謁見終了
何の説明もなく連れてこられ、いきなり始まることとなったブルークロップ王国第一王子との謁見。
当然のことながら、俺は王族相手の作法なんて身に付けていない。
王子の護衛騎士に促されるままに王子の前に用意されていた椅子に座ったはいいものの、このあとはどうすればよいのだろうか。
王子から「よろしく」と言われたのだから俺も「よろしく」と返すべきか?
いや、王子相手なのだから「よろしくお願いします」か?
何かもっと適切な語があるような気もするし、そもそも俺のような平民が王族に対して言葉を発してもよいのかという疑問もある。
ここは声を出しても良い場面なのかどうか、俺はどう対応すべきか……。
今この場でとるべき行動がわからず悩んでいるうちに王子の表情が厳しいものに変化する。
人の良さそうな笑みから突然切り替わった表情。
もしや何か気に障るようなことでもしてしまったかと不安を覚えた瞬間、王子の口が動いた。
「トール君、力を貸してくれてありがとう。君の活躍によって百十三人の兵士の命が救われた。フィナンシェ君もありがとう。君たちのおかげで僕たちは家族を失わずに済んだ」
何の前置きもなく唐突に述べられた言葉は感謝の言葉。
その言葉が上辺だけのものでないことはしっかりと合わせられた王子の両目からひしと伝わってくる。
ゆえに、困惑が強い。
王族からの心からの感謝にまだ頭が追いつかない。
シフォンからも感謝の言葉をもらった覚えはあるが、シフォンのことは王族ではなく友達として見ていたため何を言われてもそこまで気になりはしなかった。
しかし、いま目の前にいる第一王子は違う。
つい数分前に初めて顔を合わせたばかりであり、友達ではない。
シフォンのように年が近いわけでもない。
おそらく、俺と王子の年齢は十以上離れているだろう。
そのような相手、それも圧倒的な身分の差がある相手からの感謝。
困惑しないはずがない。
人魔界にいた頃は権力とは縁遠い生活をしていた。
当時の俺にとってみれば王族なんてまさに雲の上の人。
会う機会もなければ話す機会なんてもってのほか。
王族という存在がいることは知っていたが、自分とは無縁すぎて王族の凄さなんてこれっぽっちも理解していなかった。
だが、この世界に来てからは権力者と接する機会が生じ、その回数も増え、権力というものがどういったものなのか何となくだがわかるようになってきた。
権力についてまだ完全に把握したわけではないが、今ならわかる。
今の状況のように王族が平民と同じ目線に座り、感謝を述べるなど尋常なことではない。
しかも、いずれこの内界の頂点に立つ者からの感謝。
ブルークロップ一族がそのような気質と言ってしまえばそれまでかもしれないが、これが大変光栄なことだということは俺の頭でも理解できる。
まぁ、光栄なことだと理解できるようになっただけで、光栄という感覚が具体的にどのようなものかについてはまったく理解できていないが。
シフォンで慣れたということもあるのだろうが、王族と対面することへの緊張はあっても、王族から話しかけられたり、ましてや感謝されたりしたことに対して感動するという感覚はまったくわからない。
とにかく凄い状況だと認識できるようにはなったものの、今のように接されるとどうしても感動よりも困惑が勝ってしまう。
権力を持っている者は自分より下の者への感心が薄いと思っていたが、やはりシフォンの兄というだけのことはある。
ブルークロップ王国第一王子からここまで真剣にお礼を言われるとは思っていなかった。
――などと考えているあいだにフィナンシェと王子の間で話が進んでいたらしい。
いつのまにかヒュドラ討伐に対する功績がどうのという話が終わり、シフォンの話題になっている。
「リカルドの街では妹が大変世話になったようだね。王城に戻ってきてからは毎日を楽しそうに過ごしているよ」
王子の表情も真剣なものから人の良さそうな笑みへと戻っている。
真面目な話はもう終わりのようだな。
おそらくあとは世間話を少ししたら謁見は終了だろう。
この調子なら、つつがなく謁見を終了させられそうだ。
気づけば謁見開始から一時間。
ブルークロップ王国第一王子ラーゼとの会話は存外面白かった。
ラーゼの纏う雰囲気がシフォンに似ていたことと、年齢の割には子供っぽく気さくな話し方がまるで同年代の者と語らっているかのような錯覚を与えてくれたからだろう。
いきなり感謝を述べられたときこそ緊張し、困惑したものの、話題が俺たちと別れたあとのシフォンのことになってからはすごく盛り上がることができた。
王子の名前をよく聞いていなかったために「ラーゼ殿下」と呼んでしまい、その後すぐにフィナンシェから「トール、間違えてる。カラメラーゼ殿下だよ」と耳打ちされたときはヒヤヒヤしたが、その間違いも誰にも咎められることがなかったし、むしろ王子からは「ラーゼと呼び捨てにしてくれてかまわないよ」と言われる始末。
内心ではどう思われていたかわからないが、表面上は王子も護衛騎士たちも俺に友好的だった。
やはり、俺がスライムを連れているという情報がしっかりと共有されてしまっているのだろう。
あるいはそれだけ今回の俺の活躍に感謝してくれているか。
どちらにせよ、ラーゼたちが俺の実力に関して勘違いしていることは間違いない。
問題は、このまま勘違いさせておくかどうか。
内界一の大国に実力を過大評価されているとなると今回のような厄介事が今後も舞い込んでくる危険があるが、本当の実力を明かすこともそれはそれで危険が伴う。
なんというか、早めに本当のことを打ち明けないとまずいことになるような予感もしている。
しばらくは勘違いさせたままでいくつもりだが、新たな悩みの種を見つけてしまった気分だ。
ラーゼとの会話の最中、ブルークロップ王国ならカードコレクターから俺を守ってくれるのではないかと思いつくことさえなければ打ち明けるかどうか考えなくてもすんだんだが……思いついてしまったのだから仕方がない。
俺がこんな思考に陥ったのも、シフォンとラーゼが俺に友好的なことと、ブルークロップ王国が大抵の脅威をものともせずに跳ねのけられるだけの力を持っていることが悪い。