本日の宿
「あれ、言ってなかったっけ? 今日はこの屋敷に泊めてもらえることになってるんだよ?」
「……そうなのか?」
そんな話は聞いていないが……。
「うん! シフォンちゃんがぜひ泊まってください、って!」
「はい。お部屋の用意ももう終わっていますよ」
フィナンシェもシフォンもこう言っているということは本当に今日はこの屋敷で夜を明かすみたいだな。
「俺たちがこの屋敷で……」
まさか俺の人生でこんなに大きな屋敷に泊まれる機会が来るなんてな。
屋敷なんていうのは貴族や金を持った商人が住むようなものだと思っていたから、俺がここに泊まることになるなんて思いもしなかった。
「だから宿を押さえに行かなかったのか」
「うん! 必要ないからね!」
俺もフィナンシェもシフォンもずっと同じ部屋にいたはずなのに俺だけ初耳ということは、俺がノエルとコマ勝負をしていた最中にそういう話になったんだろうな。
よく考えると友人の家に泊まるというのは何も不自然なところのない行為であるし、孤児院にも院長の知り合いがたまに泊まりに来ていたことがある。
大きすぎてピンとこなかったが、屋敷も家であることには変わりない。
つまり、俺たちが友人であるシフォンの家に泊めてもらう。
言い換えると、ただそれだけのことだ。
屋敷を家だと思っていなかったことと俺がこんなに大きな家に泊まれるなんて思ったこともなかったせいで俺の存在と屋敷に泊まるという行為が結び付かなかっただけで、少し考え方を変えれば俺たちがシフォンの使用しているこの屋敷に泊めてもらえるというのはおかしなことでもなんでもない。
泊まらせてもらう家がありえないほどデカいということ以外は友人同士の普通のやりとりだ。
懐かしいな。
俺も狩りが上手くいったときなんかはお土産を持ってチビたちや院長に会いに行っていたもんだが、最後に孤児院に帰ったのはいつだったか。
この世界に来てから二百日くらい経っているはずだから、少なくとも百八十日以上は前だな。
チビたちも友人のようなものだったとはいえチビたちの暮らしていた孤児院は俺にとっても実家であったし、孤児院を友人の家として数えないのであれば友人の家に泊めてもらうのはこれが初めてということになる。
しかも、その初めての友人の家がこんなに大きくて立派なお屋敷。
ここに泊まれるのかと思うと、少し緊張してきた……。
『どうかしたか?』
《こんな凄いところに泊まれるなんて考えたこともなかったからな。落ち着いて眠れるだろうかと考えていただけだ》
これだけ立派な屋敷だ。
俺たちの泊まる部屋もきっと凄いにちがいない。
その上、一人一部屋用意されているというようなことをさっきフィナンシェが言っていた。
俺とテッドは同室だから厳密には一人ではないが、テッドと俺だけで立派な部屋を使用するなど落ち着かないに決まっている。
夕飯を食べたらすぐに眠ってしまおうと考えていたのも今は昔のこと。
精神的に疲れていた夕飯前ならいざ知らず、夕飯が豪勢だったおかげで気力も回復している現状ではベッドに寝転がってすぐに眠りにつくというのは難しいかもしれない。
明日も朝からノエルに付き合わされることになるのだろうし、しっかりと眠れればいいんだが……。
案の定、か。
「ここがトール殿とテッド殿に使用していただく部屋だ」
そう言ってテトラが開けた扉の先に見える室内は本当に一人部屋なのかと疑ってしまうほど広い。
もしこの部屋が孤児院にあったとしたならおそらく三十人部屋として使用されるくらいには広いのではないだろうか。
「ここを俺とテッドでつかっていいのか」
「トール殿たちは大事な客人だ。遠慮なくつかってくれ」
そう言われ部屋を見回すも、やはり俺とテッドには似つかわしくない部屋のような気がする。
ベッドも机も椅子も床に敷かれたカーペットも、すべてがしっかりとしていてとても高そうに見えるし、壁にかけられた絵や机の近くに飾られている花の価値はわからないが、あれらもきっとかなり高級なものなのだろう。
品の良し悪しはなんとなくでしか判断できない俺でもこの部屋は品がいいとはっきり認識できるほどに、一つ一つの出来が良く、部屋全体が綺麗にまとまっている。
「じゃあトール、また明日!」
「明日はアタシが勝つわ。無駄だと思うけど、アンタも負けないように頑張りなさいよ。張り合いがないとそれはそれでつまらないもの」
「それではトールさん、おやすみなさい」
フィナンシェたちも本当に別の部屋へと行ってしまったし、テッドはもう眠ってしまったのか先ほどから念話を送っているも返事がない。
この広い部屋に俺一人。
室内のものは見慣れないほど上質なモノばかりで視線がきょろきょろと動いてしまって落ち着かないし、テッドは眠ってしまっていて話し相手にすらなってくれない。
部屋が広すぎるのもなんだか落ち着けない。
とりあえずベッドに入ってみたが、寝られる気は全くしないな。
狭い場所で寝ることに慣れてしまっている俺には、この部屋で寝ることは難易度が高すぎるのかもしれない。