防戦一方
「さぁ、せっかくの宴だ! 盛大に死合おうぜ!!」
男がそう言い終わった瞬間。
男の姿が一瞬でかき消え、テッドが叫ぶ。
『右へ跳べ!』
その指示に従い右へ跳ぶと、一瞬前まで俺たちがいた場所を何かがシュッと鋭い音を立てて通り抜けていく。
『下、右、右、右!』
さらにしゃがみこみ、続いて右へ右へと、飛来してくる何かを避けるようにして場所を移動していく。
息つく暇もない連撃。
足を止めたらその場で仕留められる。
それがわかっているからこそ、無理にでも身体を動かし続ける。
「へぇ、そこらの雑魚程度の身体能力しか出せてない割にはよく動くじゃねぇか。反応速度が異常だぜッ!」
こちらは呼吸すらままならないほど全力で動き続けている。
だというのに、男は楽しそうに笑いながら一瞬前に攻撃が飛んできた方向とはまったく別の方向から攻撃を飛ばしてくる。
息も絶え絶えに逃げ回るので精一杯の俺と、笑い声を上げながら俺よりも速い速度で移動しつつナイフか何かを投げ続けている男。
はっきり言って、いま敵の攻撃を避けられているだけでも奇跡に近い。
身体能力に差がありすぎる。
しかも敵はいま『そこらの雑魚程度の身体能力しか出せてない割には』と言った。
出せてない。この言葉が出てくるということは俺たちの本来の実力がこんなものではないと思っていて街の周辺では俺たちが全力を出すことができないという偽情報を知っているということ。
つい数十秒前には噂がどうこうとも言っていたし、敵はこちらのことを調べた上でこの場に来ている。
だが、ほんの数十分前まで俺がいたのはユール。
そしてここはナールの近く。
それを考えるとコイツはもともと俺を狙ってラシュナにやってきたというわけではなく、魔湧きが始まって人目につかなそうなところに誰かカード化できそうなやつはいないかと探っていたらたまたま俺たちを見つけたという可能性が高いだろうか。
この魔湧き自体想定外に早く始まってしまったことからして確実とはいえないが、まさか最初から俺たちを狙ってラシュナに来たカードコレクターではあるまい。
敵が俺たちを見つけたのは俺たちがナール近くに来て以降。
それなら、俺たちを倒す策を練る時間もほとんどなかったはず。
油断はできないが、そこまで罠を警戒する必要はない。
とはいっても、やはり実力差に開きがありすぎる。
それでもなんとか避け続けられているのは、敵がテッドの六メートル以内には決して近づかないようにしているからだろう。
六メートル以上離れた位置からの投擲攻撃しかされていないからこそ、テッドの感知能力を活かすことによってギリギリ避け続けられている。
すべては敵がテッドの魔力を警戒してくれているおかげ。
もしこれが接近戦だったのなら俺は一瞬で肉薄され、先ほどのアイアンゴーレムたちのように一撃で再起不能とされていた。
《敵の得物は? 何が飛んできている?》
『ナイフや串だ。刺突に適したモノが投擲されてきている』
休みなく襲ってくる攻撃を避けながら、敵が投擲してきているモノの正体についてテッドと情報を共有。
従魔契約によって可能となる念話は、思念を伝達する。
頭に思い浮かべるだけで考えを相手に伝えられるこの力は決して言葉を必要とするものではなく、イメージでモノを伝えることもできる。
また、思念を伝達することによって対話を成立させる力であるがゆえに声に出す必要もない。
声に出さなくてよいため相手に考えを聞かれることもなく、声に出さなくてよいぶん口頭の何倍もの速度で思考のやりとりが可能となる。
隠密性と速達性。
それこそが念話の持つ大きな利点であり、真骨頂。
テッドの感知のように良い“目”を持つ魔物と契約できれば、それだけで情報収集能力と相手の行動への対応速度が飛躍的に向上する。
そして高い感知能力を持つスライムが人魔界で雑魚魔物扱いしかされていなかったのは普通のスライムはテッドのように賢くなく単純な思念のやりとりしか行えないから。
つまり、テッド以外のスライムはこんなに的確に指示を出してくれることもなければ流暢に情報を教えてくれることもない。
俺と契約してくれたのがテッドでよかった。
もしテッド以外のスライムと契約していたら初撃すら避けられずに戦闘は終了していた。
しかし、避けているだけでは状況は好転しない。
こちらの体力は減る一方で、相手の体力はまだまだ底が見えない。
相手はカードコレクター。
狙いは俺とテッド。
強者との戦いに悦びを見出しているような口ぶりからしてこれまでも強いと評判の者たちを倒し、カード化し、蒐集してきた可能性が高い。
話した感じだと自分の力で相手をねじ伏せるのが好きなような性格をしていそうだったから手持ちのカードを戻し従わせて俺を襲わせるなんてことはなさそうだが、それも絶対とは言えない。
一人を相手に防戦どころか逃げの一手しか選択できていないこの現状、もしここに一人でも相手の増援が加わったならもう為す術はない。
――などと考え事をしてしまっていたからだろうか、身体に軽い衝撃がくる。
避けきれなかった敵の攻撃が左の脇腹をかすった。
ただそれだけのことで左半身が少し後方へと流れる。
《防具はッ?》
『無事だ』
正面からきたナイフが少しかすっただけで身体が押されてしまうほどの威力。
革鎧は破損せずに済んだようだが、小さなナイフ一本一本に一体どれだけの力が込められているというのか。
「おっ、いま当たったんじゃねぇか? どうした。もっと力を出さないとやられちまうぜ? 街か? 街が気になって力を出せないのか? それならわざわざこの場所で襲撃した意味があったってもんだぜ!」
戦闘を行っていることで気分が高揚してきているのか興奮した様子で訊いてもいないことをペラペラとしゃべってくれる敵。
おそらく、いまアイツが言ったのは俺が手加減を苦手としていて街なんかの近くでは街や人を巻き込まないためにほとんど実力を発揮できないという偽情報のことだろうな。
テッドから六メートル以内の距離には絶対に近づいてこないことからただの戦闘狂ではないと思っていたが、襲撃場所をここにしたのも理由があってのことだったか。
強者と戦いたいと言っていたにしては随分と狡いマネをしてくるが、テッドがこの世界最強の生物だと思われていることを考えれば当然の策略。
敵の力を封じ、自分に有利なように立ち回る。
戦闘においては最も基本的で最も有効的な手段だ。
要するにこの敵は戦闘が大好きな実力者でありながら冷静な判断力も持ち、俺たちについて知り得ている情報を活用して油断せずに全力で俺たちを殺そうとしてきている相手、ということになる。
本当に、厄介な相手だ。
もっとも、敵が知り得ている以上に俺たちが弱すぎるせいでその対策もまったく意味をなしていない……というか、もともとそんな対策を立てる必要もなかったんだが……。
《それで、作戦はいけそうか?》
『もう少し待て。作戦開始は向こうで燃え盛っているという炎の柱が消えてからだ』
まぁしかし、こちらもいつまでもやられてばかりというわけではない。
たしかに今は手も足も出ない状況だが、俺よりも強いカードコレクターから一方的に嬲られるなんて状況はとっくに想定済みのこと。
この世界に来て強くなると決めたあの日からあらゆる状況に対処できるよう思考を続け、訓練も行ってきたのだ。
現状から抜け出せるかもしれない作戦の一つくらいはある。
この作戦が成功するかどうかはわからないが、やらなければどのみち殺されるだけ。
なればこそ、作戦の実行に迷いはない。
チャンスは一瞬。
テッドは感知範囲外にある炎の消失をすぐに察知することはできないから、作戦の合図は俺がすることになっている。
成功確率を少しでも高めるためにも、合図は遅らせられない。
この数分間ずっと立ち昇り続けている五つの炎の柱もさすがにそろそろ消える頃。
機を逃すことは許されない。
そう考え、頭と身体はテッドの指示に集中させながら目だけは炎の方へと意識を向け続ける。
そして、十数秒後。
予想通り、炎の柱が消失する。
《反撃、開始だ》
機を逃さず、静かにそう合図した。