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不気味な何か

 何かが近づいてくる?

 一体なにが?

 いや、それよりもまずはこの情報をフィナンシェに――


「フィナンシェ、何かが近づいてきている。かなりの速さだ」


 右手にメルロを握りしめ、立ち上がりつつフィナンシェに情報を伝える。


「うん。気がついてるよ。っていうか、もうすぐそこにいるみたい」

『動きが止まった。正面だ』


 フィナンシェとテッドの声が重なる。


《数は?》

『二つ』


 目を凝らしても何も見えないが、正面に何かがいるらしい。

 それも反応は一つではなく二つ。


 テッドが相手の正体を教えてこないということは正面にいるのは人間か、人間に近い姿をしている三猿のうちどれか二体。

 クレイジーモンキーはすでに一度確認している。

 三猿だった場合、まだ姿を確認していないサイコモンキーかクレバーモンキーのどちらか、あるいは両方ということになるだろうな。


《距離は?》

『五メートル』

《近いな》


 接近してきたのが敵であるのなら相当やばい状況だ。

 ノエルは動けず、相手との距離は五メートル。

 もし相手がフィナンシェと同等の実力を持っていたら五メートルなんて一瞬で詰められる。


 相手が動きを止めた理由は不明。

 俺たちと同じように偶々ここで休憩を取ろうとしただけの人間か魔物かもしれないが、こんな時間に人間がダンジョンにいるのはおかしいし、魔物だとしたらどのみち戦闘になる。

 それに、テッドは相手が真っすぐここへ向かってきたように言っていた。

 正面にいる何かはかなりの高確率で敵。


「二人だな」


 フィナンシェに敵の数を教える意味もこめて言葉を発する。

 もし正面にいるのが人間なら何かしらの反応を示すだろうし、魔物なら言葉による返事はない。


 要するに、これはかまかけのようなもの。

 二人という言葉に反応し言葉を返してくるようなら相手は人間で確定。

 敵かどうかもそのときの返事から判断できるはず。

 声に反応して襲ってきたり奇声を上げたりするようなら魔物で確定。

 返事もなしに襲ってくるような人間なら、残り五メートルという距離で足を止めはしないだろうからな。


 孤児院でチビたちが何かをやらかしたときにはよくこうしてかまをかけてやったもんだ。

 実際は何も知らないのに俺がチビたちが何をしたのか知っているようなことを仄めかすとチビたちの方から何をしてしまったのか話してくれたり謝ってきたりするのが少し面白かったな……などと懐かしんでいる場合ではないな。


 人魔界にいた頃のことを思い出せるほどの時間が経過しても、相手からの反応はない。


 相手はどうして動かない?

 声に反応して襲ってこないということは魔物ではないと思うが、敵でないのならすぐに何か言ってくるはず。

 俺たちが近くにいることを知りながら挨拶の一つもしてこないのは正面にいるやつらが敵だからか?


「あんたたちは何者だ? 返事をしないなら敵とみなして斬り伏せるぞ」


 これでも返事をしないのなら本当に敵として処理する。

 その意志を込めての発言。

 さすがにこの発言には、相手も返事をしてきた。


「いやはや、我々の動きはお見通しというわけですか。さすがは【ヒュドラ殺し】と呼ばれるだけのことはありますね。お見事です! そう、エクッセレンット!」


 え、えく……なに?


 小さく拍手をしながら返事をしてきた相手だが、その最後の言葉がよく聞き取れなかった。


「念のためお伺いしますが、そこの男性の君、カナタリ領リカルドの街の【ヒュドラ殺し】で間違いありませんね?」


 ぬるりと耳に入ってくるような気持ち悪い声、口調。

 うきうきした感情がそのまま声に表れたかのような妙な猫なで声。

 何もないはずの闇の中に、下心を隠しきれず気味の悪い笑顔を浮かべながらにじり寄ってくる、奇妙な男の姿を空目した。


『どうした』

《いや、いまそこに……なんでもない。勘違いだったみたいだ》


 何度瞬きをしても男は近寄ってきていない。

 依然として、闇は闇のまま。何も見えない。

 テッドもフィナンシェも何も反応していないのだから、男がにじり寄ってきたように見えたのは気のせいだろう。


「悪いが、そんなやつは知らない。人違いだ」


 一部で俺が【ヒュドラ殺し】と呼ばれていることは知っている。

 だが、ここは違うと否定しておいた方がよいような気がした。


「本当ですか? 嘘はいけませんよ?」

「本当だ。【ヒュドラ殺し】なんて名に覚えはない」


 全身を舐め回されていると錯覚してしまうほど気持ちの悪い声。

 その不気味な感覚に声が震えそうになるのを抑えながら毅然とした態度で再度否定する。


「いやいや、そうですか。人違いでしたか。これはとんだご無礼を働いてしまいました。何かお詫びをさせていただかないといけませんね」


 男は口ではそう言いながらも声音は先ほどと全く変わっていない。

 相も変わらずうきうきとしたような声。

 人違いだと本当に信じてくれたのだろうか?


「お礼はいらない。それよりも早くどっか行ってくれ。ここは俺たちの拠点だ」


 野宿をする際、見知らぬ者同士は最低でも互いの声が届かない距離まで離れて寝床を用意する。

 それがこの世界の常識。

 町と町の中継地点、野宿をするために切り開かれたような場所ならともかく、このダンジョンのように滅多に人と会うことがなく寝床を用意するのに困らないほど広い場所があるのであればなおさらそうしなくてはいけない。

 この場所に先にいたのはこちらなのだから、後から来た男とその連れは俺たちから離れるべき。

 俺の主張は何も間違っていないはずだ。

 しかし……。


「いえ、それでは私の気が済みません。何かお詫びをさせてください」


 男が引き下がる様子はない。


 そろそろ眠気もやばいな。

 身体がどうしようもないほどの眠気に支配され始めているのがわかる。

 少しずつ、本当に少しずつ、身体全体から力が抜けていく。意識がまどろみ始め、身体の末端、指先にまで意識が行き届かない。

 だが、そんなことを言ってはいられない。

 男たちがどこかへ行くまでは頭を働かせないといけない。


 まず、お詫びをさせろと言っているということは人違いだと信じてくれたのだろうか?

 それとも、俺たちに用があってこの場所から離れたくないから適当なことを言っているだけか?


 判断が難しい。

 勘に頼るなら、俺の全身は男に対して警鐘を鳴らし続けている。

 男が本当にお詫びをしたいだけだったとしてもこれ以上近くには寄らせない方がいい。


 そもそも、男とその連れは何の目的でここまで来たんだ?


 話した感じ、男たちはモラード国の兵士ではなさそうだ。

 このダンジョンは兵士たちによって包囲されていて、危険であるとの告知もなされている。

 正面にいる者たちがモラード国の兵士でないのなら、この者たちは兵士の目を盗んでまでこの危険なダンジョンに侵入してきたことになる。


 やはり、テッドが目的か?

 先ほどの【ヒュドラ殺し】かどうかという質問は【ヒュドラ殺し】がスライムを連れているという情報を掴んでいるからこそのもの。

 もしもあそこで俺が「そうだ」と答え、俺が【ヒュドラ殺し】であるという確証を得られたならあの場で攻撃してくる腹積もりだったのではないだろうか。


 だが、あの質問によって俺の男への警戒は強まった。

 そして、男は俺が【ヒュドラ殺し】と知っているような口ぶりだった。

 男が俺の正体をほとんど確信しているのなら倒してから確かめればいい。

 質問なんてせずに攻撃してくればよかったのではないだろうか。

 わざわざ俺の警戒心を高めてまでするほどの質問だったようには思えない。


 眠すぎて上手く思考がまとまらないがこれまでの考えを総合すると、この男は怪しすぎる。


 ここはお詫びを受け取らない方がいい。

 そう判断し、何が何でもお詫びは受け取らないという姿勢を固辞し続けようと決めた瞬間、男が口を開いた。


「ああ、そうそう。あなたは自分のことを【ヒュドラ殺し】でないと仰りましたが……ですがそちらのお嬢さんはあの【金眼】で間違いないですよね? ううん、おかしいですねえ。実におかしい。私の持っている情報だと【金眼】と【ヒュドラ殺し】は行動を共にしているはずなんですよ。そして、二人が行動を別にしたなんて情報はどこにもなかったはずなんですが――」


 まずい。

 本能でそう感じた。


「――私、言いましたよね? 嘘はいけませんよ、って」


 初めて聞く、男の低い声。

 急に真剣な声色で語られたその言葉に、俺の身体を支配していたあのどうしようもないほど強烈だった眠気が――完全に消し飛ばされた。

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