聴こえるはずのない声
ラシュナのダンジョンは出入口が一つしか存在しない洞窟型のダンジョン。
だから、魔湧き中にダンジョンから出てきた魔物はダンジョンから出てきた勢いのまま真っすぐと進んでいくことが多く、一度街を過ぎ去った魔物が引き返してくることは滅多にない。
ノエルやテトラからはそう聴いていたんだが、これは一体どういうことか……。
《少なくても十体以上はいるみたいだな。地面まで振動し始めたぞ……》
聞いていた話と随分違う……が、そんなことも言っていられない。
固まってしまったかのように動かし辛い身体をなんとか気合で動かし。背後から近づいてくる十ではきかない数の魔物の鳴き声とまるで大軍でもやってきたかのように振動する地面に内心冷や汗をかきながらゆっくりと腰から上を後ろに向けて回転させていく。
明かりが不足しているせいで魔物たちの姿は見えないが、かなり近い。
何体いるのかはわからないが、この感じだと魔物たちが今いる場所とこの場所はもう一キロも離れていないだろう。
足の速い魔物なら数十秒後にはここに辿り着いてしまうかもしれない。
『原因は魔力だろうな』
《魔力?》
テッドの呟くような念話に疑問を返す。
原因、というのは魔物たちが集まってきた原因のことだろうか?
だが、魔力が原因とはどういう……。
『魔物は魔力を求める生き物だからな。先ほどの強烈な魔力に引き寄せられてきたのだろう』
《先ほど? 強烈? …………ああ、さっきの強烈な光と一緒に感じたあの大量の魔力のことか》
『そうだ。その魔力だ』
《なるほどな。そういうことか》
俺が目を覚ましたときに感じたあの光、あの魔力。
光と魔力のどちらに引かれたのかは定かじゃないが、どちらも相当に強烈なものだった。
あの光や魔力に対抗して放ったと思われるノエルの魔術らしきものが今もラシュナのダンジョン方面で激しい音と明かりを発しながら炸裂していることからもその強烈さがよく窺える。
きっと離れた場所からでもよく見え、よく感じられるほどに強い光と魔力だったのだろう。
そしてその強烈さゆえに、おそらくはユール近辺まで行っていたであろう魔物たちをこのナールまで引き返させることになってしまった……いや、おそらくユール近辺にいた魔物だけでなくラールやシールにいた魔物たちも、今頃はきっとこの場所を目指して……。
《って、それ凄くまずくないか?》
『まずいだろうな』
《やばいよな?》
『そうだな。やばいな。最低でもあのときダンジョンの外にいた全ての魔物がここに向かっているのだ。ナールの戦力だけでは到底耐えきれないだろうな』
ナールに魔物が集中するこの状況。
魔物たちが各街に分散されていたときでさえなんとか耐えられていたという状況にあったナールに、集中してくるすべての魔物を撃退できるだけの力があるとはとても思えない。
要塞都市ラシュナが四つの街をそう間隔をあけずに配置していることと各街を結ぶと菱形ができるようになっているのは有事に街どうしで連携を図るためと聞いた覚えもあるが、想定されていた以上の規模の魔湧きに対応しきれていなかったのはナールだけではないはず。
ナールに魔物が集中したことによって他の街には余裕が生まれるだろうとはいえ、ラール、シール、ユールの被害状況がわからない以上は各街からの援護にも期待はしない方がいい。
《ナールだけで魔物たちの相手、それに、俺たちもこの場をどうにかしないことには大量の魔物に潰されて死んでしまうことになる……テッド、この状況を打開する何か良い案はないか?》
『ないな』
まぁ、そんなものを思いついていたのならもうとっくに進言してきているか。
《なら、どこに逃げればいいと思う?》
『わからん』
ダメだ。テッドは当てにならない。
考えろ。
今この場にあるのは俺とテッド、俺たちの持ってきた荷物にカーベとかいう発狂状態のカードコレクターとカーベに倒されたとかいうどう見ても動けそうにない状態の謎の男女の片割れである男。
謎の男女の女の方はなにか凄い結界を張っていたという話だったから居てくれると助かったんだが残念ながらどこかに逃げてしまったらしい。さっきまで腰を抜かしたような格好でそこら辺に座り込んでいたと思ったのにいつのまにかいなくなっている。
《最悪だな》
四方八方から魔物が押し寄せてきているであろう現状ではどこに逃げればいいのか皆目見当がつかない。
とりあえず近くにあるナールの街で籠城しようにも高確率であっというまに街門を破壊され魔物が街中にまで侵入してきてしまうだろうし……せめてフィナンシェかノエルたちのうち誰か一人でもこの場にいれば違ったんだが…………。
《先頭集団が近づいてきたな。止まる気はなさそうだ。このまま突っ切るつもりみたいだぞ》
『避けられそうか?』
《わからん。まだ見えてはいない》
見えていない、ということは――まだ感知範囲内には入ってきていないのか。
つまり、魔物たちが近づいてくることによって生じた空気の揺らぎがテッドの感知範囲十五メートル以内に存在する空気にも影響を及ぼしたということであり、もうこれ以上判断を迷っている時間はないということ。
とはいっても、先頭がすぐ近くまで来てしまっているというのならもう選択肢は回避の一手しかない。
今さら街まで行こうとしても途中で魔物の集団に遭遇することになるだろうし、変に街に近い場所にいると魔物たちに向かって放たれた街からの攻撃に巻き込まれかねない。
どうせ魔物と遭遇することになるのなら、魔物の集団の中に人間一人分くらいの隙間があることと魔物が俺たちを標的と定め攻撃してこないことを祈って突進してくる魔物の回避に専念した方がよいだろう。
そう考え、魔物たちの向かってくる方向に身体を向け覚悟を決めた瞬間だろうか――
「トール殿!!」
この場にいるのは俺とテッドのみ。
しかし、せめてフィナンシェたちのうち誰か一人でもこの場にいれば。
そんな想いが通じたのか、あるいはそう強く想いすぎたがゆえに幻聴でも聞こえてしまったのか。
防音装備である耳当てを外していないはずの耳に、テトラの声が聞こえたような気がした。