討伐軍の噂
リカルドの街を発ってから七日。
馬に乗りすぎたせいで頭痛がひどい。
具体的には頭が割れていないのが不思議なくらい痛い。
《なぁ、テッド。俺の頭どうなってる? 実はもう大きく割れてたりしないか?》
『割れるとはどういう意味だ?』
《あー、俺の頭に外傷はないか? 特にこの辺り》
『何を言いたいのかわからんが、何もないぞ』
《本当か?》
『嘘を吐いてどうする』
頭頂部より少し右、特に痛む部分を指差しながら訊くもテッドからの返事によると外傷はなし。
それを聞いて自分でも恐る恐る触ってみたが、たしかに髪の毛と頭皮があるだけで異常は何もない。いつも通りの頭の感触だ。
しかし、そのいつも通りが逆に怖い。
頭に大きな傷でもできていればこの痛みにも納得できるのだが、何もないのにこれだけ痛いというのは不安になってくる。
物体の表面だけでなく内面まで見通せるテッドが言うのだ。
頭の中にも何も異常はないのだろうが、本当に大丈夫なのだろうかと思ってしまう。
異常がないことが異常に思えるほど痛いのだが。
「っ、ぐぁ……あぁ……」
絶えず走る痛みは波のように強弱をつけて襲ってくる。
今も自然と苦悶の声が漏れてしまうくらいには痛いが、それでも痛みと吐き気と寒気が同時に襲ってきた十数分前よりはマシだ。
あのときの痛みは尋常ではなかった。
今みたいに考え事をする余裕なんてとてもなかったし、ただただ痛みが過ぎ去るのを待つので精一杯だったからな。
なんとか死ぬこともなく耐えきることができたが、まるでこの世のものとは思えないほど痛かった。
もう来ないでくれとは思うが、またいつあの痛みが襲ってくるかわからない。
先ほどまでは頭の右側が特に強く痛んだのに今は左側の方が痛くなってしまっているくらいだ。
痛みが移動しているのだから痛みが強まったとしてもおかしくない。
こんな苦しみがあと十日以上も続くのかと思うと涙が出そうになる。
しかも、この痛みはどう考えても馬での長時間移動のせい。
つまり明日明後日と馬で移動していくうちにさらに痛みや吐き気が強まる可能性がある。
『そんなに痛いか?』
《死ぬほどな》
『薬は飲んでいるんだろう?』
《あぁ、頭痛や吐き気に効く薬も飲んでるはずなんだが全然効果はないみたいだ》
薬が効いていてこの痛みなのだとしたらヤバすぎる。
その場合、もし薬を飲んでいなければ確実に気が触れていただろう。
《お前はいいよな。痛みを感じないんだろ?》
『スライムは簡単な攻撃で死ぬからな。痛覚など必要ないのだろう』
痛みを感じるようなことがあればそれは死ぬとき。
その通説どおり、スライムは子供の振り下ろした棍棒に当たっただけでも死ぬことがある。
非力な子供にも殺されてしまうのだ。痛みを感じるような衝撃を与えられればスライムは簡単に死ぬ。
痛み=死。ゆえにスライムには痛覚が必要ない。
この説が正しいかどうかは知らないが、テッドには実際に痛覚がない。
痛覚がないということはそれほど脆い生物であるということらしい。
ゆえに、痛覚がないことを羨んだことはこれまで一度もなかった。
だが、今はその体質が喉から手が出るほど羨ましい。
なによりも心配なのは、今後より一層激しさを増すと予想される体調不良。
俺の中ではもう本格的に馬での移動と死が結び付き始めている。
ここから先に進むためには死を覚悟しなければいけない。
まさかベールグラン王国に辿り着くまえにこんな難敵が待ち受けているなんて思いもしなかった。
せいぜい二十日程度気分が悪くなるのを我慢すればいいと高を括っていたら予想していた気持ち悪さの上限を軽く越えられてしまった……。
これではベールグラン王国に着いたとしてもすぐには動けない。
三日くらいは療養する必要があるだろうな。
そして復調したあとはすぐさまヒュドラとの戦い。
…………俺が復調するまでのあいだに、トーラたちがヒュドラを倒してくれはしないだろうか。
ヒュドラを討伐すればノエルはどこか別の国に行ってしまうはず。
俺たちが行くころにはヒュドラを倒し終えていてほしいと望むものの、行った先にノエルがいないのでは意味がない。
もしトーラたちがヒュドラを倒すのだとすれば俺たちの到着はヒュドラが討伐された直後が望ましい。
ヒュドラが討伐され危険の去ったベールグラン王国にてノエルと仲直り。
それが最良の結果。
アッセなんとかが俺を攫おうとした件からベールグラン王国の者にも注意を払わなければいけないと言われてはいるが、ヒュドラなんていう化物と比べたら人間相手の方がよっぽど気が楽に決まっている。
とにかく、俺たちがベールグラン王国に着くころにはヒュドラを討伐し終えていてほしい。
頭痛が治まり始めてからはずっとそのようなことばかり考えていたが、物事はそう上手く運ばないらしい。
「ヒュドラとの交戦は五日後からみたいだよ」
町中で情報収集をしてきたフィナンシェの話によるとこの町にもヒュドラ出現の情報は出回っているらしい。
しかし、この町からベールグラン王国までは馬を全力で走らせて十三日の距離。
この世界の馬は徒歩で三日かかる距離をたった数時間で走破するくらい速く、その馬の全力で十三日の距離といったらとてつもなく離れている。
よって、町民たちはベールグラン王国に現れたヒュドラのことを対岸の火事としか捉えておらず町中でもちらほらとしかその話題は上がっていなかったみたいだが、フィナンシェがその少ない情報をかき集めた結果わかったことはブルークロップ王国から出兵した討伐軍は今日より五日後から長期に渡ってヒュドラを討伐する予定らしいということ。
ヒュドラを相手取る上で厄介なのはヒュドラのカラダを覆う強毒と脅威的な再生能力。
まず、武器まで溶かしてしまうその毒を突き破ることは非常に難しく、もしその毒を突破できたとしても次に待つのはヒュドラの持つ硬い鱗。
そしてさらにその鱗を攻略したとしても高い再生能力によって見る見るうちに回復されてしまう。
ただでさえ素の身体能力の高いヒュドラを相手にその毒と再生にも気をつかわなければいけないというのは中々に骨が折れる。
いや、骨が折れるどころか常人なら一瞬で骨まで溶かされる。
ヒュドラというのはそれほどまでに恐ろしく、厄介な魔物だ。
今回ヒュドラへの理解が一番深く実際に交戦経験もあるトーラが率いているらしい討伐軍は、まず初めにその脅威的な再生能力から削ることにしたらしい。
ヒュドラとて生き物。
驚異的な再生能力を持つといっても際限なく再生できるわけではない。
再生し続ければその力は次第に衰え、最後には再生できなくなる。
トーラは高火力での短期決戦をすることはなく、着々と準備を進めた上で五日後の朝方から満を持してヒュドラに攻撃を開始することにしたらしい。
少しずつ再生能力を奪っていき、確実にトドメを刺す作戦。
長期というのがどのくらいの日数を指しているのかは不明だが、相手は六つ首のヒュドラだ。
おそらく十日やそこらでは討伐は終わらないだろう。
もっとベールグラン王国に近づかなければヒュドラの詳細な現在地はわからないが、この町からヒュドラのもとまでもう十五日もかからないはず。
俺たちが着くまでにヒュドラを倒しておいてくれという俺の願いが叶えられることはなさそうだ。