決意の逃走
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スライムに対する抵抗を開始した。
俺たち八人はそれぞれ別々に行動している。
八人のうち誰か一人でも生き残って、スライムを人の住んでいる地から引き離せればこちらの勝利となる。
そのため、誰かがスライムに狙われたとしても他の者が巻き添えを食らうことのないように別々に行動することとなった。
スライムの移動速度が遅いことは知られているため、テッドは俺の肩に乗ったまま移動することに決まった。
そのため、テッドは相変わらず俺の肩に乗っている。
暗闇の中、草原の上を走る。
草原に生えている草は意外にも短い。
人の手が加えられていないにもかかわらず、足首くらいの高さで切り揃えられたかのように背丈が揃っている。
あまり長く育たない種類なのだろう。
抵抗が少ない分、走りやすい。
明かりは使用している。
暗闇の中、敵の姿も周囲の状況も確認できないまま行動できるような能力は人間には備わっていない。
お互いに近づきすぎないためにも明かりは必要だった。
俺の持っている五つの魔光石のうち四つも、フィナンシェ、筋肉ダルマ、ジョルド、ケインに預けている。
一番明度の低い魔光石は足元を照らす程度の明るさしかなかったため、いざとなったらテッドの感知に頼ることもできる俺が持つことにした。
松明を持ったまま行動することに慣れているというクライヴと生き物だけでなく地面や物の気配にも敏感だというカルロス、魔力の消費を抑えたいローザさんは松明を使用している。
草原の上にはスライムに吹き飛ばされた山の残骸が転がっている。
それを魔光石の明かりとテッドの感知を頼りに避けながら前へと走る。
頼りなく足元を照らす魔光石の明かりを見ていると不安が浮かんできた。
『緊張しているのか?』
《少しな》
俺の緊張が伝わったのか、テッドから念話が飛んでくる。
少し緊張しているといってもスライムと相対することへの緊張はない。
スライムに恐怖を感じていないからか、スライムに近づくことへの緊張や不安はない。
あるのは期待に対する緊張。
フィナンシェたちは、もし自分たちがカード化させられたとしても俺とテッドがいれば作戦は成功すると思っている。
そのおかげで気負いもないみたいだが、その期待が俺にプレッシャーを与えてくる。
俺たちは弱い。
それを理解したうえで身の丈に合った行動をするつもりだが、そもそも世界最強の生物に挑むという時点で身の丈に合っていないのではないかという気がしてならない。
恐怖を感じないせいでそこらへんの思考が鈍っているような気がする。
とんでもないことをしているはずなのに、とんでもないことをしているという実感がない。
カルロスの話だと、俺たちが向かう先にいるスライムはイエロースライム。
伝承によると、黄色のカラダを持つスライムは温厚な気質をしているため刺激さえしなければ危険はないらしい。
今回はスライムを刺激するようなことをするつもりはない。
伝承通りであれば危険もない。
だから実感がないのかもしれない。
気になって聞いてみた話によると、テッドのような水色のスライムは自由気ままな気質。
近づいても何もしてこないときもあれば近づくだけで攻撃してくることもあるらしく、何をしてくるかわからない底知れない怖さがあるため水色のスライムは危険視されているらしい。
一番危険なのは近づいたら確実に攻撃してくるレッドスライム。
赤色のスライムを見たら死を覚悟しろという言葉があるらしい。
レッドスライムは凶暴なうえに攻撃力が高いため近づいただけで跡形もなく消し飛ばされる。
身体が少しでも残っていればカード化はできるが、レッドスライムと相対した場合は一片たりとも残ることなく全身を消滅させられてしまうためカード化できないらしい。
要するに、接近=死。
先ほどのフィナンシェたちの怯えはスライムという存在を目にしたことへの怯えもあったが、それ以上に夕日に照らされたイエロースライムがレッドスライムのように見えてしまったからこその怯えようだった。
一つ気になるのは、あのイエロースライムが山を破壊したこと。
進路上にあって邪魔だったから破壊したのだとは思うが、温厚なスライムがそんなことをするだろうか。
まぁ、もし伝承が間違っていたとしてもそのときは死ぬかカード化するだけだ。
おそらく、スライムまでもう一キロメートルもない。
ここまで近づいてしまったからには、伝承通りでなかったときのことを気にしてもしょうがない。
いまさら、というやつである。
しかし、その「いまさら」という諦念にも近い感情が逆に、どうせ死ぬならやるだけやってやるというよくわからない活力を湧き上がらせている。
身体に力が漲っているのがわかる。
これまでの人生で一番元気なのは今だという確信がある。
なんとなく、いける気がする。
そういえば、カルロスからの話だとあのイエロースライムから一キロメートルくらいの距離に近づくと嫌な感じがするという話だった。
フィナンシェたちはしっかり近づけているだろうか。
俺はなぜか何も感じずに近づけているが、他のメンバーはもしスライムに近づけたとしてもその嫌な感じというやつに耐えながら作戦を実行しなければならない。
テッドは三メートル、イエロースライムは一キロメートル。
この距離の違いを考えると、イエロースライムから感じる嫌な感じはテッドの数百倍強烈なのではないだろうか。
テッドの感知範囲が十五メートルに対して嫌な感じを受け始める距離が三メートル。
つまり、嫌な感じはスライムに近づけば近づくほど強くなる可能性がある。
ということは、フィナンシェたちはイエロースライムのすぐそばまでは近寄れないかもしれない。
しかも、この世界のスライムが人魔界のスライムと同じように周囲の状況を捉えているのであれば、俺たちはもうすでにイエロースライムの感知範囲内に入っている。
その場合、テッドの感知範囲と嫌な感じを受け始める距離の差異から推測するに、おそらく、イエロースライムの感知範囲は数キロメートルにも及ぶ。
逆に考えれば、一キロメートル以内に近づかずともイエロースライムの気を引ける可能性があるということだが確証はない。
やはり、できるだけ近づいてから行動を起こすのが望ましい。
もしかしたら、作戦を実行できるのは俺とテッドだけかもしれない。
フィナンシェたちはスライムに近づこうとしただけで行動不能になってしまうかもしれない
そんな考えが浮かぶ。
右手に持った瓶を見る。
腰に提げた魔光石の光に照らされ、淡く光る瓶。
瓶の中には俺たちがカナタリのダンジョン奥地から採ってきた薬草を使用して作られた薬が入っている。
瓶の蓋を開けてもテッドは全く反応を示さないが、文献によるとスライムの中にはこの薬に興味を示す個体もいたらしい。
特にイエロースライムとグリーンスライムの二種にはこの薬が有効だったそうだ。
大昔、スライムが縄張りを定めず世界中を闊歩していた時代に得られた情報らしいので、情報が間違って伝わっている可能性や長い時間の中でスライムの生態が変化してしまっている可能性もあるらしいが一番効果がありそうなのがこの薬だ。
大昔の人類だって生き残るために思考錯誤していたはず。
ならばこの薬が有効という情報は信じるに値する。
というより、この薬に興味を持ってもらえなかった場合イエロースライムを縄張りまで誘導できる気がしない。
俺やフィナンシェが用意してきた誘導案はどれも成功しそうにないものばかり。
カルロスたちが用意したこの作戦が駄目だったらリカルドの街は滅びてしまう可能性が高い。
俺に渡された瓶は十本。
瓶の中身をそこら辺に落ちている木の枝にでもかければ、それを持って歩くだけでイエロースライムが追いかけてくるはず。
瓶一本分の量で十日は引き付けられるという話だった。
イエロースライムの縄張りまでは歩いて数十日の距離。
その距離を命懸けで追いかけっこしないといけないのは辛いが今の俺はスライムに対する恐怖はゼロ。
睡眠時間をしっかりとれるかは心配だが理論上はなんとかなる
もしフィナンシェたちもイエロースライムに近づけるなら俺一人で頑張る必要もなくなる。
いける。なんとかなる。
前方を見る。
暗すぎてよく見えないが、そう遠くない距離にデカい何かがあるのはわかる。
近い。
あと百メートル程度の距離にイエロースライムがいる。
おそらく、リカルドの街の冒険者ギルドより少し小さいくらいの大きさ。
生き物としては滅茶苦茶デカい。
改めてその大きさを確認しても威圧感は感じない。
後ろを振り返り左右に大きく顔を動かす。
かなり後方ではあるが魔光石の明かりが四つと松明の火が三つ見えた。
七人とも少しずつではあるが近づけている。
周囲の状況と自分の心が平静であることを確認し、落ち着いた状態でイエロースライムのすぐ横を走り抜ける。
走り抜けてから少しして、足元に落ちていた杖くらいの太さをした長さ二十センチ程度の木の枝を拾い薬をかけようとした。
薬の入った瓶の蓋を開けようとして、手が止まった。
嫌な予感がして後ろを振り返る。
直後、地面が爆ぜた。
轟音とともに身体に届く余波。
衝撃波が身体を襲い、吹き飛ばされる。
爆ぜたのはフィナンシェや筋肉ダルマたち七人がいた方向。
距離的にも、おそらく七人のいた辺り。
周囲に降り注ぐ岩盤には目もくれず、七人の走っていた辺りを見る。
明かりは見えない。
一人一人の間隔もだいぶ空いていたはずなのにすべての明かりが消えている。
松明の明かりに関してはもしかしたら余波による強風で火が吹き飛んでしまっただけかもしれない。
しかし、魔光石の光も見えない。
魔光石の光の源は持ち主の魔力だ。
つまり、魔光石を持っていた四人はやられた可能性が高い。
たった一撃。
たった一撃で全員やられた。
そう思うと恐怖と不安が湧いてきた。
ただ、依然としてスライムへの恐怖は湧いてこない。
恐怖を感じたのは、フィナンシェたちがカード化したかもしれないということに対してのみ。
可能性の段階ではあるが、フィナンシェたちが『カード化した』ことに対しての恐怖はあっても『カード化させられた』ことに対しての恐怖はなかった。
地面が爆ぜたのは十中八九イエロースライムが攻撃したからだ。
その攻撃の威力を目の当たりにしてもイエロースライムへの恐怖はない。
そのことに、イエロースライムに恐怖が湧かないことに、恐怖した。
まるで自分が自分でないような、自分の心がどこかに隔離されてしまっているかのような気がした。
ズズッという何かを引きずるような音が耳に届く。
慌てて自身の周囲を確認。
身体は動く。
テッドは肩の上にいる。
薬瓶も無事。
十本とも割れていない。蓋も開いていない。
にもかかわらず、イエロースライムがこちらに近づいてくる。
リカルドの街に向かっていたはずなのに、リカルドの街とは反対方向に進んできている。
思い出されるのはギルド長の言葉。
『もしかしたらお前の連れてるスライムに引き寄せられてるんじゃねえか』
『スライムどうしでなんか引き寄せ合ったりしてんじゃねえかなって』
ギルド長の言っていた通り、原因は俺たちだったのかもしれない。
イエロースライムの横を走り抜ける前に見たフィナンシェたちの明かりがあった場所を思い出す。
思い出してから、その辺りだと思われる場所に目を向ける。
暗くて何も見えなかったが、しっかりと見た。確認した。
こんな場所に来る者はほとんどいない。
もしかしたらギルド長が人を派遣してくれるかもしれないが期待はできない。
だから、俺が探す。
もし七人がカード化しているのであれば俺とテッドで見つけ出す。
攻撃の余波によって、さっき確認した七ヶ所から遠く離れた場所に吹き飛ばされてしまっていたとしても、必ず見つけ出す。
そのためには。
そう思い、イエロースライムの方を向く。睨みつける。
イエロースライムも俺たちに意識を向けているのがわかる。
まずはこいつをなんとかする。
俺は、フィナンシェたちのいる方向に背を向け走り出した。