アイアンビット
これも食べられるのかと疑問に思ったアイアンビット。
どう見ても鉄の塊であるそれをフィナンシェが斬り刻み、くり抜き、鉄板と鍋に加工していく。
その様子を寝転がったまま眺めていたらフィナンシェがその行動の意味を教えてくれた。
「アイアンビットは鉄みたいな見た目をしてるけど斬撃に凄く弱いから剣があれば簡単に加工できるんだよ」
「へー」
「あと、熱が伝わるのが早くて火の近くに置くとすぐにアツアツに熱されるのも特徴かな。熱したアイアンビットの上で焼いた肉はすごくおいしいんだ~」
「それは楽しみだな」
アイアンビットは食材ではなく調理器具だったようだ。
理由は判明していないが熱したアイアンビットのカラダをつかって調理をすると料理が美味しくなるらしい。
特に肉料理やスープなんかは格別に美味しくなるという話をうっとりとしたような顔をしているフィナンシェが教えてくれた。
それを聞いて今か今かと待ち構える俺とテッドのすぐ目の前で、処理の終わったばかりのアーマードベアーとロックディア―の肉が火のそばで熱されたアイアンビットの上に丁寧にのせられていく。
最初に俺の胴ほどの大きさの肉の塊がドンッと置かれ、その後その周りに一枚、二枚……と厚切りにされた肉たちがどんどん並べられていく光景は迫力が凄い。
じゅ~っという音とともに食欲のそそられる匂いが届けられ、食欲のおかげか気分の悪さも少し和らいだような気がする。
『いい匂いだな』
《そうだな。って、お前、嗅覚ないだろ》
嗅覚はないが肉が焼かれると美味しそうな匂いがすることは知っているテッドからのスライムジョーク。そのジョークにツッコミを入れつつ肉が焼けるのを待つ。
《アイアンビットのカラダで焼くと美味くなるらしいが、あれで焼いただけで美味くなるなんて不思議だよな。見た目は鉄と変わらないのに》
『アレで焼くと美味くなるのか。それは楽しみだ』
《どんな味がするんだろうな》
『食感が変わるのではないか?』
《食感の変化か。それもありそうだな》
同じ肉でも焼き加減がちがうだけで別物のように感じられることがある。
鉄板で焼いたときとアイアンビットで焼いたときとで味が変わることの一因に食感のちがいがあったとしてもおかしくはない。
というか、カラダの中にモノを取り込んで吸収していくだけのスライムでも食感のちがいがわかるのか。それは知らなかった。
人魔界にいた頃は食べ物といったら木の実や硬いパンばかりで手に入る肉も干し肉くらいのもの。食感について感想を述べられるような食生活ではなかったからな。
この世界に来てからは食生活もだいぶ変わったが、テッドの感想はいつも食べ物の大きさや味ばかり。食感のちがいも感じられるなんてことは今初めて聞いた。
五年以上もずっと一緒にいるのにまだ知らないことがあるなんてな。
びっくりだ。
と、軽く驚いたところでお待ちかねの肉が食べごろを迎えたらしい。
一度火のそばに置かれたのちすぐに火から離され、そこそこの熱さを保ったまま俺とテッドの前に置かれていた大皿サイズのアイアンビットのカラダの上にフィナンシェの運んできたいい感じに火の通った肉がのせられる。
皿代わりのアイアンビットからはみ出てしまいそうなほど大きな肉が美味しそうな匂いと音を立てながら腹を刺激し、気づいたときには一切れの肉が口の中に入っていた。
「美味いッ! 熱い!!」
アイアンビットの上で熱されていた肉はまだ熱く、しかし熱さよりも先に舌を刺激してきたのは旨味だった。
直後、遅れてやって来る熱いという感覚。
熱さよりも優先される、それほど強烈な美味しさ。
肉も、肉から溢れ出る肉汁も、どちらも火傷してしまいそうなほど熱い。
が、舌が肉を口から出すことを拒否している。
つい先ほど肉の匂いにつられて起き上がるまでは身体を起こすのも大変だった身とは思えないほど背筋がしっかりと伸び、目も大きく見開かれ、まるで全身でこの味を噛み締めようとしているかのように全身に力が漲っているのがわかる。
いつ切り分けたのか、どうやって口に入れたのかも覚えていないその肉はそこそこの大きさがあったにもかかわらず苦もなく胃へと滑り落ちていく。
食感が変わるどころの話じゃない。肉そのものが作り変えられているのではないかと思うほどの衝撃。
「今の肉はどっちの肉だ?」
「アーマードベアーだよ」
「これは普通の鉄板で焼いてもこんなに美味しいのか?」
「うーん、普通に焼いてもおいしいけど、やっぱりアイアンビットをつかって焼いた方が数段上かな?」
「そうなのか」
フィナンシェが言うなら間違いないな。
アイアンビットをつかった方が格別なのは最早疑いようがない。
「ただ、それならどうして俺はアイアンビットをつかって作られた料理を食べたことがないんだ? これまでにも美味しい料理はたくさん食べてきたが、ここまで強烈な旨味を感じた記憶はないぞ」
「あー、アイアンビットはちょっと特別な魔物なんだよね」
「特別な魔物?」
これを店で出せば繁盛間違いなしなのにどうしてアイアンビットをつかっている店がないのか。
そう訊くと特別な魔物だからだと返された。
特別な魔物……滅多に姿を現さないとかだろうか?
それにしてもカード化の法則があれば肉屋の肉のように無限に増殖させられると思うんだが。
「簡単に説明すると、アイアンビットはカラダを真っ二つに斬り離したとしても両方ともカード化して一枚のカードになっちゃうの」
「カード化すると何の素材も残らないということか?」
「うん、たまにいるんだよね。どんなに細かく解体してもカード化するとまるで全身がつながってるみたいに一枚のカードになっちゃう魔物が。そういう魔物を連動魔物って呼ぶんだけど、残念なことにアイアンビットもその連動魔物の一種なの」
つまり、真っ二つに両断しても肉屋の魔物のように一方はカードに、もう一方は肉として手元に残る、なんてことはないと。
アイアンビットのカラダを入手するためには一度カード化してから十二時間以内に戻してもう一度トドメを刺さないといけないということか。
「それに、アイアンビットのカラダが熱されやすく冷えにくい性質を持つのは死んでから十時間以内の短い間だけなの。十時間を過ぎるとただの切りやすい金属になっちゃうから再利用も難しいんだよね」
連動魔物という特殊性に加えて調理器具としての機能を発揮するのは十時間だけ、と。
食べることが大好きなフィナンシェのことだからもっと残念そうに言ってもいいものなのだが、そこら辺はもうとっくに心の整理がついているようだ。
アイアンビットをつかった料理が滅多に食べられないことを悲観している様子はない。
「あと……」
まだ何かあるのか。
「アイアンビットが生まれるダンジョンも一つだけあるんだけど、そこはそのダンジョンの存在する国に管理されちゃっててその国と契約した人じゃないと入ることができないし、そのダンジョンの外にいたアイアンビットはもう全部狩り尽くされちゃったんだ……」
「それは、滅多に食べられないわけだな」
フィナンシェがやっと見せた暗い表情。
それは人間の都合で狩り尽くされてしまったアイアンビットのことを思ってか、それともアイアンビットをつかった料理を滅多に食べることができないことへの哀しみか。
おそらく後者の方が比重は大きいだろうな。
狩り尽くされたとはいっても所詮は魔物だし、こんな大きな金属の塊がそこら辺にいたのでは危険すぎて隣町にすら出向けやしない。
少なくとも、村や町をまわって商売をしている行商人や外からの脅威に立ち向かわなくてはいけない騎士や兵士たちからしたらアイアンビットが狩り尽くされたことは喜ばしいことであるにちがいない。
暗い表情を浮かべたあとすぐにアイアンビットの上で焼かれ続ける肉のうちの一つをぺろりと平らげ気を持ち直したらしいフィナンシェは、その後も笑顔でパクパクと肉を口に入れていく。
隣にいるテッドも黙々と肉を食べ続けている。
肉はまだまだ残っていてそう簡単になくなる量ではないが、フィナンシェとテッドの食事量を侮ってはいけない。
俺も美味しいものを食べたことによって多少の元気と食欲も戻ってきたことだし、アイアンビットをつかった料理が滅多に食べられないものだというのなら今のうちにたくさん腹に入れ、その味と感動を忘れないようにしておきたい。
それにしても、国と契約しないと入手できない魔物か。
ということはもちろん、アイアンビットはそこら辺の町や店なんかで簡単に扱えるものではない。
アイアンビットが生まれるというダンジョンからどのくらいの頻度でアイアンビットが誕生するのかは知らないが、きっと各国の王族や貴族たちくらいしか手に入れることはできないのだろう。
他に入手している可能性がある場所といったら裕福な商家か高級料理店くらいのものだろうか。
………………ん?
それならどうして俺たちはこんなところでアイアンビットをつかった料理を食べることができているのだろうか。
「なぁ、もしかしてアイアンビットが生まれるダンジョンを管理していた国って……」
「うん。ベールグラン王国だよ」
これは……アイアンビット乱獲のチャンスかもしれない。