一つの心当たり
宴の音が聞こえなくなったのは外に出てから。
部屋にいたとき、女に襲われていたときは確かに音が聞こえていた。
終了予定時刻にもまだ早い。
宴はまだ行われているはずなのに、この静けさはなんだ?
耳に届くのは風が草木を揺らす音ばかり。
肌を撫でる風が妙に冷たい。
俺たちだけでなく、宴の場も襲われたということか?
だが、部屋からここに来るまでに五秒もかかっていない。
その一瞬で数百人いた兵士たちが完全に沈黙させられるなんてことがありえるのか?
朝まで飲み明かすと言っていた他国の精鋭だって居たんだぞ?
「なんとなくだけど原因がわかったわ。これはたぶん、隔離結界ね」
俺が混乱しているあいだに建物に向かって何かの魔法を飛ばしていたノエルがそんなことを言う。
「なにか知っているのか?」
「ええ、もちろんよ。私は魔術師。それも数ある魔術師学校の中でも最高峰と呼ばれるレトルファリア魔術師学校の首席卒業生よ。魔術や魔法のことならなんだって知ってるわ」
レトなんちゃら学校の主席卒業生というのはすごいことなんだろうが、今はノエルの卒業した学校やノエル自身がすごいという情報はどうでもいい。
それよりも早く現状の説明をしてくれ。
「隔離結界は結界魔法の一種よ。その名の通り、結界で覆った範囲を隔離できるの。隔離結界にもいくつか種類があるのだけど、おそらくこれは外郭強化型ね。結界外から結界内に入るのが難しい反面、結界内から結界外へ出るのは簡単なタイプよ。結界自体の強度がとっても高いから、王城や貴族の屋敷なんかに使われてることが多いわね」
「えっと、つまり?」
「アタシたちが今の今までいた建物と宴席、というより、たぶんキャンプ地全体がその結界の中。アタシたちは簡単に結界の中に入ることもできず、この国の兵士たちとは上手く分断されてしまったってことよ」
ノエルが説明してくれたが、おかしくないか?
キャンプ地が結界で覆われているということは敵の狙いは結界内に存在しているのではないだろうか?
俺たちが分断されたというより、俺たちは上手く結界から抜け出せたと言った方が適切では……いや、そうか。
その外郭強化型の隔離結界というのは中から外へ出るのは簡単。
もし結界内に狙っているモノがあるのだとしたらそんな構造にはしない。
結界内に目的のものがあるのなら外郭強化型とは真逆の結界、中から外へ出るのが難しい結界にするはず。
つまり、この結界は結界内に何かを入れないために張られた結界。
俺たちが謎の女に襲われたこととそのことを合わせて考えると、この結界を張った者の狙いは俺たちを結界内に入れさせないこと。
ノエルの言ったように、俺たちをこの国の兵士や他国の精鋭たちと分断させることこそがこの結界の狙いなのかもしれない。
「ねぇ、ノエルちゃん。兵士さんたちが結界魔法をつかったってことはないかな?」
「ないわね。アタシが宴に参加していたときにはこんな結界張られてなかったもの。この魔法が発動されたのはアタシたちがコイツの部屋に向かったあと。たぶん、アタシたちがあの女から逃げ出した直後ね」
「そっかぁ」
フィナンシェが質問するもノエルに即座に否定される。
たしかに、宴をするにあたって兵士たちが結界を張ったという可能性もあったな。
だが、それなら宴の開始前には結界を張るだろうし、今このタイミングで結界を張ったというのもおかしい。
ノエルが言っていることが本当なら結界はここの兵士たちが張ったものではない。
タイミングからしても何かよからぬことを考えている者が張った可能性が高い。
「ところで、こんなところで立ち話をしていていいのか?」
「アンタってバカなの? 敵がどこに潜んでるかもわからないのに無暗に動き回れるわけないじゃない」
「いや、そうじゃなくて。ここはまだ部屋を出てすぐの場所だ。俺たちが通った穴を利用して、あの女が追ってくる可能性があるんじゃないか?」
「……ハァ~」
俺は女が追ってくる危険性について説明したつもりだったんだが、どうしてため息を吐かれたんだろうか。
「それこそバカな質問ね。壁に空けた穴なんてとっくに塞いでるわよ。これだけ話していてもあの女が追ってきてないんだからそのくらいわかりなさいよね」
「言われてみればそうだな」
「アタシたちはいま何者かに攻撃されてるの。そのくらいアンタもわかってるわよね? 考えなくちゃいけないことはたくさんあるんだから、くだらないことに時間をつかわせないでちょうだい」
「その通りだ。すまなかった」
「わかったならアンタももっと頭を働かせなさい。敵の目的がなんなのかまったくわからないんだから、油断していると殺される可能性だってゼロじゃないのよ」
ノエルの言う通り、今のはバカな質問だったな。
俺たちが外に出てからそこそこの時間が経っているのに女が追ってきていない時点で壁の穴はノエルが塞ぎ直したと気づくべきだった。
それにしても、敵の目的か。
思い当たることが一つだけあるな。
「フィナンシェ、これって……」
「うん。私もそうじゃないかなって思ってる」
フィナンシェと二人顔を見合わせたあと、テッドの入ったかばんに目を向ける。
「なによ。敵の目的に思い当たることでもあるの? 何か知ってるなら早く教えなさいよ」
ノエルが急かしてくるが、教えるべきかどうか悩む。
敵の正体はおそらくカードコレクター。
狙いはテッドと俺のカード化。
フィナンシェもそう見当をつけているようだが、これを説明するためにはテッドの存在を明かさなくてはいけない。
こんな状況だし、存在を明かすのは仕方ないと思っている。
テッドのことを教えること自体には何の問題もない。
問題があるとしたら、スライムがかばんに入っていると教えたあとノエルがどんな行動をとるか全く予想できないこと。
スライムが近くにいることを知って動揺してしまうかもしれないし、本当にスライムがいるのかどうか確認するため、かばんの中を検めようとするかもしれない。
もしかばんの中を確認されでもしたらテッドの魔力に触れてしまって動けなくなる可能性もある。
ノエルは貴重な戦力だ。それが失われるのは痛い。
そうでなくても、ここにノエルを置いて俺たちだけどこかへ逃げるというわけにもいかない。
敵の狙いがノエルである可能性もあるわけだし、ノエルが動けなくなる事態は避けるべき。
ただ、状況が状況だ。
やはりテッドのことは教えておくべきだとも思う。
「黙ってないで早く言いなさいよ」
焦れてきたのか、険のある言い方。
このまま話さなくてもノエルのイライラが募っていくばかりで事態は何も好転しない。
しかし、話すとノエルの動きが鈍って不利になるかもしれない。
フィナンシェはテッドのことを話すかどうかは俺とテッドで決めろとでも言うように黙っているし、事実、テッドのことなら俺が説明するのが筋。
というか、敵がテッドを狙ったカードコレクターなのだとしたらどうして俺たちが起きているときに狙ってきたんだ?
部屋にはフィナンシェもノエルもいたし、襲うなら俺とテッドだけが部屋にいるとき、特に寝込みを襲うのが最適なはず。
それでもかまわず襲ってきたということは、スライムと戦闘になることを承知で襲ってきたということになる。
敵はスライムを倒せるだけの戦力を揃えてきている?
さすがにそれはありえないか。
俺とテッドが人前で本気を出せないという嘘情報を知って襲ってきたのだとしても、相手はスライム。
そう簡単に倒せるとは敵も思っていないはず。
だが、何か勝算はあるのだろう。
そうなると、この先テッドをかばんから出す機会があるかもしれないな。
必然、ノエルに知られるのも時間の問題ということになる。
敵との戦闘中にテッドの存在を知られるよりは今ここでバラしてしまった方がいいかもしれない。
《テッド、お前のことをノエルに教えるぞ》
『好きにしろ』
テッドの許可はとった。
「フィナンシェ、フォローを頼む」
「うん、わかった」
どの程度効果があるかはわからないが、ノエルが動揺してしまった際のフォローも頼んだ。
これで、準備は整った。
「ノエル」
「なによ?」
棘のある返事。
これは早く教えた方がいいな。
「これから言うことを落ち着いて聞いてくれ」
「だからなんなのよ」
だいぶイラついているようだが、気にしない。
言うと決めたのだ。
ノエルの精神状態なんて関係ない。
前置きだってした。あとは事実を伝えるだけだ。
ノエルが暴れたりしないか、テッドから敵接近の報せがこないかどうかに注意しながら、口を開く。
「実は――このかばんの中には、スライムがいるんだ」
できるだけ真剣な声音を心がけ、俺はノエルにテッドの存在を伝えた。