まばゆい光
ヒュドラとの戦闘のため討伐軍の部隊の一つに交じりヒュドラのもとへと向かっている途中、再生能力が限界を迎えたと思われるヒュドラに次々と大規模魔法ないしは大規模魔術が襲い掛かる光景が目に映る。
空へと立ち昇る巨大な火柱や地面から突き出てきたその巨大な土の腕を見て、なんとなくノエルがあそこにいるのではないかと思った。
フィナンシェからはノエルのいる部隊が現在ヒュドラと戦闘中かどうかは聞いていない。
それにブルークロップ王国の護衛騎士や兵士たちであればあれほどの大規模魔法を続けて発動することも可能かもしれない。
そう考えるとあの火柱や腕を発動したのはブルークロップ王国の人間である可能性もあり、ノエルがあそこにいるという保証はない。
だが、俺としてはあの火柱や腕を作り出したのがノエルであってほしいと思ってしまっている。
おそらく、ノエルが俺の知る限り最高の魔術師だからだろう。
再生できなくなったヒュドラとノエルの魔術の勝負ならノエルに軍配が上がる。
そう断言したくなるほど俺はノエルの魔術の腕に信頼を置いている。
そしてその信頼があるがゆえにノエルを心配することはない。
ノエルがあの場にいるのだとすれば勝ちは決まったようなもの。
俺がヒュドラのもとへと辿り着くまえにヒュドラを倒しきってくれる可能性もあり、そうなれば俺はヒュドラと戦わなくてすむし、ノエルがいま俺たちの向かっている先にいるのであればそのまま顔を合わせて仲直りすることもできるかもしれない。
つまり、今から数時間以内にこの国へとやって来た目的を二つとも完了させられるかもしれない。
そういった思いがあるからだろうか、俺はあの大規模魔術を行使した者の正体がノエルであってほしいと思ってしまっている。
「今の炎すごいね! ごおおおおおって昇っていったよ! あの腕もこのままヒュドラを握りつぶしちゃいそうだし! もしかしてノエルちゃんの魔術かな?」
隣を歩いているフィナンシェも今のはノエルの魔術ではないかと思ったみたいだ。
もう十分もしないうちにヒュドラの足元に到着してしまいそうな距離にいるというのにフィナンシェは緊張した様子もなく地面から生えた二本の巨大な腕を見てはしゃいでいる。
ヒュドラになんて近づきたくもないと思っている俺からすれば自然体でいられているフィナンシェの姿は羨ましく、そしてどこかおかしいようにも見える。
ブルークロップ王国の兵士たちがすぐ近くを歩いているにもかかわらず外面フィナンシェになっていないことを考えるとフィナンシェも緊張しているのかもしれないが、フィナンシェが外面を被るタイミングは未だによくわからないところが多いからな……。
どちらにせよ、この距離からヒュドラのこの迫力を目にしてそれでも笑っていられるフィナンシェの胆力は凄い。
ノエルも何物にも物怖じしないような自信と性格を持ち合わせていたし、一流になれる者たちというのは俺たち凡人とはモノの感じ方が違うのかもしれない。
などと考えていられるのも地面から生えた二本の腕のおかげ。
フィナンシェの言うようにヒュドラを拘束し、そのまま圧し潰そうとしているように見えるあの腕は凄い。
腕が生えてくる直前に空へと昇っていった火柱と合わせてヒュドラを圧倒している。
実際のところ、もしあの魔術ないしは魔法を発動した者の正体がノエルでなかったとしてもこのままヒュドラを倒してくれるのであれば俺としてはどちらでもいい。
ノエルとすぐに仲直りしたい気持ちも強いためあそこにノエルがいてくれるといいなどと考えもしたが、今はノエルとの仲直りよりも俺やテッドの命を脅かす存在であるヒュドラのカード化の方が優先される。
火柱と腕を見ればあれらの魔法を発動した者の腕が良いことはわかるし、俺たちがヒュドラのもとに着くまえにヒュドラをカード化してくれるのであればあの腕の発動者がノエルでなくとも構わない。
ノエルとの仲直りは討伐が終わったあとにゆっくりと進めればいい。
……なんて考えていたのはつい二分ほど前のことだっただろうか。
そんな考えは今は完全に吹き飛んだ。
「お願いします! どうか、どうか仲間たちを助けてやってください!!」
耳に届くのは兵士たちの発するそんな声ばかり。
俺の左右を並走しながら必死に懇願してくる兵士たちに急かされ、向かいたくもない場所――古城に向かって走らされる。
一分ほど前、ヒュドラがその口から大量の毒を吐き出したことによって突然状況が変わった。
巨大な腕に拘束され成す術もなく攻撃を蓄積されていくヒュドラ。このままならばカード化までに一時間もかからないだろう。
そう思った矢先のヒュドラからの手痛い反撃。
俺たちはその範囲から逃れられていたものの、空を埋め尽くすほどの禍々しい色の毒は古城を中心としたかなりの広範囲に降り注ごうとしている。
それをなんとかギリギリで押しとどめているのは魔術師や魔法つかいが作成したと思われるいくつかの結界。
毒の着地点にいる兵士たちの命をギリギリで繋ぎ止めているその結界たちは見る見る間にその形を崩壊させ、消滅していく。
ヒュドラの行動によって一瞬で霧散した勝利の気配と安堵の雰囲気。
あの毒に触れたら何もかもが溶かされる。
結界の下にいる兵士たちはきっとカード化する間もなく死を迎えることになるだろう。
そんなことは俺にもわかる。
そして当然、俺やフィナンシェとともにヒュドラのもとへと向かっていた兵士たちもそのことに気づいた。
彼らはきっとこう思ったのだろう。
どうすれば仲間を助けられるか。
あの毒を何とかする方法はないか。
知恵を振り絞り、頭を悩ませ、そして気づく。
「トール殿、どうか、どうか仲間たちをお助けください!!」
俺と目の合った兵士が突然そんなことを叫びだす。
それに追従するように他の兵士たちも俺に縋り始める。
彼らは俺が【ヒュドラ殺し】であることを知っていて、さらに俺が聖属性魔法でヒュドラを倒したという情報を知っていた。
実際にはあのとき俺がヒュドラに対してつかったのは聖属性魔法ではなく浄化魔法であるし、それだってすでに弱りきっていたヒュドラが相手だったからこそトドメを刺すのに一役買うことができただけだ。
俺の浄化魔法の腕前は大したことがなく、ヒュドラの毒を解毒できるほどの力はおそらくない。
ましてやあのような広範囲に魔法を行き渡らせられるほどの魔力など持っていない。
しかしそんなことは兵士たちの知ったところではない。
あの【ヒュドラ殺し】の聖属性魔法ならこの大量の毒も完全に解毒することができるかもしれない。
おそらくそんな考えのもと行動を始めた兵士たちの気迫と言葉に否定の言葉を投げかけることもできず、もしかしたらノエルもあの場所にいるかもしれないと考えてしまっていた俺はいつものように場の雰囲気に流され、毒に対し浄化魔法を発動するため万全ではない体調を押して古城へと走り向かうことになったわけなのだが……。
無理だ。
そんな考えが頭の中を支配する。
近づけば近づくほど、空中に押しとどめられている毒の量が多いことがわかる。
少しずつ目に見える大きさを増していくその毒は、俺にどうにかできる量を軽く超えてしまっている。
並走している兵士たちの目もあるため足を止めはしないが、諦めの気持ちは段々と大きくなっていき、そして、ついに――最後の結界が打ち破られ、毒が古城目掛けて降り注ぐ。
「トール殿!!!!」
「トール!!」
毒が地面へと流れ落ちていく様を目にした兵士たちやフィナンシェが俺に向かって強く叫び、その声に呼応するように俺も空に向かって浄化魔法を発動する。
仲直りもせずにこのまま死なせてなんかやるもんか!
ノエルに向かって強くそう思い、全力で魔力を注ぎ込む。
『おい、今は――』
そして――――テッドが何かを伝えてこようとした瞬間、予想以上の勢いで身体から魔力が抜けていき、意識が飛んだ。
制御しきれなかった魔力が暴発でもしたのだろうか、意識が飛ぶ寸前、空が眩く光ったように見えた。