と装備の上から俺のローブを身に纏ったシフォンの二人。
アホみたいに元気なフィナンシェと恥ずかしそうに待たせたことを詫びてくるシフォンの対比が面白い。
「じゃあ行こうか」
二人に声をかけてから歩き出す。
今日の最初の目的地は冒険者ギルドだ。
シフォンはこの街に来てから十四日目。
科学魔法都市ならではといったところはほとんど見学し終わっているらしい。
そのため、今日は普段行けないようなところに行きたいんだそうだ。
冒険者ギルドは野蛮な者も多く、シフォンが行ったら目立つ上に危ないということで生まれてから一度も近寄ったことがないらしい。
しかし、今日はシフォンの行動を咎めるような護衛はいない。
シフォン自身も目立ちにくい格好をしている。
そんな理由から冒険者ギルドへ行くこととなった。
「ここが冒険者さんたちの集まる場所。すごい。大きい」
冒険者ギルドを見たシフォンの第一声は驚きにあふれたものだった。
口元に手を当てながら興奮した様子で思ったことを次々と口にしていくシフォン。
俺やフィナンシェに話しかけてくる声はいつもより少し弾み、その口調もいつもより少しくだけている。
実際に見たことはないが、シフォンの暮らしている王城や貴族たちの屋敷の方がデカいのではないかと思う。
しかし、それとこれとは別なのだろう。
昨日も初めて着る冒険者用の服に胸を躍らせていたし、生まれて初めて冒険者ギルドに入るという状況に気分が昂っているのだろう。
冒険者ギルドの外観を目にしただけでこのはしゃぎよう。
これだけでもここに連れてきたかいがあったと思える。
二分ほど外から眺めた後、興奮したままのシフォンを連れ立って冒険者ギルドの中へと入る。
ギルド内は相変わらずうるさい。
まだ朝だというのに何人かはもうすでに飲み始めているようで酒の匂いが漂っている。
テッドや俺のことを恐れている者がいたのだろう。
俺を見て三人ほどがギルドから逃げるように出ていったのを確認しながら依頼掲示板に向かって歩く。
珍しそうにきょろきょろと周囲を見回しながら歩くシフォンに、フィナンシェと二人でギルド内の説明をする。
何か説明する度に「すごいです」とか「そうなんですね!」という楽しそうな感心した声が返ってくるから説明するのも楽しい。
特に誰かに絡まれるということもなく掲示板に辿り着く。
それからしばらくは、
「こんな依頼もあるんですね」
「これはどういった依頼なのですか?」
などと感心したり質問してきたりするシフォンに答えつつ掲示板を眺めた。
一頻り眺めたあとは、二階にも上がってみた。
二階は会議用の小部屋や大部屋がほとんどのため見る場所は少なかったが、それでもシフォンは楽しそうにしていた。
シフォンの様子が変わったのは一階に戻ったとき。
「よぉ、調子はどうだ?」
と野太くがさつそうな声がすぐ真横から聞こえてきたときだ。
明らかに俺たちに向けられた声の方へ顔を向けた後、驚いたように慌てて俺たちの後ろに隠れるシフォン。
その視線の先には筋肉ダルマ、クライヴ、ジョルド、ローザさんの四人がいた。
おそらく、というより間違いなく筋肉ダルマに驚いたのだろう。
どう見ても野蛮で近づいたらやばそうな見た目をしているからな。
こんなのがすぐ近くにいたらそりゃ隠れたくもなる。
まぁ、やばいのは見た目だけで中身はそうでもないんだが。
「大丈夫。あれは俺たちの知り合いだ。ああ見えていろんな人から信頼されてるいいやつだから怖がらなくていい」
とりあえずシフォンに一声かけてから筋肉ダルマに向き直る。
「見ての通り、怪我をすることもなく元気にやっているよ」
「がははははっ! そりゃあそうか。お前が怪我なんてするわけないもんな。順調に決まってるか!」
豪快に笑いながら俺の肩を叩いてくる筋肉ダルマ。
俺が強いと勘違いしているせいか遠慮がない。
痛い。
まさに今、こいつのせいで怪我を負いそうだ。
「ところで、その後ろの子はだあれ?」
俺が痛みに耐えていると、筋肉ダルマの後ろにいるローザさんからそんな疑問が飛んできた。
相変わらず艶めかしい声をしている。
ちょうどいいのでシフォンのことを紹介しておくことにした。
「しばらく一緒に行動することになった子です。恥ずかしがり屋なので顔を隠していますが、もしこの子が困っている場面に出くわしたら助けてあげてください」
ローザさんの疑問に敬語で答える。
『綺麗な年上女性には敬語をつかえ』
院長の言葉だ。
ローザさんは四十歳近いという話だが見た目は若く綺麗だ。
だから敬語をつかう。
この世界では魔力を上手く制御できる者は成長を遅くしたり長生きしたりできるらしい。
ローザさんも見た目を若い時のままに保っているのだろう。
張りのある大きな胸が今日も激しく主張している。
母親の顔も見たことがないせいか、俺は母性を感じさせてくれる人に弱い。
ローザさんの纏う雰囲気とその大きな胸は母性に溢れている。
院長の教えがなかったとしても俺はローザさんには敬意を払っただろう。
ローザさんは俺からの紹介を聞いた後、よろしくねと言いながらシフォンに近づいていきそのまま話し始めた。
シフォンもローザさん相手なら怖がらずに話せるようだ。
「また面倒事か? まぁアンタならなんとかしちまうだろ」
俺の紹介で何かに勘付いたのかクライヴからは茶化すような声をかけられた。
シフォンの顔も名前も明かしていないからな。
教えられないような事情があるとでも思ったのだろう。
実際その通りだしな。
「何かあったら力になります。頑張って下さい」
ジョルドからは異性を骨抜きにしてしまいそうな優しい笑みとともにそんな言葉がおくられる。
この青年はかっこよさの中にかわいさも併せ持っている。
いまも頼りたいと思うと同時に逆に守ってあげたくなるような笑みを浮かべていた。
頼りたいのに守りたい。
どうやったらそのような矛盾を含んだ笑い方ができるのだろうか。
何気ない仕草もすべて周りの人間への配慮にあふれているし、非の打ちどころがない。
いつも通り、惚れ惚れするほどの好青年っぷりだな。
その後、少し話したあと筋肉ダルマたちは依頼があると言って去っていった。
筋肉ダルマたちにシフォンを紹介できたのは運が良かった。
シフォンの顔なんかは見せていないが筋肉ダルマたちは経験も実力もある冒険者だ。
もしシフォンが俺たちとはぐれてしまったとしても、筋肉ダルマたちなら背丈や雰囲気なんかでシフォンだと判別することくらいはできるだろうし、何かあったら力になってくれるだろう。
ギルド長にも話を通しておくかという考えも一瞬浮かんだが、街の上層部がシフォンを狙っているかもしれないという疑念があったためギルド長にシフォンのことを話すのはやめておいた。