厄介事が二倍
命を賭した仲直り。
言葉にしてみたらかっこいいのではないかと思ったが、そんなことは全然ないな。
むしろ意味不明だ。
どうして仲直りのために命を賭けなければいけないのか。
それに、ノエルと会ったとしても仲直りが成功するとは限らない。
ヒュドラのもとに行けばノエルに会うことは可能だろうがその先は成り行き次第だ。
ノエルとの仲を修復できるかは不明。
上手くいかなければさらに溝が深まる可能性もある。
もし溝が深まることになったら最悪だな。
ノエルと仲直りをするためだけに死ぬかもしれない危険な地に足を運ぶというのにその結果が失敗でしたでは話にならない。
危険の冒し損だけは絶対に避けたい。
「――説明は大体こんなところだな。今説明したことはさっきお前達に渡した紙に全て書いてある。戦闘が始まるまでにじっくり読みこんでおくといい。ま、トールとソイツには必要ないだろうけどな」
ヒュドラについて判明していることを説明し終えたギルド長がテッドの入っているかばんと俺を見ながらそう言う。
ギルド長は俺とテッドならヒュドラくらい簡単に倒せると誤解しているからの台詞なんだろうが、たしかに俺とテッドにはこの資料は必要ないかもしれない。
なにせ、今説明された二つ首のヒュドラから得られている情報だけでも俺とテッドには手に負えない。
それなのにさらにその数倍~数十倍の力を持つ六つ首の相手なんてとてもじゃないが無理だ。
ヒュドラの持つ鱗の硬度がわかってもそれを貫けるだけの攻撃手段を持っていないし、そもそもヒュドラの動きについていけるだけの身体能力を持ち合わせていない。他の情報についてもそうだ。俺とテッドにはここに記されている情報を活かせるだけの実力がない。
知っておいて損することはないと思うが知っていて得することもない。
どう考えても役に立たない情報。
ギルド長の思惑とは真逆だろうが、知っていても知っていなくても関係ないという点でたしかに俺たちにはこの情報は必要ない。
「それともう一つ。お前達も気付いてると思うが、ヒュドラが現れたのがベールグラン王国というのが引っかかる」
引っかかる?
「モラード国でトールが連れ去られそうになったことですよね?」
「そうだ。このまえお前達がモラード国から帰ってきた時、お前達から話を聞いた後にモラード国から送られてきた調書も確認したがダララのダンジョンでトールを攫おうとした男はベールグラン王国の者だった。今回のヒュドラ出現と何か関係があるかもしれん。十分に気をつけろよ」
ギルド長の言った「引っかかる」という言葉に引っかかっているうちにフィナンシェとギルド長の間で行われた会話。
その会話のおかげでギルド長が何に引っかかっていたのかは理解できたが、そういう大事な情報を後出ししないでほしい。
これはつまり、ベールグラン王国にはヒュドラ以外にも危険があるかもしれない。人間にも注意を払っておけと。
そういうことだよな?
「馬はこちらで用意しておく。準備を整えたらすぐにベールグラン王国に向かって出発してくれ」
「わかりました」
どうしてこう、行くと決めたあとに不安を煽るようなことを伝えてくるのだろうか。
しかも、もうこの部屋を退室する雰囲気になってしまっている。
フィナンシェも、「わかりました」ではなくもっと他に言うべきことがあるのではないだろうか。
ヒュドラだけでも手一杯なのに、そのヒュドラに襲われているこれから助けに行こうとしている国も敵かもしれないなんておかしいだろ。
「トール行こう。早くしないとどんどん被害が拡大しちゃう」
「あ、ああ……」
フィナンシェに促されてなんとなくギルド長室から退室してしまったが、できることなら今すぐ引き返してやっぱりヒュドラの討伐には参加しないと言ってやりたい。
しかし、一度口にした言葉を引っ込めるのは男らしくない。
院長の教えにも反することになるし、ここは涙を呑んでベールグラン王国に向かうしかない。
それにしても、この世界に来てからは危険に巻き込まれることが多い気がするな。
人魔界にいた頃は身の危険を感じるようなことはほとんどなかったんだが、どうして最近はこんなにも面倒事が付いて回ってくるのだろうか。
…………やはり“世界渡り”をしたせいか?
なんであれ、凄く面倒くさいと思っていた厄介事が物凄く面倒くさい厄介事に変わったことだけは間違いない。
モラード国で俺をぐるぐる巻きにして攫おうとした男はアッセなんとかという名だったか。
あの男に俺を連れてくるように命令した国がどこだったかは覚えていなかったが、フィナンシェとギルド長の会話を聞く限りでは今から向かうベールグラン王国とやらがその命令を下した国らしいからな。
ベールグラン王国に行ったら面倒くさいことになるのはほぼ確定だろう。
なんというか、現状を確認すればするほど行きたくないという気持ちが増してくる。
それに今朝階段から転げ落ちたせいだろうか、なんだか足が重い。
フィナンシェが「あれも必要。これも必要かな? あ、あれは絶対に要るよね!」と言って買い足していく物は漏れなく食べ物ばかり。
ヒュドラを倒しに行くための準備なのに、こんな物ばかり買っていていいのだろうか。
対策装備……は売っていないだろうから仕方ないとしても、もっと他に買うべき物があるような気がしてならない。
「なぁ、ヒュドラの毒に溶かされることを考慮して武器や防具の予備を大量に買っておいた方がいいんじゃないか?」
「ううん、武器や防具はまだ要らない。買うとしてもベールグラン王国に近づいてからの方がいいよ。買いすぎても持ちきれないし、馬の足も遅くなっちゃう。荷物が重すぎて馬の体力がなくなっちゃったら到着も遅くなっちゃうからね。それに武器や防具はブルークロップ王国の人たちから分けてもらえると思うよ?」
両手に一つずつ同種の果実を持って真剣に見比べているフィナンシェから返された言葉は「たしかにそうかもしれない」と納得できるような説明ではあったが、フィナンシェが担いでいる購入した食料の量を見ると素直にその発言を受け入れることができない。
俺の背負いかばんと同等の大きさまで膨らんでいる食料しか入っていないはずのその袋は絶対に重いし嵩張る。
そもそも食料なんてベールグラン王国に行くまでのあいだに通過する町や村で調達すればいいのだから今こんなに買い込む必要はない。もっと少量でいい。
これに比べたら剣の方が軽いし邪魔にもならないだろう。
まぁ、フィナンシェとテッドなら一日で食べ尽くしてしまえそうな量でもあるか。
どう見ても食欲に突き動かされているがフィナンシェは馬の体力も考慮した上で購入する量を決めているのだろうし、武器や防具の件に関してはフィナンシェの言う通りでもある。
俺は何も考えずに、すべてフィナンシェに任せておけばいいか。