ノエルの訓練
「なんなのよ、これぇ……」
宿屋一階の修練場にノエルの苛立たしげな声がこだまする。
ノエルがパーティに加わってから五日。
その五日のあいだに問題となったのはやはりテッドに近づけないこと。
しかも、ノエルは魔力の扱いに長けているせいか魔力感知能力も高く、テッドの五メートル以内にすら近づくことができなかった。
よって、パーティとして稼ぐ一日の目標金額を設定し、その日の依頼報酬が目標金額を越えたらそれ以降から夜になるまでの時間はすべてノエルがテッドに近づくための訓練に充てるということに決めたのだが……。
「なんなのも何も、パーティを組んだ以上はテッドに慣れてくれないと困る」
訓練を開始してから三日。
ノエルは訓練初日にテッドの五メートル以内には近づけるようになったがそれ以降まったく進歩がない。
今もテッドから四メートルと七十センチほど離れた場所に悔しそうな顔を浮かべながら座り込んでしまっている。
やはりフィナンシェのようにはいかないか。
以前シフォンが同じ訓練をしていた際にも思ったが、テッドから発せられている魔力に慣れるというのは相当に難しいことらしい。
フィナンシェは三日目にはだいぶ近けるようになっていたがあれはフィナンシェの生来の気質によるところが大きかったのだろう。
あとは一日数時間しかテッドの魔力に触れる訓練をしていないシフォンやノエルと、かばんに入っていないテッドの剥き出しの魔力を四六時中浴び続けていたフィナンシェという違いもあるのかもしれないが、どちらかというとフィナンシェの鈍い感性がテッドへの接近を許したといった方がしっくりくる。
俺としてはテッドをかばんから出すたびに怯えられていたらたまったもんじゃないし、それを思えば鈍感フィナンシェ万歳といった感じだが、逆に言うと鈍感ではないらしいノエルがテッドに近づくのはかなり難しいことなのかもしれない。
この数日間ノエルの自慢話を聞かされまくったおかげでノエルの危機管理能力が高いことはわかっている。
一歩間違えればカード化してしまうような高難度依頼をノエルの慎重さと機転のおかげで乗り越えることができたなんて話はいくつもあったし、ノエル自身も何度も修羅場を乗り越えたことで磨かれた危険察知能力には自信を持っている。
ゆえに、本能的にやばいと感じるらしいテッドへの警戒心もかなり強いように見える。
高い危機管理能力とそれに裏付けれた本能からの警鐘、理性と本能の両方からテッドへの接近を禁止されてしまっているノエルがテッドに近づくのは容易なことじゃないだろう。
だが、俺としてはテッドに近づけるようになってもらわなくては困る。
フィナンシェの索敵能力と剣術、ノエルの魔力制御能力。この二つがあれば大抵のことはなんとかなるかもしれないが、たとえそうだとしても三メートル以内に魔物を寄せ付けないという能力の魅力が損なわれるわけではない。
俺が危険満載と言われるカナタリのダンジョン奥地へ何度も足を運ぶことができていたのも、テッドの魔力に対する魔物たちの本能的な怯えという保険があったからこそ。
他にも、テッドがかばんから出ていなければ今頃死んでいたかもしれないという場面も何度かあった。
それに、テッドもかばんの中にいるのは退屈だと言っている。
最近は食料やコマをかばんの中に入れておけば退屈と言われることもなくなったが、それでも周囲に人がいない状況ならできる限りかばんから出してやりたい。
そしてそのためには、ノエルがテッドのそばでも行動できるようになってもらわないといけない。
「もう一度よ! 絶対に近づけるようになってやるんだから!」
身体から抜けていた力を取り戻し多少は元気になったらしいノエルが震える膝を押さえながら再びテッドに向かって歩き出す。
テッドの魔力に触れても何も感じない上にもともとスライムが最弱と言われていた世界から来た俺からすると決死の覚悟でテッドに近づこうとしているノエルの姿は滑稽にも思えるが、ノエルがふざけているわけでないことは重々承知している。
目の前で行われている訓練風景を見てたまに「なんだこりゃ?」と思わないこともないがこの世界の人からしたらスライムに向かっていくというのは死にに行くようなもの。俺からしてみれば目の前に巨大なドラゴンがいるようなものだ。そのドラゴンが安全だと保障されていたとしても俺なら絶対に近づきたくない。
テッドの魔力に触れ、それを俺の魔力であると勘違いした上で俺に魔物の討伐数勝負を申し込んできたことからもわかっていたが、ノエルの負けず嫌いは筋金入りだ。
世界一の魔術師になるという目的のためや、そんな目的を堂々と語れるほどの自信と誇りの高さも手伝っているのだろうとは思う。
ただ、それを考慮してもこの世界では最強の生物とされているスライムに近づこうと思える精神力とそのスライムから感じる本能的な恐怖に何度も立ち向かっている姿は凄まじい。
自惚れにも近い自信の高さや負けず嫌いもここまでくると一種の才能。
そう考えたら、ただただうざったいだけだったノエルの言動にも敬意を払えるように……はならないが、パーティを組む前よりはノエルのことが好ましく思えてきたような気もする。
「トールー、そろそろこっちも再開するよー」
急に耳に届いたのは戦闘訓練の再開を告げるフィナンシェからの声。
「休憩は十五分じゃなかったか?」
「え? もうそのくらい経ったよね?」
予想以上に早い訓練再開を告げる声に疑問を持つも、手元の懐中時計はフィナンシェの言う通り休憩開始から十五分が経っていると主張している。
それにこの三日間のノエルの訓練は、ノエルがテッドに近づき、しゃがみ込んだらテッドが離れる。それから十分ほどするとノエルが復活して再度テッドに近づき始める。つまり、座り込んだばかりだったはずのノエルがつい先ほど立ち上がったことからも十分以上が経過していたことがわかる。
思っていた以上に長い時間ノエルの訓練風景を眺めていたことに多少の驚きはあるが、壁に背を預けていたことで呼吸も整っている。ノエルには負けていられないと気合も十分。
ノエルのおかげというのが癪ではあるが、今日の訓練はいつもより頑張れそうだ。