貪欲な知識欲
フィナンシェは俺とテッドが会話していることに疑問を抱いていない。
初対面時、いきなりスライムと出会ってしまった衝撃が抜けきらないうちに俺が世間知らずなことやテッドと普通に会話しまくっている姿を見せられ続けたせいで俺がテッドと話していても「そういうものなんだ。この人はスライムと会話ができるんだ」とでも思ってしまったのかもしれない。
そうでなくても、フィナンシェの性格からして俺がテッドと話していることに疑問を持たなかったとしてもおかしくはない。
だからというか、にもかかわらずというか、フィナンシェがあまりにも普通に俺とテッドの会話を受け入れていたから魔物と会話する光景が異常であるなんてこと全く考えもしなかった。
そもそも人魔界では契約を結んだ魔物と念話できるのはあたりまえだったし、この世界でもフィナンシェが気にしていないのだから魔物と会話できることはそんなにおかしなことではないのだろうと思ってしまっていたが、どうやらそうではなかったらしい。
「――だから信じるけど、本当はありえないのよそんなこと」
考察を終え思考の渦から帰ってきたらしいノエルから長々と説明されたことで、この世界にも魔物との意思疎通について研究している人たちは遥か昔から存在しているがその研究が実ったことは一度もないということがわかった。
もちろん、魔物と会話できるなんて事象も確認されたことがないらしい。
とはいっても、俺がこの世界で初の魔物と会話できる人間だと言われたところで俺としてはどうでもいいんだが。
いや、どうでもよくないな。
初ってことは希少価値が高いってことだ。
そして希少価値が高いってことはカードコレクターから狙われやすくなるってことにつながる。
テッドを使役してると思われてるだけでもやばいのにその上さらに他の魔物まで使役できる可能性があるなんて噂が広まりでもしたら確実にカードコレクターたちが群がってくる。
そこそこの日数が経過しているとはいえ、俺がこの世界に来てからまだそんなに長い時間は経っていない。
なのにすでに二度もカードコレクターに襲われている。
一度目は確実にテッド狙い、二度目は【ヒュドラ殺し】である俺狙いだったが、二度目の裏にはそいつを操って俺を襲われた黒幕がいるという疑惑もある。
ただでさえ襲われやすい身の上なのにこれ以上条件が増えるのはまずい。
しかも、世界でたった一人の魔物と会話できる人間、それも大量の魔物を使役させることができるかもしれない人間となったら内界にいるカードコレクター全員がこぞって俺を襲いに来てもおかしくない。
俺がテッドと念話できるという情報は絶対に広めるわけには……。
「ねぇ! アンタはいつから魔物と話せるようになったのかしら? 生まれつき? それとも後天的? スライム以外に会話したことのある魔物は? スライムと話せるとわかったのはいつ頃? どうしてスライムに近づこうと思ったの?」
「うわっ!」
俺が魔物と会話できるかもしれないという噂が広まったあとのことを考え背筋が冷え、もうこれ以上念話のことを知られるわけにはいかない、これまでフィナンシェやシフォン、それとシフォンの護衛以外にテッドと会話できるようなことを伝えた者がいただろうかと、そんなことを考えていたら突然飛んできた矢継ぎ早の質問。
一旦思考を停止して閉じていた瞼を上げると至近距離にノエルの顔があり、思わず転びそうになってしまった。
「近い。離れろ」
「いやよ! 早く答えなさい!」
目をキラキラとさせ、なおも距離を詰めてくるノエル。
知識欲というやつだろうか。それとも好奇心か?
俺とテッドが会話できると言う情報がノエルの何を刺激してしまったのかはわからないが、勢いが凄い。
ノエルから離れようと一歩後退るとノエルは一歩半距離を詰めてくる。
いままでに見たことのないノエルの表情。それが離れようとするたびにどんどんと近づいてくる。
知りたいことを聞き終えるまで絶対に逃がさないといった様子でいい笑顔をしたままグイグイと迫ってくるノエルに底知れない恐怖を感じるのは、俺がノエルの迫力に圧されてるからだろうか?
俺の実力じゃノエルから逃げ切ることは絶対にできないという事実を知っているからかもしれないな。
とにかく、冷や汗が止まらない。
「わかった! 答える! 答えるからまずは離れてくれ! 話しづらい!」
大声を聞いて寄ってくる魔物たちへの恐怖よりも目の前にいるノエルへの恐怖が勝ったらしい。
気づいたときには俺は、喉の奥から絞り出したような声でそう叫んでいた。
俺の悲鳴を聞いて集まってきた三十を越える数の魔物の群れを一人であっさりと討伐し終えたノエル。
魔物たちがカード化する姿をつまらないものを見るような目で一瞥し、こちらを振り向いた瞬間に先ほどのキラキラとした目に早変わりしたそのノエルの表情の変化に末恐ろしいものを感じ、乾いた笑いが口から出た。
自分がどうして笑っているのかもよくわからないまま身震いし始めた身体を必死で押さえつけ、ノエルと目を合わせる。
見つめ合っているノエルの目から感じられるのは、この目は俺を映していないという確信。
ノエルが見ているのは俺ではなく、俺から得られるであろう情報。
俺の方を向いているはずなのに俺を見ていない、その不思議な感覚がひどく恐ろしい。
キラキラと輝いているはずのノエルの目がまるで虚ろな目のように幻視される。
「それで? アンタはいつから魔物と話せるのよ! 早く言いなさい!」
ワクワクといった感じで弾んでいる声。
目さえ見なければとても純粋な質問のように聞こえることだろう。
だがもう遅い。
ノエルと目の合ってしまっている俺からするとその表情と乖離したような声は不気味にしか聞こえない。
フィナンシェはニコニコとしながら俺とノエルを眺めているだけだで助けてくれる気配はない。
それ以前に答えると言ってしまった以上は答えないなんて選択肢はない。
助けは考えるだけ無駄。
さっさと答えて終わらせてしまった方がよい。
いま考えるべきはどこまで話すか、だな。
秘密を打ち明けてもかまわないと思っているフィナンシェとちがって、ノエルのことはまだ完全に信用しきれてない。
ただ、この様子だとすべてを隠し通すのは不可能だろう。
従魔契約や念話のことは絶対に伏せるとして、話してもよいことと話してはいけないことを整理しながら慎重に返答しないと命にかかわるかもしれない。
「待て。落ち着け。まず初めに言っておくが、俺が話せるのはテッドだけだ。他の魔物とも話せないか試してみたがテッド以外とは話すことができなかった」
「そのスライムとだけ? おもしろいわね。たまたま魔力の波長でも合ったのかしら。それで、そのスライムと出会ったのはいつなのよ」
「五年前」
「つまりアンタが魔物と話せると自覚したのも五年前ね? それより前は本当に何もなかったのかしら? 自分が周りの人間と違うと思ったことは? 他に何かアンタだけにしかできないようなことはない? これは大事なことよ。しっかり思い出しなさい」
「いや、特に思い当たらないな」
「時間をかけていいから。もっとしっかりと考えなさい」
「えぇ……」
その後も伝えてはいけないことは絶対に話さないようにしながらのらりくらりとノエルからの質問をかわし続けること二時間。
適当にはぐらかしながらすべての質問に答え終えたときには精神的にも肉体的にもぐったりしてしまっていて声を出せるほどの余力も残っていなかったが、質問を終えたあとのノエルの目がいつも通りの目に戻っているのを見たときには心の奥底から安堵のため息が出た。