森まで逃げて
夜のダンジョンは寒い。
というより、夜の森は寒い。
ダララのダンジョンに入ってから三十分。
宴の余韻も完全に抜けたいま、討伐作戦で蓄積した疲労が凄まじい勢いで身体にのしかかってきている。
そもそも、フィナンシェたちが部屋を訪ねてくる前、俺はもう少ししたら寝ようと思っていたのだ。
それなのに、ノエルと話をしようとしたタイミングでの突然の襲撃。
やむなく逃走することになったが、ダンジョンを目指し移動を開始してから十分後にはすでに眠気に襲われ始めていた。
ノエルに言われた通り何も言わずにここまでついてきたが、そのせいもあってそろそろ限界が近い。
「そろそろ声を出しても大丈夫かしら?」
近くに敵はいないと判断したのか、ノエルがそんなことを言う。
もうしゃべってもいいのだろうか?
それなら、今の気持ちを吐露させてもらおう。
「なぁ、物凄く眠いんだが……」
「アンタって本当にバカなの? アタシたちは追われてるのよ? それにここはいつ魔物が襲ってきてもおかしくないダンジョンの中。眠れるわけないじゃない」
「やっぱりそうだよな」
「そうよ。そもそもアンタは作戦後にぐーすか寝てたじゃない。なんでもう眠くなってるわけ? もっと頑張りなさいよ」
あれは寝てたんじゃなく気絶していたんだ。
そう反論してやりたいが、反論したからといって俺が眠いという事実は変わらない。
言い争いにでもなって無駄に体力を消耗するのも馬鹿らしいし、ここは黙っておくか。
そして、やはりというかなんというか。
わかってはいたが、今すぐ眠れはしないか。
敵を完全に巻けたという保証はないし、ダンジョンでの睡眠は命取り。
いつになったら、どこまで逃げたら安全と判断できるのかもわからない。
これは今夜どころか数日先まで眠れないかもしれないな。
はぁ。最悪だ。
「今度はアタシから質問。アンタたちは何を隠しているの? 襲われた理由に心当たりがあるんでしょ?」
ノエルからの質問に、またその話かと思わなくもない。
キャンプ地を離れる前にもテッドのことを説明しようとしたがノエルは全然信じてくれなかった。
もう一度説得を試みるべきか。それともテッドを確認させてしまうか。
敵に追跡されてる気配はないみたいだし、今ならテッドを見せても大丈夫か?
しかし、急に魔物が襲ってくる可能性はある。
作戦時にこのダンジョンの魔物はほとんど一掃したとはいえ、俺たちが作戦を終えてから半日以上経過している。
そのあいだに新しく誕生した魔物やどこかに隠れて生き残っていた魔物たちから襲われるかもしれない。
俺は戦えるような体調じゃないし、この暗闇の中ではフィナンシェもノエルもどこまで力を発揮できるかわからない。
日が昇ってからならともかく、いま戦闘になるのはきつい。
複数体の魔物が同時に襲ってくる可能性もある。
一人が一度に相手できる魔物の数は一体までと仮定すると、俺とフィナンシェで対処できる魔物の数は二体。
もしも三体以上に襲われたとして、そのときにノエルがテッドの魔力に怯えて動けなくなってしまっていたとしたら身動きのとれないノエルは集中的に狙われるだろう。もしかしたらカード化させられてしまうかもしれない。
もっと言ってしまえば、俺は眠気が強すぎてちゃんと戦える自信がない。
そうなると戦闘になったときに実際に戦えるのはフィナンシェただ一人。
視界の悪い中、三体以上の魔物が同時に攻めてきたらいくらフィナンシェといえどもすべてを倒しきるのに少なくない時間がかかるだろう。
テッドをかばんから出していれば魔物は近寄れないかもしれないが、このダンジョンの魔物は何かを飛ばしてきたりモノを投げたりと、遠くからの攻撃手段を持っているらしい。相手が近づけないからといって安心はできない。
そして、俺のことを強いと勘違いしているフィナンシェは俺よりも動けないノエルを優先して守る。
フィナンシェがすべての魔物を倒し終えたとき、俺やテッドは殺されているか、カード化してしまっている可能性が高い。
俺が朝を迎えるためにはここでノエルを行動不能にするわけにはいかない。
せめて視界を確保できれば索敵も容易になり戦闘にも余裕を持たせることができるのだが、光や火を灯す行為は自らの居場所を教えるようなもの。
敵に追われているかもしれない今の状況では魔光石を使用することすら憚られる。
「なんで黙ってるのよ。もしかして、本当は心当たりなんて何一つないのかしら?」
心当たりはある……が、テッドを見せることなくノエルにテッドの存在を信じてもらう方法が思いつかない。
とりあえず、話すだけ話してみるか?
今度は信じてもらえる可能性もなくはないかもいれないし。
「スラ……」
「まさか、またスライムがいるとか言うつもりじゃないでしょうね。与太話はもういいから、本当のことを話しなさい」
反論や文句を言うのは話を最後まで聞いてからにしてほしい。
こちらは正直に話そうとしているのに、スライムという種族名すら言わせてもらえないのでは何もできない。
「フィナンシェ、ノエルにテッドのことを信じさせられる良い案はないか?」
フィナンシェに訊いてみる。
「うーん、もうテッドのことを見せちゃうしかないんじゃないかな?」
返ってきたのは一番簡単な信じさせ方。
「ここはダンジョン内なんだが、大丈夫か? 魔物が襲ってくるかもしれないし、俺は眠くてまともに戦えないと思うから戦闘もほとんどフィナンシェ任せになるかもしれないぞ?」
それに、慌てて逃げ出してきたため俺たちは防具を身に付けていない。
フィナンシェは防具がなくても問題なく戦闘を行えるかもしれないが、俺は防具なしで魔物の前に立った経験がない。
もし魔物と向き合うことになったら恐怖に身が竦んでしまうかもしれない。
「うん、大丈夫。魔物が出たら私が倒すよ」
なんでもないことのように平然と言ってのけるフィナンシェ。
さらりと述べられたその言葉は頼もしくもあるが、その自信にはちゃんとした根拠があるのだろうか?
「多方面から一斉に攻撃される可能性もあるんだぞ。本当に一人で防ぎきれるか? ノエルはこれから動けなくなるかもしれないんだぞ?」
「そんなに心配しなくても大丈夫だよ。ほら、これ見て」
そう言ってフィナンシェが見せつけてきたのは……。
「……暗くてよく見えない」
「あ、そっか。見えないよね。これは匂い袋だよ。トールも作戦中に身に付けていたでしょ?」
ああ、匂い袋か。
それなら魔物を近寄らせないことも可能だな。
「けど、まだ使えるのか?」
「もちろん!」
俺は匂い袋の中に何が入っているのか知らない。
作戦会議中に匂いの持続時間についても説明があったような気がするが覚えていない。
だが、フィナンシェが言うのならその匂い袋はまだ効果を発揮しているのだろう。
そう思い、ノエルにテッドを見せても大丈夫だと考えてしまった。
『何か近づいてくるぞ』
テッドがその反応を感知したときには、ノエルはすでに動けなくなってしまっていた。