ナール街門前での目撃談
要塞都市四の街ナールの街門前。
そこの警護と現場での戦闘指揮を任されていた兵士ローランドローランは、目の前の光景に我が目を疑っていた。
「これは一体、どうなってるんだ……?」
予想されていたよりも早く始まってしまった魔湧き。
さらに開始が夜だったこととその規模が通常の魔湧きの数倍以上であったことが重なり、防衛に必要な戦力と視界が十分でない状況。
街門前は魔湧きの開始からわずか半刻程でその防御を打ち破られようとしていた――――そんなとき、息つく暇もなく押し寄せてきていた魔物たちの襲撃がピタリと止んだ。
突如途切れた魔物の流れ。
ラシュナのダンジョン方面ではまだ激しい戦闘音が鳴り響いていることから魔湧きが終了したわけではないことは確信できる。
しかし、絶え間なく目の前を通過、あるいは街門へと突撃してきていた魔物の流れがまるで何かに堰き止められたかのようにピタリと止まった。
これはいった何故か。
まだ予断を許さない戦況の中、ローランドローランはすでに街門前まで辿り着いていた魔物たちを相手しながら後続の魔物が現れなくなった理由に考えを巡らせ、その答えを求めるかのように自然とラシュナのダンジョン方面へと目を向けた。
すると、戦闘が継続しているラシュナのダンジョン方面の街壁付近と自分たちのいる街門前とのちょうど中間地点、そのあたりに何体かの魔物がいることを発見する。
「一体、二体、三体、四体……十体、十一体…………」
明かりを灯せておらず、まだ暗い中間地点。
そこには見えるだけでも十体以上の魔物が存在している。
たった数百メートル先の地点。
その場に十体以上の魔物がいることを確認し、警戒を強めるローランドローラン。
それと同時に不信感も募らせていく。
(様子が変だ。どうしてあの魔物どもはあの場から動かないんだ?)
自分たちに背を向けているように見える魔物たち。
薄っすらとした輪郭しか確認できないため定かではないが、すべての魔物の視線はある一ヶ所に集約されているようにも感じられる。
(あの場所に何かあるのか……?)
魔物たちが注目し、足を止める原因になっているのではないかと思われるある一点。
果たしてその一点に何があるのか。
何が魔物たちを押し留め、延々と続くかと思われた魔物の流れを堰き止めたのか。
原因を知るため、対策を立てるため、安否を確認するため、正体不明のその何かを見極めようとローランドローランは魔物たちの視線の先へと火を向け、目を凝らす。
(現在は流れを止めている魔物たちもまたいつこちらに向かって動き出すかわからない。街門へと襲いかかってきた魔物たちの撃退、カード化はほとんど完了している。つまり今、確認するなら、今しかない)
すぐにでも魔物が進行してくるかもしれない、あるいはあの一点を避け別の場所から回り込んできた魔物がもうすでに街門の近くまで接近してきてるかもしれない。
そんな焦燥と緊張に包まれながら、持てる力の全てを振り絞りその一点へと意識を集中させていく。
(あそこにある、或いは……あそこにいるのは、善なるモノかそれとも我々に害をなすモノか。敵か、味方か……)
慎重に、しかし迅速に。
次に魔物が襲い掛かってくるまでの限られた時間の中で神経をすり減らしながら、ただその一点だけを見つめ続ける。
薄暗闇の中。
ローランドローランの視線の先。
その一点で――何かが動いた。
直後、魔物たちが動きを完全に止め、その場にバタバタと倒れ始める。
(なんだ!? 今、いったい、何が起こったッ!?)
未だ火の設置に割けるだけの人的余裕もなく、その手に持った松明の頼りない微かな火の灯りだけを頼りに注視し続ける視線の先。
何かが動いたと思った瞬間、魔物が意識か脚を刈り取られたかのように動きを停止した。
カード化していないことから致命傷を与えられたわけではないことはわかる。
だが、それ以上のことは何もわからない。
あそこにあるモノは何なのか、または何がいるのか。
危険はあるのか、恐れることはないのか……。
その何かが自分たちに牙を剥かないという保証はどこにもない。
街門前にいる全員を一度街の中へと避難させた方が良いのか否か。
(ここは数名を残し、それ以外の者は避難させるのが得策か……)
指揮官として門の防衛を預かる身。
門の前から兵士や冒険者たちを撤退させることで魔湧き終了後に責任を追及されることになるかもしれないが、まだ序盤のこんな段階でいたずらに戦力を失うことは許されない。
あの何かの正体が判明するまでは最低限の戦力だけを残し力を温存した方が良い。
(そうと決まれば急いだ方が良いな。すぐに指示を――)
一瞬にして魔物たちの動きを封じたその何かや新たに襲い来るかもしれない魔物に備えるため、数名だけをその場に残し他の者たちを門の中へと避難させようとローランドローランが決意を固めようとしたその時、まだ意識を集中し続けていた視界の端で倒れていた魔物のうち一体の輪郭が――完全に消失した。
続いて、二体、三体、四体……。
薄暗闇の中、次々と姿を消していく魔物たち。
目の錯覚や見間違いなどではない。
明らかに消えている。
(カード化、されているのか? それも、尋常ではない速さで……)
その目に映る異様な現象に底知れない恐怖を覚えながら言葉を失い呆気にとられるローランドローランの目が、新たにある一人の人間の姿を捕捉する。
(あれは、少年……か?)
わずかに見えた顔とその輪郭から導き出されるその姿はまさしく何の変哲もない少年の姿。
どこにでもいそうな少年がその雰囲気に似つかわしくない必死さをもって先ほど何かを目撃した地点を駆け抜けていった。
(やはり少年、だったよな? 危ない、あそこには何かが……いや、少年の行った方向の魔物が次々と消えて……まさか、あの少年が魔物どもをあの場に引き留めていた何かの正体、なのか……?)
新たに確認できた少年らしき者の姿に困惑しつつも状況判断に努めようとしたローランドローランの頭が、ある一つの情報を思い出す。
(そういえばユールに【ヒュドラ殺し】が現れたという話を上から聞かされたな。容姿までは聞いていないが、【ヒュドラ殺し】は少年の姿をしているという噂もどこかで……。前人未踏の偉業、ヒュドラ殺しを成した人物の見た目がただの少年であるなどとは信じがたい、ふざけた話だと馬鹿にしていたが、あの噂が本当だったとしたなら今の少年はもしかして……)
ユールからナールまでは人の足でも走って二十分ほど。
そして、魔湧きの開始からはすでに半刻ほどが経過している。
(夜間、大量の魔物という条件も足されているが【ヒュドラ殺し】と呼ばれるほどの人物であればそんな条件ものともせずにこのナールまで辿り着けて当然……そうだ、あの少年は【ヒュドラ殺し】にちがいない!)
ローランドローランが一瞬だけ目にすることのできた【ヒュドラ殺し】と思われる少年の姿に希望を見出している中、その考えを証明するようにその後しばらくは街門前に魔物がやってくることはなかった。
その時間を利用し、ローランドローランは態勢を整える。
ほどなくしてナールの街門前では治療院や救護所で治療を終えた元負傷兵たちが戦線に復帰し、この長く激しい魔湧きにおいてその門を一度も突破されることなく守り切ることに成功した。