選択ミス
叩き合わせたカスタネットが大気を大きく震わせ、地揺れのような感覚が身体へと伝わってくる。
耳当てのおかげで音はほとんど聞こえないが、もし耳当てをしていなかったなら今頃はとっくに地面に倒れ最悪の場合は死んでいたことだろう……そう思わせるほどの振動。
しかし、これならばカーベを倒せたのではないかと思い期待しながらカスタネットへと逸らしていた視線を再びカーベに戻してみてもカーベは今なお両の脚でしっかりと地面に立ち、狂ったように剣を振り回し続けている。
《効いていないのか……?》
『鼓膜とその周辺器官は破壊されているぞ』
平気そうなカーベの姿を見て音への対策でもされていたのかと思ったが、テッドが言うには耳周辺の器官がいくつか破壊されているようだし……。
《ということは、身体が破壊されても動けるように訓練でも積んでいたか、それかスライムに対する恐怖が耳の痛みを上回ったってことか?》
『たぶん、そうだろうな』
カーベが平気そうにしている理由についての推測が、テッドの見解と被る。
とりあえず、耳を破壊されてもカーベの動きに変化がなかったことは確からしい……が、まぁこの際、カーベが動き続けられている理由に関してはどうでもいい。
重要なのはカーベが耳の破壊を苦ともしていなさそうだという情報だけ。
耳を破壊されても動ける理由なんて知ったところでどうしようもないし、考える意味もない。
いま頭をつかうべきはあの状態のカーベをどうやって倒すかという問題についてだろう。
動きを止められれば倒しようはあるんだが……。
《身体を破壊されても動き続ける可能性があるとなると、どうやってアイツの動きを止めるべきか……とりあえずもう一回鳴らしてみるか?》
『そうだな』
さっきの目も開けていられないほどの光が遠くからでもはっきりと見えるほど大きかったのかおそらくは俺が目を覚ましたときに感じたあの眩しい光に対抗したのであろうノエルが発生させたと思われる巨大な雷撃が幾本もの光の筋を空に残しながらラシュナのダンジョン付近へと降り注いでいるし、時間的にもまだ魔湧きが終わるには早い。
この付近には魔物はいないみたいだが他の場所では今も激しい戦闘が続いているのだろうし、大量の魔物がこちらに向かってくればここら一帯への魔物の侵攻を食い止めてくれている魔物の壁も破壊されてしまう可能性もある。
それに、カーベが絶対にこちらに攻撃してこないという保証もない。
そう思い、あまり考えている時間はないという判断からとりあえずもう一回、二回……とカスタネットを鳴らしてみたがカーベの様子に変化はなし。
物の内部まで見通すテッドの感知ではカーベの身体がカスタネットによる攻撃によって少なくない損傷を負っているところまで見えているらしいが、このままカスタネットを鳴らし続けたとしても倒れてくれそうにはないな。
《アイツの意識がこっちに向いていないうちに逃げた方がいいか?》
『逃げようとすれば追ってくる可能性もあるぞ』
《それはここにいても同じだろ。いつあの剣が俺たちに向けられたとしても不思議じゃない。それともアイツがいなくなるまでずっとここに居ろとでも言う気か?》
『倒すなら今が絶好の機会だと言っているのだ。ここで倒しておかねばまたいつどこで襲われるかわからぬぞ』
倒せそうにないならカーベの剣がこちらを向いていない今のうちにこの場から離れた方がいい。
そう考え、提案してみるも、テッドからは否定的な意見が返ってくる。
たしかに、さっきまでのカーベとのやりとりを思い返してみるとあの言い分と性格からしてまたいつか襲ってきそうではある。
いつ、どこで、どんなタイミングで襲ってくるかもわからない相手を警戒しながら生活するよりは、今ここで倒してしまった方が良いような気もしなくはない。
だが、さっきの光やカスタネットの音を聞いて街から誰かが確認に向かってきている可能性もある……いや、魔湧き中に謎の光や音が立て続けに発生しているのだから絶対に確認の者がこの場に送られてきている。
その者を巻き込んでしまう危険がある以上、これ以上カスタネットを打ち鳴らし続けるというのはまずい。
それに、現時点で確実に俺たちのことを狙ってきているのがカーベだけというだけで、いつどこでカードコレクターから襲われるかわからないという状況はこの世界に来たときから全く変わっていない。
いつか誰かに襲われるかもしれない、と、いつかまた絶対に襲われる、では意識の持ちように多少の違いがあるかもしれないが、相手の姿が明確に見えるようになったからといってその程度で怯えるようなことはもうないはずだ。
むしろ、カーベの性格ややり方が多少なりともわかっているぶん対策も立てやすい。
テッドとしては積極的に攻めた方がよいという考えらしいが……。
《一先ず逃げてみて、追ってくるようなら戦うことにしないか?》
俺としては、今後の危険が増えたとしても今を逃げ切る方がよいと思う。
『理由を聞かせろ』
一拍置いて、テッドからの返事。
当然、こんなことを言えば理由を尋ねられることも予想していたし、ちゃんとした理由もある。
《いま差し迫っている危険はカーベだけじゃない。カーベを簡単に下せるならいいが、もし苦戦してしまった場合そのあとの魔湧きが辛くなる。この異常な魔湧きがあと半日以上は続くことを考えるとここで体力を使うのは絶対に避けた方がいい》
これでテッドが納得してくれるかどうかはわからないが撤退の理由としてはこれでも十分通用するだろう。
カーベだけが脅威ではない以上は後のことを考えて無理はしない方がいい、と思っていたのだが……。
《……悪い、今のは忘れてくれ。どうやら状況が変わったみたいだ》
『そのようだな』
テッドと話し合いなんてせずにさっさと逃げておくべきだったのだろうか?
どうしてこうなったのかは知らないが、逃げるという選択肢がいきなり潰された。
テッドからの返事を聴き次第すぐに行動しようと思いテッドの返事を待っていたあいだに、おそらく魔物の壁のある方向とは反対側……ちょうど背後から、こちらに向かって近づいてくる大量の魔物の鳴き声が聞こえてきてしまった。