瀬戸際に
テッド曰く、何かは急激に肥大化したカラダを上手く扱いきれていない。
突然身体が大きくなったことなどないから想像しにくいが、たしかにいきなり身体が大きくなったり脚や腕等身体の部位が増えたりしたら扱いに困るかもしれない……と思わないこともない。
ましてや何かはもともと流動体の不定形生物。
なぜ現在ケンタウロスのような姿をとっているのかは謎だが、元は決まったカタチを持っていない存在だったのだから各部其々に役割を持たせ固形化したカラダを扱いきれていないと言われれば納得できる部分もある。
とはいっても、今はそんなことよりもとりあえず――
《眉間だな》
『眉間に行け』
念話を送ると同時、テッドからも念話が送られてくる。
意見が被ったということは、決まりだな。
「ノエル、何かの顔の中心、眉間の辺りまで移動させてくれ。何かに手が届く距離で頼む」
何かの活動が鈍いという四ヶ所の中で最も頭上や他の方向からの反撃がされにくい場所。
今は一刻も早くその場所へ行き、作戦を実行することが肝心。
何かがカラダを上手く扱えていない理由なんてものは後で考えればいい。
そう考えながらノエルに向けてそう言うと、すぐに身体が上へと引っ張られ、テトラたちの放っている魔法のあいだを縫うようにしながら何かの正面――眉間の前まで移動が完了する。
「移動させるのはいいけど、ちゃんと考えあっての事なんでしょうね? もし理由もなく無駄に魔力を使わせられたなんてことがわかったらあとで酷い目に遭わせるわよ!」
……移動の開始とともにノエルの魔術によって耳元まで届けられた二言が気がかりではあるが、まぁテッドが言うには眉間部分は作戦を実行するのに最適な場所ということであるし、魔抜きが成功すればひどい目に遭わされるなんでことにはならないだろう。
というか、作戦が成功しなければ俺は生き残れないだろうからどっちみちひどい目に遭わされる心配はないか。……たぶん。
『準備はいいな?』
《ああ。何かから魔力を抜けばいいんだよな?》
『その通りだ』
「すー……はー……。よし、やるぞ」
『全力でやれ』
気持ちを落ち着かせ、呼吸を整えるために少しの深呼吸。
そして、両手のひらをしっかりと正面の何かに着けてからの、全力の魔抜き開始。
テッドの掛け声とともに全神経を手のひらに集中させる。
手のひらから伝わってくるのは見た目よりはツルツルとした、それでもやはり勢いよく手を横に移動させれば手のひらをズタズタに引き裂いてしまうであろうほど鋭角で無数の凹凸のある、ザラザラとした岩と砂の混じったような硬い感触。
日の光に温められたのか冷たくはなくむしろそこそこ熱い……が、生物的な温度はまったく感じられない。
まるで、大地そのものを相手にしているような感覚。
目の前の何かが本当に生物なのかどうかは未だに疑問の残るところではあるが、およそ人の手でどうこうしようとするような存在でないことだけはわかる。
さすがにここまで意識を集中させれば俺でも少しは何かの中にある魔力の流れを掴むことができるからだろうな。
何かの持つ魔力の全容は見えないし推し量ることもできそうにないが、勝てる気が全くしない。
あまりの敵の大きさに、頬が引き攣りそうになる。
……が、それでもこの手は離せないし、離さない。
退路がないとか手を離せばあとでノエルからひどい目に遭わされるとか色々と理由を挙げ己を奮い立たせながら、一気に魔力が身体に流れ込み自身を滅ぼすという結果にならぬよう少しずつ、慎重に。気を削り、身を削るような作業を延々と続けていく。
何かに触れた手のひらを通じて何かの中から魔力を吸い出し、吸い出した魔力を手の甲や手首、指全体から空気中へとできるだけ身体に負担のかからぬよう発散・霧散させていく。
やっている作業自体はアイアンゴーレムから魔力を抜いたときと同じはずなのに、心身にかかる負担はまるで違う。
この違いは何かへの魔抜きがアイアンゴーレム以上に気を遣い、アイアンゴーレム以上に時間がかかるから。また、何かが戦意を喪失してしまいたくなるほどの存在感を放っているからだろうな。
何度も奪われそうになる戦意をそのたびに限界ギリギリ、一歩手前で引き留め、踏ん張り、立て直し、また魔抜きを続け……。
「そういうことね。アンタがやろうとしていることがわかったわ……。アンタはそのまま作業に集中しなさい! 他のことはすべてアタシたちが引き受けてあげるわ!」
俺の手を通って何かの中から抜けていく魔力の流れを見て俺のしようとしていることがわかったのだろう。
魔抜きを始めて数秒後、ノエルからそんな声が届けられてからどれだけの時間が経っただろうか。
テッドからの報告通り、ノエルからの宣言通り。泥人形や何かからの攻撃が中々襲ってこない眉間周辺においてさらに偶に襲ってくる攻撃や泥人形もノエルたちが魔術や魔法で、あるいは何かの頭上にいるフィナンシェが剣を振るって迎撃、防御してくれる中、ダンジョンから脱出したときは真上から降り注いでいたはずの日の光も随分と傾きすでに辺りは夕暮れ色の世界へと変わり始め――
「残りあと三分の二を切ったわ!! へばってる場合じゃないわよ! 頑張りなさい!!」
「トール、頑張って!!」
「トールさん!!」
ノエルやフィナンシェ、シフォンからの叱咤激励が聞こえてきてからさらに一~二分くらいは経過しただろうか?
できるだけ無理のでないようにやってきたつもりでも魔力を上手く散らしきれず身体に合わない魔力を長時間浸透させ続けたせいでボロボロになり見るからに紫に変色してしまっている肘から先と、肘より先から上手く魔力を散らせなくなったがために少しずつ蝕むように全身に回ることとなってしまった魔力のせいではち切れそうなほどの痛みに耐え続けることとなった身体。
骨が軋み、胸をも激痛が走る中、さらに突然の激痛が腕を襲う。
「ぐぁッ!」
痛みに声を上げたのも束の間。
不意に身体が後ろへと引っ張られる感覚。
視線を少し動かせば、状況判断は一瞬で終わる。
「これは……」
「ついにか……」
誰かの声が耳を打つ中、ノエルの操作によって何かから十メートル以上は距離を置かれた視界に、巨大な何かの動く姿が映り込む。
どうしたことか、そろそろ何かの魔力の半分を持っていけるのではないかという瀬戸際に、これまでの数時間全く動くことのなかった何か本体が遂に――動き出した。