歩み寄る心
フィナンシェを間に挟んでノエルと会話すること数分。
未だにノエルがこの部屋に来た本当の目的を聞けた気がしない。
俺からもいくつか質問をして、その質問にはしっかりとした回答が返ってきているはずなんだが、俺が核心に迫るような質問をできていないからいつまで経っても話が進まないのか?
いや、違うな。
そのまえにまずはノエルをどうにかしないといけない。
仮に俺が核心に迫るような質問をできたとしても今の状態のノエルが素直に回答してくれるとは思えない。
この問答を終わらせるためには、ノエルに「話してもいい」、あるいは「話したい」と思わせないといけない。
宴から帰ってきてあとは寝るだけだと思っていたのに、どうしてこんなことになっているのだか……。
これで部屋に来たのがくだらない理由だったら一発殴るくらいしないと気が済まないかもしれない。
たとえ理由があったとしても滅多なことでは他人を攻撃してはいけないと教えられて育ってきたが、いくつかの例外もある。
他人を攻撃してもよい例外の一つが『義理には義理を、不義理には不義理を』。
いわゆる、やられたらやり返す。
俺はノエルから殴られたことはないが、中傷なら両手の指じゃ足りないほどされている。
実際のところ、ノエルの高圧的な態度や物言いに対しては怒りよりも呆れや困惑の感情の方が強く、大して不快にも思っていない。
それでも、会うたびに毎回このような態度をとられると疲れるし、ストレスもたまる。
その上、いまは部屋に居座られて迷惑している。
テッドの魔力に触れ、怯えさせてしまったという事実があればこそこのような態度をとられても仕方がないと思ってきたが、今や積もり積もったストレスは悪感情へと変容し始め、その矛先をノエルに向けようとしている。
それによく考えると、ノエルがテッドの魔力に触れてしまった件に関しても元はといえば勝手に部屋に入ってきたノエルが悪い。
ノエルを攻撃しても良い理由なら十分すぎるほど揃ってしまっている。
ただ、殴るのはやりすぎかもしれない。
せめて『十分間俺と目を合わせ続けてもらう』くらいの仕返しにしておくか。
ノエルは俺と目を合わせることを極端に怖がっているし十分な仕返しになるだろう。
もしそれを実行するならフィナンシェにも協力を頼んだ方がいいな。
俺だけだとノエルに逃げられてしまうだろうし。
「ノエルちゃん、まだもう少しこの部屋に居たいって」
部屋から出て行ってくれないかという伝言を伝えに行ってくれていたフィナンシェが戻ってきて早々そう告げてくる。
やはり、ノエルはこの部屋から出ていく気はないか。
もう少し居たい、ということはこの部屋から出ていく気はあるということ。
しかし、今はまだその時ではないと回答してきた。
つまり、俺への用事が済まない限りはこの部屋から出ていく気はないということだろう。
その用事というのは、俺に何かを伝えることなのか、それとも俺に何かをすることなのか。
どちらなのかはわからないが、さっさと済ませて早く部屋から出ていってほしい。
そしてそのためには俺がノエルをどうにかしないといけないのだろう。
「なぁ、フィナンシェ」
「なーに、トール?」
「フィナンシェが俺に話したくないことがあったとして、けれどそのことを絶対に俺に話さないといけない状況になったとしたら、どうする?」
ノエルをフィナンシェに置き換えての質問。
今のノエルの状況はよくわからないが、想定としてはそう大きく外していないと思う。
「うーん、どうしても話さないといけないんだよね?」
「そうだ」
「それなら、私はすぐに話しちゃうかな。どうせいつかは話さないといけないなら悩むだけムダだもん。すぐに言っちゃうと思う」
フィナンシェならそうかもしれないな。
「じゃあ、どうしても話したくないとしたらどうする?」
「えーと、紙に書いてどこかに置いておく、かな?」
書置きか。
声に出せないなら書いてしまえという考え。
悪くないかもしれない。
「それなら、逆に俺がフィナンシェに何かを伝えなきゃいけない状況にあったとして、その何かをどうしてもフィナンシェに伝えたくないと思っていたとする。フィナンシェとしても俺が何かを隠していることには勘付いていて、その何かが自分に伝えられるべきことだともわかっている。これならどうする?」
「え? 言ってくれるまで待つよ?」
迷いのない返事。
たしかにフィナンシェならそうするのだろう。
だが、それだと今のノエルの状況と大きく乖離してしまう。
「待ってるだけの猶予がなくて、今すぐにでもその何かを知らないといけないとしたら? フィナンシェはどうやって俺に何かを伝えることを決心させる?」
「よくわからないけど、トールから私に何かを伝えさせたいならどうするって話だよね? それが今のトールとノエルちゃんの状況ってこと?」
「その通りだ。俺としてはこの状況を早くなんとかしたい」
堅い口をこじ開けて、心の内に秘めていることを引っ張り出すためにはどうすればよいのか。
俺がいま知りたいのはその方法だ。
いくら考えても俺ではその方法を思いつくことはできなかった。
それならテッドやフィナンシェの知恵を借りるしかない。
テッドはかばんの中に放り込んでやった食べ物に夢中になってしまっていて当分はまともな返事が期待できないし、いま頼れるのはフィナンシェしかいない。
なんとかして、俺への用事とやらの詳細をノエルから聞き出す方法を考えついてはくれないだろうか。
「トール、一つ訊いていい?」
「なんだ?」
「なんでトールは、ノエルちゃんと直接話そうとしないの?」
フィナンシェが不思議そうな顔をして訊いてくる。
しかし、その理由はさっき言わなかっただろうか?
……あれ、言っていなかったっけ?
言ったつもりになっていただけだったかもしれないな。
「俺が話しかけようとするとノエルが話題を変えようとしてくるんだ。それで、俺とノエルだけじゃ話にならないからフィナンシェに仲介を頼んでいるんだが、それがどうかしたか?」
俺だって直接話せるもんならとっくにそうしている。
「ちゃんと向き合って話そうとした?」
「え?」
「トールはノエルちゃんに歩み寄って、ちゃんと目を見て話そうとした?」
そんなこと、と言おうとしたところで言葉が詰まる。
そういえば、してないな。
俺はベッドの上から部屋の端に座っているノエルに向かって声をかけようとしただけだ。
目に関しては合わせようとするとそっぽを向かれてしまうから仕方ないとはいえ、ノエルのそばに近づこうともしなかった。
いや、でも、それだけでそんなに変わるか?
俺とノエルの距離は離れていたとしてもせいぜい四メートルくらい。
会話をするには少々遠い距離のような気もするが、十分に声を届かせられる距離ではあった。
ノエルは声を出すのが苦手な性格でもないし、このくらいの距離ならものともしないのではないだろうか。
それとも、言いにくいことを話すには遠すぎる距離だったのか?
フィナンシェとは普通に会話できていたのは、フィナンシェがノエルのそばまでちゃんと歩み寄っていたからなのか?
俺が歩み寄らなかった。
それが本当に原因か?
それなら――そう思い、一歩、また一歩と、ノエルへ歩み寄る。
ノエルは俺の腰より下ばかり見ていて、相変わらず目は合わない。
それでも一歩一歩近づき、ノエルのすぐ目の前まで辿り着いたところで膝を曲げ、ノエルと目線の高さを合わせる。
やはりノエルはそっぽを向いてしまっていて目は合わないが、かわりにノエルの右耳はこちらに向いている。
こうして見ていると聞く耳は持っているようにも思える。
これなら、いけるかもしれない。
「ノエ――」
俺がノエルから本題を聞き出そうと声を上げた瞬間、室内を照らしていた蝋燭の火がフッとかき消え、何者かが部屋へと侵入してきた。
そしてソイツは、明らかに俺たちへの害意を抱いていた。