あっさりと
膨れ上がる殺意。
覚める眠気。
湧き立つ不快感。
男の殺意が肌を刺す痛みとなって俺の全身を刺激する。
眠気など何処かへ吹っ飛んだ。
身体はすでに臨戦態勢に入っている。
「フィナンシェ、一人で相手できそうか?」
「やってみないとわかんないけど、たぶん大丈夫」
訊いてはみたものの、本当に大丈夫だろうか。
敵は男だけじゃない。
まだ一言も発していないが、男と一緒にやって来たもう一人だっている。
敵が二人に対して、フィナンシェは一人。
さらに、敵はスライム、【ヒュドラ殺し】、【金眼】と戦闘になることをわかった上でここにやって来ている。
それ相応の戦力を用意してきたに違いない。
スライムを倒せるとは敵も考えていないだろう。
となると、敵の狙いは俺。
俺がテッドを支配下に置いていると考え、俺を捕えれば俺を通じてスライムに言うことを聞かせられるとでも思っているのだろう。
つまり、最低でも【ヒュドラ殺し】をカード化させられそうな戦力を揃えてきているはず。
今までの会話から敵がカードコレクターであることはほぼ確定。
その狙いが俺であることもほぼ確定。
しかし、敵がカードコレクターであるのなら、類稀なる強さを持つフィナンシェやノエルだって蒐集対象に選ばれていてもおかしくない。
今一番身が危険なのはおそらく俺だが、その次に危険なのはテッドではなくノエルだ。
フィナンシェに俺やテッドを守る気があるかどうかはわからないが、自力で動くことのできないノエルは必ず守ろうとする。
俺が戦えそうにないことは事前に伝えているから、たぶん俺も守ろうとしてくれる。
俺とノエルを庇いながらの戦闘。
二対一。
そして、敵は俺たちの情報を持っているが、俺たちは敵について何も知らない。
どう考えてもフィナンシェが不利だ。
しかも、カードコレクターは強者をカード化し、そのカードを持ち歩いていることが多い。
カードを何百枚と持ち歩いているコレクターもいるという話もある。
男ともう一人も何枚かのカードをどこかに隠し持っていると考えた方がいい。
それに、ヒュドラは強かった。
ヒュドラを倒した【ヒュドラ殺し】を捕えようというのにそのために用意した戦力がたった二人とは考えにくい。
罠でも張っていれば二人でもなんとかなるかもしれないが、このダンジョンに罠が張られている可能性は限りなくゼロに近い。
敵は確実に戦力を温存している。
これから新たに何人、何十人と戦力を増やしてくる可能性がある。
ノエルには少し我慢してもらうことになるが、テッドをかばんから出すべきか?
テッドを出してノエルのそばに移動していれば敵は俺、テッド、ノエルの三メートル以内には近づけないはず。
フィナンシェも守りを気にすることなくガンガン攻めることができる。
ただ、敵もテッドに近づいてはいけないということは知っているだろう。
三メートルという正確な距離までは知らないだろうが、テッドに近づきすぎるとまずいことは知っているはず。
遠距離からの攻撃手段も用意しているだろうし、下手にテッドをかばんから出して、三メートル以内にさえ近づかなければよいという情報を知られても困る。
かばんから出ているとテッドは無防備になるという問題もある。
もしかばんから出ているときにテッドに向かって攻撃が飛んできたらテッドは即死。
テッドがいないと戦局が不利になるというのならかばんから出しもするが、今回はまだその段階ではない。
むしろテッドをかばんから出して敵に情報を与えてしまう方がまずい。
テッドを出すのはここぞというとき。
敵が三メートル以内に接近してきたときに限定していた方が良さそうだ。
……それにしても、全く戦闘が始まらないのはなんでだ?
戦闘が始まりそうな気配はずっとあるのに未だに敵は動かない。
心なしか、肌に感じる敵からの殺意も薄れているような気がする。
さっきも似たようなことがあったが、変なところで動きが止まるのが敵の癖なのか?
妙な間のとり方をされると調子が狂うから効果的といえば効果的なのかもしれない。
ただし、今の俺たちのように相手に考える時間や準備する時間を与えてしまうという欠点もあるのではないだろうか。
俺が気付いていないだけで実はもう戦闘は始まっていたりするのか?
《敵は動いたか?》
『動いていないぞ』
テッドが動いていないというのなら本当に動いていない。
俺たちに気づかれないよう静かに何かを仕掛けてきているのかと思ったが、そういうわけではなさそうだ。
…………ん?
《テッド、お前いまどこにいる?》
テッドと結んだ従魔契約。
その従魔契約によるつながりによって俺はテッドのいる位置をなんとなく感じ取ることができる。
そして、それによるとテッドはいま俺の背負っているかばんの中にはいない。
テッドの反応があるのは…………正面?
『敵のすぐ横にいるぞ』
《すぐ横!? 大丈夫なのか!?》
『大丈夫? 何がだ?』
俺の心配に対して、とぼけた様子のテッド。
問題は……なさそうだな。
一安心だ。
それにしても何か変な感じがすると思ったが、いつの間に移動していたんだ?
《まず確認だ。敵はどうなっている?》
『立っている』
《意識はありそうか?》
『たぶんあるぞ』
《攻撃される可能性は?》
『ないだろうな』
確認終了。
敵は二人とも身体を硬直させている。
《わかった。しばらくそのままでいてくれ》
『了解だ』
敵はテッドの魔力に威圧されている。
今なら簡単に捕縛することができるな。
「はぁ~、疲れた」
気が抜け、疲労だけが身体に残る。
「フィナンシェ、テッドが敵の動きを止めている。今のうちに敵を捕まえてきてくれ」
「うん」
かばんから縄を取り出し、フィナンシェに渡す。
二分後、縄で動きを封じられ地面に転がされる二人。
「な、なんなんですか一体ッ。心臓を鷲掴みにされたかのようなあの感じはっ、先程のアレはっ、我々に一体、何をしたんですか!?」
「……」
わめく男と何も言わないもう一人の敵。
それに対し、底冷えするような冷徹な声で「黙って」と告げるフィナンシェ。
その一言で、男が黙る。
普段の明るく元気なフィナンシェとの温度差に、思わず俺まで震えそうになってしまった。
「そうだ。トール、ちょっとこっち来て」
「なんだ?」
フィナンシェの二面性に恐怖しそうになったことなど微塵も出さぬよう努めて声を出し、フィナンシェに近づく。
「私はこの二人から情報を聞き出してみるから、トールとテッドは周囲への警戒をお願い」
「警戒?」
「敵がこの二人だけとは限らないでしょ? トールたちなら襲われてもすぐに対処できるかもしれないけどノエルちゃんはまだしばらく動けそうにないから……ね? お願い」
「わかった」
内心で「ああ、なるほど」と思いながら頷く。
敵がこの二人だけとは限らない。
たしかにその通りだ。
俺はもうすべてが終わったような気になっていたが、終わったと断ずるにはまだ早かったみたいだな。
この二人以外にも敵がいるかもしれないし、その敵はこのすぐ近くに潜んで機を窺っているかもしれない。
気を引き締めなければ。
そう思うも、先ほど戦闘に備えて気を張ってしまったせいもあって、俺の眠気はもう限界。
この男、メチャクチャ強そうな雰囲気を醸し出していた割にはあっさりと捕まったな。
そんなことを思いながら、俺の瞼はゆっくりと閉じていった。