あのときの男
人の立ち入らぬ地で目撃されているいくつもの中規模以上の魔物の巣と、人の立ち入らぬ地で遭遇した攫い屋二人。
何ヶ所もで同時に魔物の巣が育っていることとこの二人が関係しているのか否かはまだわからないが、もし関係していなかったとしても人を攫うことを生業としている攫い屋が人のいないこんな地にいる時点で怪しさ全開。何か目的があってこの場所を訪れたことは明白だろう。
……などと俺でも気づけるようなことにノエルやフィナンシェが気づいていないはずがなく。
「要するに一刻を争う事態かもしれないってことよね。そういうことなら、今すぐコイツをカードから戻すわよ」
そう言ってノエルが取り出したカードの色は赤・黄・緑の三段階のうち重傷を表す黄色。
一応、命に別状がない段階までは回復しているということだが、このカードの男が厳密にどの程度の状態にあるのかは戻してみるまで不明。
命に別状はなくとも意識を失っている可能性はあるし、そもそも咽喉等がやられていて話せない可能性もあるのだから、場合によってはカードの色が軽傷または完治を表す緑に変わるまで待ってから戻した方が早く情報を得られるという可能性もある。
時間か、確実か……。
どちらを取るかは悩ましいところ。
時間がないからこそ確実に情報を得られる状態になるまで待つべきなのかもしれないし、時間がないかもしれないからこそ迅速に行動すべきなのかもしれない……とはいえ、すでにノエルの心は決まっているみたいだな。
「戻してみて意識がなかったりした場合、ノエルの魔術でなんとかなるのか?」
「みくびらないでほしいわね。アタシは治癒魔術の腕前も一流よ」
念のためにしてみた確認にも、心強い返事。
カードが黄色ということはそもそもまだ重傷であるということだから戻したあとの処置を誤ると攫い屋の男が話せないばかりか死んでしまう可能性もあるが、この感じだと黄色程度の傷ならノエルの治癒魔術でもなんとかできるということなのだろう。
「トール。ノエルちゃんなら大丈夫だよ。一緒にノエルちゃんを信じよう?」
攫い屋の男のカード化理由が判然としないうえ外傷ではなく突然の心停止によってカード化しているという点が不安ではあるが、そのことは二人にも伝えてあるし、俺よりも実力も経験も上のフィナンシェたちがこう言っているということもある。
カード化の法則ではカード化から十二時間以内の再カード化は不可能ということだから下手をすると夕刻のカード化からまだ十二時間は経過していないであろう攫い屋の男が再び謎の心停止に見舞われ今度はカード化もできず何の情報も話すことなく死んでしまう可能性もあるが、まぁ、大丈夫だと信じるしかないか。
ノエルが言っていたように今は一刻を争うかもしれない事態なのだからカード化中の男、それも人道を外れた攫い屋なんかに気をつかっている余裕はない。
「じゃあ戻すわよ。コイツの返答次第ではすぐにでもここを発つから、準備しときなさい」
攫い屋の命よりも情報と時間を優先……というより、ノエルの魔術の実力とその自信への期待と信頼。
ノエルなら攫い屋の男を死なせることなくしっかりと情報を聞き出せるだろうと考え頷きを返せばすぐにそんな言葉が返ってくるとともにノエルの手に持ったカードが人のカタチへと変化していき――
「ハッ、ハ、ハッ、ハッ……ハァ……ハァ…………」
現れたのは、胸を押さえうずくまるかつてダララの森で接近してきた不気味な男。
呼吸は荒く、顔色も悪く。身体は小刻みに震え、たまに混じる「ヒュー」「コヒュー」という喉の奥から空気が漏れ出るかのような音は男が満足に呼吸もできていないという証明か。
以前会ったときは今よりも周囲が暗く姿がよく見えなかった上にこれほど弱ってもいなかったからか別人のように見えないこともないが、というよりまだあの不気味な口調を聞いていないから不気味さが足りていないように感じてしまっているだけだろうが、それでもはっきりと見える面影は確かなもの。
ノエルが治癒魔術をかけ始めたことにより徐々に戻されつつある男の表情や雰囲気は、たしかにあの不気味な男のもので相違ない。
『とりあえず、今すぐ死ぬようなことはなさそうだな』
《そうだな。呼吸音も少しずつだが安定してきているし、また心臓が停止するなんてことにはならずにすみそうだ》
テッドの言うように再度カード化を必要とするような状態には陥りそうにないし、ここまでは順調。
あとは男の体調が回復し次第ナラナフ森林で何を行っていたのかを聞き出すだけ。
《だが……》
男は顔を上げる余裕もないのか未だ辛そうにうずくまったまま。
徐々に落ち着いてきているとはいってもまだまだ呼吸も乱れたまま。
《これは、話を聞き出せるようになるまでまだまだ時間がかかりそうだな》