得られた情報
「起きなさいよ!」
ぺちん、と頬を張られた感触に意識が浮上する。
今の声は、ノエルか?
左頬が叩かれたみたいだが、痛みはない。
「いつまで寝てるのよ!」
ぺちん。
今度は右頬。
こちらも痛みはない。
「なんで、寝てる、のよ!」
左、右、左。
交互に頬を叩かれるも、柔らかい感触とぺちんぺちんぺちんという音しか残らない。
全く痛くない。
「起きなさい! 起きなさいって言ってるでしょ!」
手加減してるわけではなさそうだし、ノエルは随分と非力なんだな。
少し鬱陶しいけど痛くもないし、放っといてもいいか。
おやすみ…………。
ノエルに頬を叩かれながら俺は再度眠りに落ちた。
腕を思いっきり伸ばし、大きくあくびをする。
「ふぁー、よく寝た」
まだ眠気はあるが寝る前と比べるとだいぶマシになった。
これならもう半日くらいは起きていられそうだ。
「ハァ、ハァ……。やっと、起き、た、の?」
激しく動き回りでもしたのか、肩で息をしている様子のノエルの声が耳に届く。
ん? 肩で息……まさかっ!
「敵襲か!?」
「違うわよ!」
そうか。敵襲ではないのか。
「それなら、どうして息が上がっているんだ?」
テッドに確認したところ、俺が寝始めてから二時間しか経過していない。
夜明けにはまだ早く、辺りは暗い。
こんなにも暗いダンジョンの中で息を切らす理由なんて襲われて反撃したから以外に思い浮かばないんだが。
「アンタ、それ、本気で言ってんの?」
ノエルの呼吸が整い始め、言葉にも感情が乗り始める。
この感じは……怒気?
「何があったんだ?」
なぜか荒々しいノエルの語気。
敵襲ではないというのならどうして肩で息なんかしているのだろうか。
捕らえた二人と言い争いでもしたか?
「……ちょっと、待ちなさい。息、整えるから」
その言葉に従い、待つ。
やがて呼吸を完全に整えたノエルが深呼吸をしてから言い放つ。
「何があったか、って話だったわね? アンタを起こそうとしたのよ!」
「は?」
「だから、アンタを起こそうとして息が上がったの!」
「……え?」
何を言っているのかわからず聞き返してみたが、もう一度聞いても何を言っているのかよくわからなかった。
俺を起こそうとして息が上がった?
どういうことだ?
人を起こそうとして息が切れることなんてないだろ、普通。
「アンタ、本当に何も覚えてないの? アンタを起こすためにあんなにいろいろ頑張ったのに……じゃあ、アタシのあの頑張りはなんだったのよっ。まさか全部無駄だったっていうの?」
ノエルが落ち込んでいる?
不満をすべて怒りに変えてぶつけてくるような性格のノエル。
そのノエルが俺に対して怒る気力も湧かないほどに疲れているらしい。
これは相当だな。
俺は一体何をしたんだ?
というか、何をされたんだ?
寝相は悪くないはずなんだが、手でも出してしまったか?
俺を起こそうと声をかけてくるノエルに対し、拳を持って答える俺。
…………想像できないな。
寝ながら他人を攻撃できるほど器用な人間ではないことは自分が一番よくわかっている。
ノエルに対し、寝ながら手や足を出してしまったわけではないとすると俺は何をしてしまっ――
「あ、そうだ! 捕らえた二人からは何か聞き出せたのか?」
そういえばと思い出す。
ノエルが息を切らしていた理由が緊急性の低いものであるなら今はそんなことに構っている場合ではない。
あの男ともう一人から話を聞き出せたかどうか。
現状の確認が最優先だ。
「そんなことって……でも、そうね。まずはアンタにも情報を共有するべきだったわ。アンタへの文句は後でたっぷり言わせてもらうから覚悟しときなさい」
最後の一言は聞き流したいところだが、共有すべき情報があるということは進展があったということだな。
あの二人から何を聞き出せたのか、しっかりと聞かせてもらおうじゃないか。
「――と、こんなところね。わかった?」
なるほど。わからん。
ノエルからの説明では何がなんだかさっぱりだ。
この二人はサライヤ、二人とも部屋を襲撃してきた女とは別人、キャンプ地に隔離結界を張った者とも別人。
この三つの情報を聞かされただけで「わかった?」なんて、自信満々にもう説明は終わったというような顔をされても何もわからない。
三を聞いて十を知る力は俺にはないのだ。
もう少し詳しく説明してほしい。
一つずつ訊いていくしかないか。
「質問いいか?」
「なにかしら?」
「まず一つ、ここで転がってるこいつらは部屋で俺たちを襲ってきたあの女とは無関係なのか?」
「いいえ。関係あるわね。コイツらの正体は攫い屋。金さえ積めば誰だって攫うような性根の腐った連中よ? 最大の特徴はコイツらは金でしか動かないってこと。大方、アタシたちを襲ったあの女かその仲間が雇い主なんじゃないかしら?」
ああ、サライヤというのは人攫いのことだったか。
こいつらの名前がサラとイヤというわけではなかったのだな。
他にもサーとライヤ、サライとヤ―、サラーとイヤーなんかの二人の名前の組み合わせも考えていたが、すべて無駄になってしまった。
「じゃあ次。こいつらは結界魔法をつかえないと言っていたが、それはどうしてわかったんだ?」
「さっきも言ったじゃない。アタシが超一流の魔術師だからよ」
「それだけ?」
「それだけよ」
全然説明になっていないが、つまり魔術師には他人の魔法の得手不得手を知る術があるということか?
テッドの感知でも魔力は人によって見え方が違うみたいだし、その人の使い慣れている魔法属性に合わせて魔力の性質が変化するとかそういうことがあるのかもしれない。
個人毎に魔力の性質が異なり、その性質からその人の得意な魔法、苦手な魔法を読み取ることができるとか、ありえない話ではない。
それか単純に、相手のつかえる魔法の種類を調べることのできる魔術でもあるのかもしれないな。
これだけきっぱりと言い張るのだ。
根拠はあるにちがいない。
「最後に。敵はあと何人くらいなんだ?」
「わからないわ。部屋を襲ってきたヤツと結界を張ったヤツ、最低でも二人以上ね」
「フィナンシェもノエルと同じ意見か?」
「うん。私もだいたい一緒の考えだよ。……それと、この人たちはテッドのことを知らなかったみたい」
フィナンシェからの小声の耳打ち。
この二人はテッドのことを教えられていなかった。
捕縛されたあとの発言からそうではないかと思っていたが、やはり知らなかったか。
テッドのことを知っていたなら「何をした!」なんて言葉は出てこないからな。
急に身体を動かせなくなった時点でそれがテッドの接近によるものだと気づけなかった。それがすべて。
つまり、テッドの存在。その情報の有無がこいつらの敗因であり、また、そのことから推測できることもある。
こいつらがテッドのことを教えられていないのはこいつらを雇ったやつが不必要にスライムの存在を広めたくなかったからか、スライムの存在を知ったらこいつらが仕事を引き受けてくれないと思ったからか、こいつらを俺たちの実力を測るための捨て駒として利用したからか。
いずれにせよ、こいつらが重要な情報を知らされてない下っ端であることは俺にもわかる。
そして下っ端の上には当然、下っ端に指図した者がいる。
敵はまだいる。
それがわかったことこそがこいつらを捕えたことで得られた一番の収穫かもしれない。