不思議
立ち並ぶ屋台すべてに列が形成されるほど盛況な東通り。
職人や冒険者が真剣な顔で武具や道具を売買している工房街。
酔っ払いたちの声と美味しそうな香り溢れる中央広場。
見慣れた景色。
嗅ぎ慣れた匂い。
聞き慣れた喧噪。
久しぶりに見たリカルドの街は記憶の中にある姿のまま。
六十日前と何も変わっていない。
屋台で買い漁ったモノを食べ続けているフィナンシェの食欲も以前と変わらず、こうして食べ歩きに付き合っていると一昨日帰ってきたとき以上にリカルドの街に戻ってきたという強い実感が得られる。
それにしても……。
「いつまで食べるんだ?」
「ふぇ?」
俺の疑問の声に、マンジュウとかいう名をした料理を口いっぱいに頬張ったフィナンシェがとぼけたような声を出しながら振り向く。
フィナンシェはいくらでもモノを入れられる規格外の謎胃袋を持ち、放っておけばいつまでも食べ続けるほど食欲が凄い。
それはわかっていたし、食べ歩きと言っていたからには心ゆくまで食べ歩くつもりなのだろうとも思っていた。
しかし、いくらなんでも食べすぎではないだろうか?
日の位置は天高く、すでにほぼ直情まで昇ってきている。
夜明け直後に宿を出てそこからずっと買い食いを続けていることを考えると、宿を出てから今までのあいだにフィナンシェの腹の中に消えていった食べ物の量は大人二人分以上。
二人前以上ではなく、大人二人分以上。
言葉通り人間を二人くらい丸呑みにできる量は軽く腹に入れているはずなのだが、未だその勢いが衰える気配がない。
フィナンシェの視線は常に食べ物を販売している店に向かい、その両手は食べ物を口に運ぶためだけに動いている。
身体を動かせば腹に入れられる量も増えることは知っている。
だが、今日は街中をのんびりと歩きながら買い食いをしているだけで大して動いてもいないはずなのに、どうしてあれだけの量を腹に収めることができるのか。
何度見てもフィナンシェの食事量の多さには慣れない。
不思議すぎる……。
不思議といえば、この世界も不思議だ。
考えても仕方ないからとできるだけ考えないようにしていたが、そもそもこの世界はどういった世界なのだろうか。
人魔界、地球界、陸無界、SF界、死霊界、無界。
人魔界で存在が確認されていた世界はこの六つだが、この世界はそのいずれにも属していない。
環境的には人魔界に似ているようにも思えるが、俺とテッドは世界を渡ってここに来たのだからここは人魔界ではないはずである。
スライムが最強の生物であるという点やカード化の法則という点でも明らかに人魔界とは異なっている。
しかし、この世界でつかわれている言葉は人魔界でつかわれている言葉と同じものだ。
他の世界の者は使用している言語が違うから意思疎通が難しいという孤児院での教えと異なり、フィナンシェとは出会ったときから会話が成立していた。
初めから言葉が通じていたのだからこの世界の言葉と人魔界の言葉が同じであることに疑いようはない。
文字は人魔界のものとは違ったが、人魔界でオンサシビレ草と呼ばれていた草はこの世界でもオンサシビレ草と呼ばれていたし、ゴブリンや馬なんかも多少の違いはあれど人魔界に存在していたゴブリンや馬と名前も姿もほとんど同じである。
同じ言語に、似た生物や同じ名前。
人間の見た目や身体構造も俺やフィナンシェたちとで明確な違いはない。
まぁ、だからこそ吸い込まれるように次々と消えていく食べ物の数々がフィナンシェの身体のどこに収容されているのか気になってしょうがないのだが。
人体の構造的にありえない食事量を記録しているフィナンシェと、未知の世界。
どちらかというとこの世界よりもフィナンシェの身体構造の方が不思議である。
今も右へ左へと移動しながらその腕の中に新たな食べ物を購入し続けているフィナンシェを見ていると、実はフィナンシェは人間ではないのではないかという考えも浮かんでくるが、テッドの分析によるとフィナンシェは間違いなく人間。
以前に一度、フィナンシェが本当に人間なのかと疑問に思いテッドに訊いてみたときに返ってきた答えは「消化吸収が異常に早いだけの人間」ということだった。
ただ、「トールも食べる?」と言いながら幸せそうな顔で赤い色をしたパンを差し出してくるフィナンシェを見ていると、真に恐るべきは消化吸収の早さではなくフィナンシェの食に対する飽くなき欲求なのではないかという気がしてならない。そして、その食欲は明らかに人間離れしている。
おそらく昨日も今日と同じようなペースで夜まで食べ歩きをしていたのだろうし、一応注意しておいた方がいいか。
いくらフィナンシェといえど、さすがに連日飽食というのはまずいだろう……多分。
「食べるなとは言わないが、ほどほどにした方がいいと思うぞ。食べすぎは身体によくないと聞いたことがあるからな」
ほどほどなんて領域はとっくに超えてしまっているし人間基準ではすでに食べすぎもいいとこといった感じだが、何も言わないよりはマシだろう。
このまま放っておいて食べすぎが原因で倒れられても困るしな。
「大丈夫! このくらいならなんともないよ!」
俺の心配が伝わっているのかいないのか、フィナンシェからの返事にはまだまだ食べるという強い意志がこもっている。
あれだけ食べておいて「このくらい」といえる自信と度量の広さは凄い。
今日フィナンシェが食べた量を考えると楽観的すぎる返事のような気もするが、何の心配もいらないというような明るい返事を聞いていると本当に大丈夫そうに見えてくるから不思議だ。
一瞬で不安が吹き飛んだ。
……というか、フィナンシェから受け取ったこのパン。
赤いパンなんて初めて見たんだが、これは口にしても大丈夫なものなのだろうか?