パーティ脱退
今日は朝からツイてない。
目が覚めてベッドから下りようとしたら足を滑らせて床に顔を打ちつけるしパンを咀嚼しようとしたら誤って舌を噛む。着替えて部屋を出たあと宿の階段でコケそうになったのをなんとか踏ん張ってホッとしたのも束の間、足を踏み出した先――なぜか濡れていた次の段差で足を滑らせ結局転げ落ちるハメに。そして痛む身体を引きずってギルドまで来たらいきなりギルド長室まで連行され開口一番に「もう一度ヒュドラと戦ってくれないか?」と意味のわからないお願いを投げかけられる。
特に、ギルド長の発言に関しては本当にわけがわからない。
両隣にいるフィナンシェとノエルも俺と同様の気持ちなのだろう。
左隣のフィナンシェはよくわからないといった顔をしながら小首を傾げ、右隣のノエルはギルド長の発言を訝しむようにしながら話の続きを急かすかのようにギルド長を睨みつけている。
「三人ともわけがわからないって顔してるな。気持ちはわかる。突然ヒュドラと戦ってくれなんて言われても『何のことだ?』って話だよな。……だがこれは真面目な話だ。心して聞いてくれ」
真面目な顔をしながらもどこかとぼけたような雰囲気を出していたギルド長の表情が一気に引き締まる。
それと同時に場の緊張感も増す。
説明する気があるのなら初めから変な間を置いたりせずにしっかりと一から説明してくれればいいのに、とはとても言えない空気の中、微妙に勿体ぶっていたギルド長の口がゆっくりと開く。
「二十日前、ベールグラン王国の王都にヒュドラが現れたとの情報が入った。そのヒュドラの首の本数は六つ。この前のスタンピードでお前達が相手したヒュドラよりもはるかに大きく、強いヒュドラだそうだ」
ヒュドラの強さは首の本数に比例する。
長く生きたヒュドラほど首が多く、強く、賢い。
そして、俺たちがこのまえ相手したヒュドラは二つ首。
あのときは浄化魔法をかけるとすぐにカード化してくれたが、それは俺が魔法をかけるまえにヒュドラが満身創痍になっていたから。
そう、あのヒュドラは見るからに満身創痍だった。
それでもヒュドラと対面したときの迫力はすさまじかったのだ。
手負いの二つ首相手にも決死の覚悟で挑んだのに、六つ首なんて絶対に相手にできない。
「ベールグラン王国からこの街までは馬を急がせても二十日かかる。だから今わかっている情報はこれだけだ。そしておそらくだが、ベールグラン王国の王都やその周辺の町村はもう……」
ギルド長が沈痛な面持ちで言葉を濁す。
その先に続く言葉は容易に予想できるし、わざわざ口にしなくてもいいが、まさか大量の兵士たちもいたであろうベールグラン王国とやらの王都を滅ぼしたであろうヒュドラを俺たちだけで倒してこいとでも言っているのだろうかこのおっさんは。
冗談じゃない。
無理に決まっている。
「さて、そこでさっきの発言に戻るわけだが、もちろんお前達だけで倒してこいと言っているわけではない。ヒュドラ出現の報せを受けて既にブルークロップ王国が動き出している。ブルークロップ王国は今代~先々代までの護衛騎士数十名とこの間のスタンピードの際に復活が確認されたトーラとそのトーラの弟子三人、それに加えてトーラによって鍛え上げられた兵士数百名をベールグラン王国に向かわせたらしい。お前達にはそれに加わってもらいたい」
「つまり、このアタシの実力を見込んでそのブルークロップ王国から出兵した軍勢に手を貸してほしいというわけね。ついでにコイツの【ヒュドラ殺し】の名前を借りて兵士たちの士気を高揚させようって魂胆かしら?」
ギルド長から知らされた情報に対し腕を組みながらうんうんと頷いているノエルが自信ありげにそんなことを言う。
「概ねその通りだ。そしてこれは……」
「わかってるわ。これはブルークロップ王国王家やこの領の領主からの直々の依頼よね?」
「そうだ。ブルークロップ王国は内界の秩序を守ってきた国。ヒュドラ討伐を自国だけの手柄にするつもりもなければヒュドラの強大さもよく理解している。だからヒュドラと交戦経験のあるお前達、特にヒュドラにトドメを刺したトールには直々に依頼が来ている。依頼っつうより王命だがな。ウチの領の領主様もブルークロップ王国からそう言われちゃ断れねえしお前達が活躍すれば鼻も高くなる。他国への発言権を高めるためにも是非とも手柄を立ててほしいと思ってることだろうよ」
「そんなことをはっきりと伝えてしまっていいのかしら?」
「言わなくてもわかってるだろ、どうせ。それに今の話はお前達三人とそのかばんの中の奴しか聞いてない。お前達が黙っていてさえくれれば何のお咎めもなしよ。というか、ウチの領主様は案外優しいからな。少しの無礼な発言くらいは笑って水に流してくれるさ」
「ふーん、そう」
フィナンシェがどう思っているかはわからないが少なくとも俺は絶対にこの依頼を受けたくないと思っている中、ギルド長とノエルの会話が進んでいく。
二人の会話はわからない部分も多いが、つまりこれは内界一の大国ブルークロップ王国からの直々の招集命令ということだろうか。
もしこれが依頼ではなく命令なのだとしたら俺たちに拒否権はない。
だが、ギルド長は「戦ってくれないか?」とお願いしてきた。それなら拒否権はあるはずだ。
そのまえに、ヒュドラとの交戦経験があるからという理由で俺たちに声がかかったというのなら確認しておかないといけないことがあるか。
「ギルド長、シフォンはその討伐隊に参加するのか? シフォンもこのまえのスタンピードでヒュドラと対峙していたが」
「お前、俺には敬語……はいらねぇか。あれだけ醜態を晒しておいて敬えってのも無理な話だよな」
「そんなことより、シフォンは参加するのか?」
「いや、今回参加するのは王子だけって話だ。第三王女殿下は戦慣れしてないみたいだから戦場には出てこないだろうよ」
そうか。シフォンは参加しないのか。
であれば何も心配はないな。
「わかった。なら俺たちのパーティは今回ヒュドラ討伐には参加しない」
「はぁ!? アンタ何言ってんのよ!! 名を上げる大チャンスじゃない!! これを逃すなんて馬鹿なんじゃないの!?」
ギルド長に断りの言葉を述べるとそれに真っ先に反応してきたのはまさかのノエル。
右隣から物凄い剣幕で詰め寄ってくる。
どうしてこんなに怒って……って、そうか。
ノエルは世界一の魔術師になることを目的にしている。
だからこれを世に自分の名を知らしめる絶好の機会だと思っていたわけか。
思い返してみるとギルド長と会話しているときのノエルは随分とノリノリだったような気もする。
「アンタ、アタシが目指してるもの知ってるわよね!? 少しは協力しなさいよ!!」
「落ち着け。お前はヒュドラと対峙したことがないからわからないんだろうが、ヒュドラを相手にするのは相当面倒くさい。俺はもうやりたくない」
そもそも六つ首のヒュドラ相手に俺の浄化魔法が効くのかどうかもわからない。
俺が行っても足手まといになるだけだ。
「それならなおさらアタシたちが手を貸してあげるべきじゃない! それともヒュドラに内界を滅ぼさせる気!?」
「ギルド長が言ってただろ。護衛騎士数十名とトーラが向かった、って。トーラは前回のスタンピードでもヒュドラと善戦していた。護衛騎士たちも強い。それに加えて数百名の兵士が向かったんだから俺たちの出番はない」
「……アンタたちのことは聞いてるわ。アンタとアンタの親友のスライムが周囲への被害を考えて簡単には本気を出せないってこともね。アンタたちは本気を出せない。だから面倒くさいと思ってるのかもしれない。けど、アタシなら全力でヒュドラを攻撃できるわ。アンタもアタシの実力は知ってるでしょ? それでもアタシが役に立たないって言いたいの?」
落ち着いた声音と探るような視線。
ノエルの世界一の魔術師という目的への想いの強さは知っている。
ノエルが本気でそうなることを切望し、それを邪魔されそうになっているがためにいま本気で怒っているということもわかる。
俺とテッドの実力に関しては的外れだがそれ以外はそこまで間違ったことを言っているわけではない。
「ノエルの実力ならたしかにヒュドラにも通用すると思う。それでも、俺は今回のヒュドラ討伐には参加しない」
「そう、それがアンタの考えなのね。それならアタシはこのパーティを抜けて一人でヒュドラのところに向かうわ。短い間だったけど世話になったわね。さようなら」
ノエルはそれでも参加しないと言った俺から視線を逸らし、冷めた声でそう言うとカツカツという足音を残してギルド長室から出ていった。
嵐のようなノエルが去ったあと。
そこには、静けさだけが残った。