合流、討伐軍
六つ首を乱暴に振り回しながら毒を飛び散らしまくっている巨大な生物が、耳をつんざくような悲鳴を上げている。
ベールグラン王国に入ってから五日目。
長い馬旅が終わり、やっと俺がヒュドラの姿を視認したとき、ヒュドラは咆哮とも悲鳴とも受け取れるような曖昧な鳴き声を響かせながら気に入らないモノを破壊しようとする子供のように暴れまわっていた。
「凄い迫力だな……」
「おっきいよね」
ここは討伐軍の拠点の一つと言っていたか。
ヒュドラまで歩いて一時間くらいの距離しか離れていなさそうに見えるこの小高い丘の上からは古城に攻撃を続けているヒュドラの姿がよく見える。
遠目からでも大きいとわかる古城。
その古城と同等以上の巨躯を持つヒュドラが猛威を振るっている姿を見ると人の手でどうにかできる相手ではないのではないかと思ってしまう。
ただでさえ気分が悪いのに、ヒュドラの異様な迫力とその暴れようを目の当たりにしてますます血の気が引いていく。
隣にいるフィナンシェはいつも通りの笑顔を浮かべながら呑気な感想を言っているが、フィナンシェはあれを見て大きい以外に何も思わないのだろうか。
どうもフィナンシェとは同じ景色を見ているような気がしない。
周囲にいる討伐軍の者たちは厳しい表情でヒュドラを見つめているから俺の感性がおかしいわけではないようだが……。
「俺たちの出番は今から二時間後だったか?」
「うん、大体それくらいだったはずだよ」
ヒュドラの驚異的な再生能力を削るためにはヒュドラに休ませる時間を与えてはいけない。
常にヒュドラに傷を負わせ再生させ続けるために討伐軍はいくつかの部隊に別れて交代で攻撃を行っている。
そしてこの部隊の次の攻撃開始時間が二時間後。
背後にあるテントの中で目を起こしてすぐフィナンシェから伝えられたのはそんな内容だった。
残念ながらノエルはこの部隊にはいないみたいだが、ノエルもすでに討伐軍に加わっているらしい。
ノエルはヒュドラ討伐後、ヒュドラがあの古城に来るまでの道中に撒き散らしてきた毒の解毒作業も手伝うらしいからそのときに会話の時間は取れるだろうとフィナンシェは言っていたが、あんな化物と戦闘を行って俺が生き残れる未来が想像できない。
ヒュドラ討伐後、俺はノエルと会話ができるのだろうか。
会話どころか永遠に会えなくなっているような気がしてならない。
大丈夫。
ヒュドラとの戦闘はたった三時間だけ。
その三時間を生き残れば次の部隊と戦闘を交代することができる。
そう考え自分を奮い立たせていないと胃の中のものをぶちまけてしまいそうだ。
実際にその三時間を生き残れたとしてもそこからまた数時間もすれば再びヒュドラと戦うことになるのだが、そんなことを考える余裕はない。
というより、それを考え始めると本当に戦意を喪失してしまう。
そして、それは許されない。
俺とフィナンシェ、特に【ヒュドラ殺し】と呼ばれている俺がこの場に到着したことはすでに討伐軍全体に伝えられているらしく、逃げることはできない。
もし俺がここで逃げてしまえば【ヒュドラ殺し】がいるということで鼓舞されていた兵士たちの士気が下がり、戦闘に影響が出る。
さらに、俺の浄化魔法が放たれないことに兵士たちが動揺でもしてしまえばそれがきっかけでこの部隊は全滅してしまうかもしれない。
部隊が一つでも壊滅状態に陥ればヒュドラとの戦闘はかなり厳しくなる。
場合によっては討伐軍全滅に繋がる危険もある。
……と、討伐軍の拠点に着いたとフィナンシェから聞いた直後に俺が今ここからいなくなったらどうなるかとフィナンシェに訊いたところ、そんな答えが返ってきてしまっている。
俺の行動一つでこの戦の勝敗が決する可能性がある。
そんなことを聞かされてしまえば逃げることなどできない。
もう覚悟を決めて死ぬ気で突っ込むしかない。
それにしても、どのような仕掛けがあるのか、討伐軍はヒュドラよりも小さいように見える古城をつかってヒュドラをしっかりと足止めしている。
その場から移動することもなく古城へと攻撃を続けるヒュドラ。
遠目すぎてはっきりとは見えないが、古城はヒュドラの毒を受けても溶かされていないように見える。
こうして見ているとヒュドラが討伐軍からの攻撃を嫌がっていることがわかる。
しかし、致命傷を与えられるほどヒュドラの再生能力を削れているわけでもない。
その証拠に、ヒュドラは首を乱暴に振り回し続けている。
あれだけ動き回っているのだ。まだ余力があるのだろう。
どうしてヒュドラがまだ元気なときに到着してしまったのだろうか。
せめてヒュドラがもっと弱って動きが鈍っているときに到着できれば。
どうせならヒュドラがカード化する直前……。
もっと言ってしまうなら、ヒュドラが倒された直後に到着するのが一番良かった。
力を誇示するかのように暴れまくっているヒュドラを見てそう思う。
ヒュドラの再生能力はまだ残っている。削り切れていない。
これはヒュドラを倒すまでにまだまだ長い時間がかかりそうだ。
ヒュドラのカード化はまだまだ先のこと。
この調子だとヒュドラと何度も交戦しなくてはいけないことになる。
考え得る限り最悪のタイミングでヒュドラに追いついてしまった。
ヒュドラを見て真っ先に考えたのはそんな感じのことだった。
あの元気そうなヒュドラが一日や二日でカード化してくれるとは思えない――そんな絶望に襲われた。
その認識が変わったのはヒュドラを視認してから三十~四十分後にヒュドラの首が一本斬り落とされたとき。
切断されたその首が再生しない様子を見て異変に気づいた。
首の一本や二本なら十五分もあれば生やし直してしまえるほど高い再生能力を持つヒュドラ。
そのヒュドラの首がまったく再生する様子を見せない。
そして、それからさらに三十分が経過しても首が再生する気配はなかった。
首が再生しないということはヒュドラの再生能力はもう限界ということ。
今のヒュドラには傷を自己修復するほどの再生能力は備わっていない。
このまま絶えず攻撃を続けていけばいずれヒュドラがカード化するのも時間の問題。
いける。
いや、いけ。
あと一時間以内にヒュドラを倒してくれれば俺はこの身を危険にさらさずにすむ。
現在ヒュドラと戦闘を行っている部隊との交代のために先ほどまで小高い丘の上で待機していた討伐軍と一緒にヒュドラのもとへ向かっている途中、ヒュドラを包み込むように立ち昇った巨大な火柱や地面から生えた土製の巨腕がヒュドラを拘束するのを眺めながらそう念じ続けた。