一握の可能性
書写することもできず、憶えることもできない文字。
どうせ読んでも意味がないのであれば、これ以上ここにいる意味もない。
「随分と時間を無駄にした。すぐにフィナンシェたちを探しに行くぞ」
しっかりと再生できるかどうかは別として、この辺りの様子はしっかりと映像記録装置に記録できたはず。
石碑も充分すぎるほど時間をかけて記録したし、あとは装置をかばんにしまえば……よし、これで出発できるな。
「準備完了だ。さあ、しゅっぱ――」
『待て』
「――なんだ? 何かあったか?」
さあ、出発するぞ。
そう言いかけた言葉を遮ったテッドの思惑は何か。
鬼気迫る感じではないし、魔物が接近してきたというわけではなさそうだが……。
『この場を離れるまえに石碑の文字を一読しておけ』
石碑の文字を……?
「上から下までしっかり見通せということか? だが、読んでも記憶できないぞ?」
『念のためだ』
念のため……?
「まぁ、文字を読むくらいならそれほど時間もとられないだろうからかまわないが、これに何の意味があるっていうんだ?」
テッドは一体何に気づいたのか。
念のためというくらいだから確証はないのだろうとはいえ、やはり上から目を通したところで読んだ内容が頭に入ってこないという結果に変わりはないようなんだが……?
テッドに文字を読むように言われてから、石碑に向き合い集中すること十分弱。
「ふぅ、読み終わったぞ。もうここを離れていいか?」
何がなんだかわからぬままテッドの言う通り読み終えた文字。
テッドはここを離れるまえに今一度しっかりと石碑の文字を読んでおけと言っていたのだから、これを読み終わったということはもうここを離れてもいいのだろうか?
それとも、まだ何かここでするべきことがあるのだろうか?
『読み終えたならいいぞ。好きにしろ』
「……いや。好きにしろ、って。せめてどうして読ませたのかくらい説明してくれ」
石碑の文字をすべて読み切るまでにかかる時間はせいぜい数分程度。
数分ここに居座る時間が増えるくらいならフィナンシェたちとの合流にもさして影響はないだろう。
そう思い一から十まですべての文字に目を通してみたものの、最初から最後まで読んだからといって石碑に残されていた内容が頭に入ってくるわけでもなく、読み切ったことで何か変化があったようにも感じられない。
「すべての文字に目を通してみたが、俺にはどうしてテッドが文字を読むように言ってきたのか理解できなかった。説明してもらわないとわけがわからないままだ」
だから、説明をしてもらわないと困る。
都合のいいことにこのダンジョンは遠くから攻撃してくるような魔物もいないからテッドが肩に乗っているこの状態なら魔物に襲われることもないだろうし、移動しながら聞くから今のうちに文字を読むように言ってきたワケを教えてほしい。
とはいったものの……。
『すべて読ませたのはアレがユースファリ・マ・ダッド本人が残した文章だからだ』
「ユースファリ・マ・ダッド本人の?」
テッドの話を聞きながら、もう一度石碑の場所へと戻るための地図作り。
歩きながら紙に道を書き込みつつテッドの話を聞くのは、思ったよりも難しい。
テッドの話が予想以上に込み入った話になりそうな場合、一度足を止めて話を聞くのに徹した方がいいかもしれないな。
『少し頭を働かせればわかることだ。書写の禁止に、石碑に記された内容の記憶阻害。数百年に渡る石碑の状態維持も考慮すれば、アレがユースファリ本人の遺した石碑と文字である可能性は極めて高い。であれば、あの文字にも何か意味があると考えた方がよい』
「……なるほどな。たしかに、書き写そうとしても書き写せない文字に憶えようとしても憶えられない記述内容。これらを実現させている魔術を思えば、そうかもしれないな」
魔術には詳しくないからそれがどれだけ高度なものなのかはわからないが、もしあの石碑が数百年前から存在しているのだとすれば数百年前に発動された魔術が現在まで効力を保っているというだけでも驚嘆に値するありえなさ。
たったそれだけのことで、十分にユースファリが遺した石碑であるという裏付けになる。
そして、石碑にかけられているであろういくつかの妨害魔術。
あれらの魔術もユースファリが気まぐれで仕掛けたわけでないならば、書き写そうとしても書き写せず、憶えようとしても憶えられないあの文字にも何か真の意味が隠されているのかもしれない。
……しかし、それが言えるのはあの石碑や文字が数百年前から存在しているという前提があればこそ。
「あの石碑が数百年前から存在していたという証拠はあるのか? ユースファリを騙った偽物がつい最近つくったモノかもしれないぞ?」
石碑や石碑に刻まれた文字がいつから存在しているのかわからない以上はテッドの言い分に信憑性はない。
少なくとも、俺が見た範囲では石碑に文字が彫られた年代を特定できるようなものは何もなかった。
と、思ったが――
『この際、ユースファリ本人の残したものであるかどうかはどうでもいいのだ。ユースファリが残したかもしれない石碑と文字。それだけで、あの文字を一読しておく理由に十分なりうる』
なるほどたしかに。
あの文字や石碑に何か意味があるかもしれないと、その可能性があるだけでも、石碑や文字を観察するには十分すぎる理由かもしれない。